新しき蝦夷 銀河縄文原人が創る宇宙国建国までの舞
昨日は、天候不順な中二人の娘たちとアンパンマン博物館でデートでした。
アニメには夢がありますが、子供たちは着ぐるみには、夢を感じないようで、直ぐに移動になりました。
小さいときから、伊豆や山形で本当のファンタジーを与えてきたからでしょうか、作り物にはガッカリするようです。
本物の現実の中にあるファンタジーと、作り物のファンタジーには、どこか大きな溝があって、子供にはそれがダイレクトに感じてしまうのでしょう。
丁度、どこか現実にファンタジーを諦め、休日に作られたアドベンチャーや、ファンタジーのなかに休息や非日常を設定して、どうにかバランスをとっている、大人の世界観とそっくりだなと感じました。
本当に起きている現実から、全くのゼロのポイントで、素直に宇宙を感じて見ると、そこには生き物としての宇宙が教えてくれる、壮大なファンタジーがあります。
その上でこの壮大なファンタジーをどのように捉え、この大転換時代を移行するのかは、ハリウッド映画どころではない、未体験の楽しさに満ち溢れています。
自分はどうにかもう間もなく、この未開のゾーンに入るためのパッケージが出来上がりつつありますが、ここに至るまでは、自分の当たり前が実はあまりに小さな観点での当たり前で、大きな船に乗っていた蟻ぐらいでしかなかったという視点から、船の同行を知りながら、蟻として船を活かすから生かされるに転換する、サナギの脱皮には多くの戸惑いの連続でした。
その視点を、生まれながらに持っている未来の子供には、あまりにグローバル資本主義が入り込んだミュウジアムは、シラケる対象でしかなかったようで、強風の風や雨との戯れに、一番はしゃいでいました。
ここでも東京の限界点に直面致しました。
僕も沢山の壁を越えて越えて、どうにかもう一歩まで来ましたが、振り替えるのはまだまだ早いですが、それこそがワクワクの連続でした。
その道の過程で、やっと見え身に付けてきた、階層の違うステージをループで繋げるという視線は、ヤッパリ水にしかできなかったという、後で本当の意味に出会える生きることの醍醐味でもあると、感じております。
今日は夕方から雑誌アネモネさんの取材です。
それまで、二本映画を見る予定です。
一本はループを感じるためのジャックと豆の木、もう一本がデイズニーの同行を感じるめ、シュガーラッシュです。
時間的にギリギリで一本は明日になるかもです。
昨日は夢にループ構造の解答が明白に映像で現れ、しっくり来ました。
次元の違う階層がループで繋がって、様々が現実化していく流れ方の立体図を感覚でしっくりと捉えたという感じです。
勿論自分のミッションを中心にて捉えながらも、全体を外側の様々な観点から繋ぎ捉えていくと起きてくる様々な矛盾点が矛盾ではなく、有を生み出すカオスに感じられて来る余裕が現れるようにました。
そうなると、この世界にには、ロックさんも居てくれて有り難う、北朝鮮も色々やってくれて有り難う、中国さんも有り難うと全てが事象が見方になってくるのですね。
もう本当に事実を知った上で敵は必要がないという、ノンイデオロギッシュに移行できそうな自分になってきました。
お陰さまで、とっても清々しい顔をしていると、仰って頂けます。
そうすると出会う方が殆ど、清々しい顔をされている方に変化して来ました。
感謝です。
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