新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る 宇宙国建国までの舞
中戸川くんやS社長、I社長M専務が来られた後に、ドンドンと濃い一日になっていきます。
今回のIシスター、そして今回来ることになられた同士の面々が、更に僕の回りを、というかお山トラストの回りを濃いものにしてくれています。
今という時代の僕らに与えられた現状での様々には、苦しみ悩み不安が山ほど盛り込まれます。
けれども、自然側に自分の軸を建てて、もしもキアスムの点線の先に到達出来なかったとしても、その負け戦には尊い軌跡が残され、濃い人生を生き抜いた確かな手応えを持って、あの世に旅立てるものと、確信をしています。
どの場に自分を建てるかは、凄い重要なことです。
場にしか、自分を建てることは不可能。
それは、都会に暮らすとか、田舎に暮らすとか、農で生きるとか、科学技術で生きるとか、パソコン作業で生きるとかのことでは、ありません。
命の根元を与え育てる側にある場に立つのか、星側地球側自然側という命の根元を循環させる場から、分裂した人間世界というかけ離れた所に立つのか、その根元のたち位置です。
今日から日常の気付きblogと共に、もう一度去年の今ごろに書いた、人類進化の軌跡と自分の良いことも恥ずかしいことも丸出しで書いたblogを、再度載せたいと思います。
こうblogは、もしもどうにかキアスム事業を世に示せた時、又は結果なし得れなかった時、失敗の数々心の動揺を包み隠さず載せる事で、後に精度をあげた、若者がチャレンジするときに、僅かな指針を示せるだけでも価値があると信じているからです。
必ず人類は、キアスム思考とキアスム事業とキアスムビジネスを、今手にしなければ、最終的なお金のない世界には到達できないと思うのです。
そしてお金の要らない世界や、フリーエネルギーの世界は、その進化の後に達成出来るもので、もしもその前に、分裂した思考からお金の要らない世界を構築しても、社会主義の失敗を繰り返し、もしも分裂した思考から、フリーエネルギーの世界のみを抽出出来たとしても、必ず自分が生み出したモノに固着しやすい、弱い人間は又それを争いの手段に活用します。
未来型のコミューンも同じで、それを分裂した思考から世に抽出できてしまうと、その地位をいつまでも欲しくなり、結果本当の意味での自由なコミューンは、成り立たなく崩壊の道を辿ります。
スピリチュアルの思考による締め付けも、どんな立派な志のもとに動こうが、必ずオウム心理教の道を少なからず通り崩壊します。
ましてや、思い込みが相当の割合を占める、スピリチュアルが頂点にたって引っ張ってはいけないのです。
勿論、政治も科学も人よりの祈りも学術的な知も農も教育も芸術も金融もETC、人間よりからでた知識がつくりだした分野が、引っ張ってはいけないのです。
そろそろ人類は、頂点に立つからから、ベースを創るに移るときなのです。
それをすれば、前世のカルマ等影響されずに、全てに活かされる。
人類は、ブナの樹木の下にある、土にならなくてはならない。
だから、ご神木で、ブナの道を辿りながら、土を皆さんに食べて頂いた。
その土は百薬の長なのです。
森林浴もその土が創り出す。
その土は、精密に計算され尽くした、広葉樹の葉っぱが創る。
そのためにもお母さんの木は、子供たちにオッパイを飲ますように、何度も何度も水を吸い上げては、太陽と大気の力を借りて下ろしを、縦貫させながら、ユックリと海に返していく。
葉っぱは、木々の子供であり、土は葉っぱの子供、その孫達が元親の木を支えるお役割を果たしながら、土は、イオン化されて、野性動物や昆虫勿論草花を育てる。
そして我々も育てながら、プランクトンを育てるために、海にたどり着く。
そして海が魚を育て、海鳥を海獣を育て、太陽で吸い上げられて、風の力を借りて、山河に帰るのです。
涙が出るほどに、美しい。
そこに僕らは軸を立てるしかない。
体の軸は要らない。
体の軸は、そこに立ったときに自然に、あるのです。
軸は随意筋への命令では、作れないモノです。
僕はブナの道にたち続けます。
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