あらえびすブログ

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東京道場十二弁の心臓の使い方の一章が終わりました。

心臓内側使いからの、色彩の影響がここまでのパワーを生み出すとは。


二章は心臓内側使いの音響へ。

そして十月から、更なる進化での喉頭チャクラの十六弁の使い方へ。


生殖器の四弁の使い方や、十六弁の使い方は、本当に注意が必要。

勘違いから妄想を観て、弱さから信じてしまう。

まさにオーム真理教がそれ。


しかしシュタイナーが言うように、潜在意識からの見えない世界の開発無くして、人類の未来は無くほっておくと更なる唯物化のグローバル資本主義の罠に更に深く入り込む。


だから、シュタイナーをベースに僕は進めている。

三年間の山伏修行や、スピリチュアルと唯物化移行の世界の実現じっけのアラエビスのミッションで、ここまで来るのに偉く苦労したのがソレ。

沢山の勘違いスル罠を体験してきた。


だから、道場という形式でないと危険分子が悪さをして、地球自体のミッションを台無しにしてしまうから。


その十六弁の行は以外に、日常的な八行を如何に謙虚に進めるかにかかる。

しかしこれを、唯物化世界にどっぷり浸かった似非道徳では又々二項対立へ。


沢山の、逃げ場としてスタッフになっては、又々逃げ場を求める方々から沢山学んだ。


ミッションって、地球進化宇宙進化毎。

辞めれるはずが無く、辞めたら恐ろしい程の懺悔が待ち受けている。

しかしこれがわからずに、又々お一人スタッフから消えて行く。


けれども、これが何れの魂の気づきになれば、その方もスパイラルが回り出す。

ここで気付けばその分、より魂のミッションへの入り口の本扉を開けれるのになー。


ある意味本扉に入るか否かの手前を、シュタイナーが言うようにアイデンティティ化してしまうから怖いのですが。


かといって、本当に強く謙虚でいて、乗り越える笑いの力もないと、一回本扉開けると辞めたら一大事が用意されてもいて、更なる逞しさが要求されるから、それなら魂の本扉開くのは慎んだ方が一応今生は救われるとも言える。


けれども、開きそうで弱さで諦めると、輪廻的な長さでは来世と今世の狭間で大きな大きな修行が用意されてしまうから、結局は大変なんだけれどね。



さて、これが試される十六弁のワークにおける重要な日常の行をシュタイナー大先生からの示唆を元にここにあげておきます。

これが凄く重要だから、アラエビス本境地も東京道場も極力寝食共にしてこの行を行いやすくしているのですわ。


*シュタイナーの「Wie erlangt man Erkenntnisse der hoeheren Welten ?」(邦訳題名『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』)(イザラ書房)は、この世に存在する書物の中で最も価値のある本だと思っています。何しろ、この世の向こう側の世界へ至る踏み段のような本であるわけですから。

そこに記載されている行法の中では、生殖器の位置にある4弁の蓮華(チャクラ)の開発について、全く言及がありません。それは、それなりの理由があるわけです。

「実践的観点」の章でシュタイナーが次のように述べていることは示唆的です。

 

本書は肉体にとっても魂にとってもまったく危険のない事柄しか述べていない。別の仕方で、もっと速やかに目標へ到らしめる道もまた存在する。しかし本書が述べる修行は、そのような道とはまったく関係がない。なぜならそのような道は真の神秘学者なら決して望まぬはずの影響力を弟子に及ぼすからである。いつの世にもそのような道を説く人が公衆の面前に姿を現わしてくるから、その道へ向かうことに対してははっきり警告しておかなければならない。導師だけに理解できるいくつかの理由から、これらの道の真の姿が一般に公開されることは決してありえない。そこここに現れるそれらの断片は健康、幸福、魂の平和を促進せず、妨害するのである。その真の本性も由来も知りえぬ暗黒の力に自分をすっかり委ねてしまうつもりのない人は、このような事柄に係わり合うことを避けるべきである。(高橋巌訳、シュタイナー著作集、1979年刊)

 

 

*自己変革を望む人は、自己認識の厳しい人です。不完全な自己に耐えられず、これを変えたいと思う。すぐ怠ける性格を変えたいとか、不埒な考えにふけりがちな自分を叱咤し、覚醒したいとか、動機はさまざまでしょう。そんなことがあっても、普通の人は、これが自分なのだと諦め、そこにアイデンティティーさえ見出して、日常生活に埋没するわけです。ですから実際に自己変革の行動に出る人は、厳しい自己認識がある上に、考えを実践する実行力もある優れた人です。そして自己変革の手段探しが始まる。自己開発セミナーやら、精神修養を謳うセミナーなどが見つかる。自己変革が単に性格を変えることだけでなく、霊的な向上を求める場合、求める手段の範囲はさらに広がっていく。太極拳、気功、ヨガ、仙道、チベット密教、チャネリング、はては前世療法とはしごをする。そして、最近はその全てをひっくるめたような講座もあったりする。自己変革を望む人が陥りがちな状態は、どんな手段でもいいから、とにかく結果がほしいという焦りです。これは自分の魂を開発素材としてのモノとしか見ていない状態です。その状態の時は、多少の怪しさには目をつぶって、結果を出す行を提供する講座にはまってしまいがちです。また、そうした行を提供する側の「教祖」は、上記のさまざまな超能力手段を並べ立てて、信者を勧誘する。オウムの場合もそうでした。報道を見る限りでは、そこでも、4弁のチャクラからクンダリニーを覚醒し、これを上昇させて上のチャクラを一気に覚醒していく方法をとっていました。教祖はまた、男女の交合から解脱を目指すタントラもやっていたようです。昨日のコラムは、この一連の4弁のチャクラ系の危険性について述べましたが、今日はクンダリニー上昇で16弁の蓮華(チャクラ)を覚醒した場合の危険性について、引用します。

 

まずは、前提としてシュタイナーが16弁の蓮華開発のために推奨する行をまとめます。

  1. 思考概念を明確にする。 
  2. 十分考え抜いた観点から決断する。 
  3. 無意味な発言をしない。 
  4. 節度を設け、調和した行動をとる。 
  5. やたら急いだり怠けたりしないで、調和した生活をする。 
  6. 自己認識に則って行動する。分をわきまえる。 
  7. 人生からできるだけ多くを学ぼうと努力する。 
  8. 自分の内面に目を向け、自己と語らう。

また、嘘をついたり、不誠実であることは、この蓮華開発に対し破壊的に作用する。

 

次から引用です。

この16弁の蓮華を別な仕方で開発しようとする行法も存在する。しかしそのような行法はすべて、真の神秘学を否定している。なぜなら、それによって身体の健康が損なわれ、道徳の頽廃が生じるからである。そのような行法はここに述べたものより実行しやすい。本書の行法は時間がかかり、努力を要する。しかしそれは確実に目標へ導き、道徳的な力を強めてくれる。 
蓮華を不健全な仕方で開発すると、或る種の見霊能力が現れても、その能力は主観的な幻想や空想と客観的な霊的体験との相違を区別できないばかりではなく、日常生活を迷いに陥れ、節操を失わせる。そのような場合、修行者は臆病で嫉妬心や虚栄心の強い人、或いは高慢で我ままな人物等々になりやすい。このような悪しき性質がそれまで見出されなかったような人々の場合にもである。- 16枚の蓮華のうち8枚は、すでに太古の時代に開発されており、修行に際して、それらが自然にふたたび活性化されるということはすでに述べた。修行者の努力は、したがって、他の8枚の蓮華の開発に向けられねばならない。行法が間違った形式をとる場合、太古の時代に開発された部分だけが活性化されて現れ、新しく形成されるべき8枚は凋んだままの状態におかれる。論理的思考や理性的態度に対してあまりにも無関心な行法の場合に、このようなことが生じる。」

 

(シュタイナー著『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(高橋巌訳)の「霊界参入が与える諸影響」の章から)

 

補足の内容。

ルドルフシュタイナーの基本的文献に『神智学』と『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』という2冊がある。この後者の書籍には、現在一般にチャクラと呼ばれている「高次の世界を認識するための感覚器官」を育てるための具体的な訓練方法が述べられている。

その中で、喉のチャクラ(16弁の花弁をもつ花のような形をしていると説明される)を育てるために育成する必要のある「8つの状態」というのは、日本人にはなじみ深い、お釈迦様の言う「八正道」そのものである。正見、正思、正語、正業、正命、正念、正精進、正定の8つの道が悟りへと至る道であると釈尊は説かれた。この8つの道を、シュタイナーは高次の世界認識を可能にする「認識器官」を育成するために必要な態度、生活習慣であると述べているのである。

 

シュタイナーの言葉を引用して八正道を述べると以下のようになる。

「正見」:私たちが外界から獲得するイメージの1つ1つに、特定のメッセージや、外界の事物に関する情報を見いだすように見る。偶然にまかせて意味をもたないイメージをつくりあげるのではなく、私たち自身が外界を忠実に映し出す鏡になるようにして、秩序だった概念を作り上げる。

「正思」:どのようなささいな事柄であっても、根拠ある十分な思惟に基づいて決断する。どのような行為も、よく考え抜かれた根拠に基づいて行う。このための適切な思惟を正思惟と呼ぶ。

「正語」:意味がある事、重要な事だけを話す。根拠のない事柄については、決して語らないようにし、話す言葉も多すぎたり、少なすぎたりすることがないように気をつける。

「正業」:外に現れる行動を制御する。自分の行動が他の人の行動や周りの世界の出来事と調和するように自分の行動を整える。

「正命」:人生全体を整え、自然や霊に従って生きる。過度に急いだり、怠けたりせずに調和的な生活を生み出すように健康を管理し、習慣を整える。

「正精進」:自分にふさわしい努力を持続し、理想や人類の義務に関わるみずからの目標を立てる。そして自分の課題を理解し、自分自身の義務をより良いものに、より完全なものにするために努力する。

「正念」:人生のあらゆる経験を宝物のように豊富に集めて、何をする場合でもこの経験の宝物に照らし合わせて検討する。どのような経験でも、たとえ失敗であってもその経験から可能な限り多くの事を学ぼうとする態度を保つ。

「正定」:自己の内面に目を向ける習慣を身につける。自分自身と語りあい、自己の人生の原則を作ったり、検討したり、自己の義務についてよく考えたり、人生の内容と目標について熟考したりする。

 

ルドルフシュタイナーは、これら8つの訓練を自らの『習慣』となるまで身に付けた時にこそ、私たちの「思いと言葉と行い」は「外界の事象と一致し」十六弁の蓮華(喉のチャクラ)はますます完全なものとなり成長する、と説明している。

 

凄く、当たり前でどこか道徳的なコレを、如何に謙虚に実践するかが、見えない力を扱える人類を創るのですわ。

 

植芝盛平翁が、第二次世界大戦での、陸軍の合気道使いの危険を察知して、日本人を鬼畜にするわけにはいかないと、合気道道場看板をおろして、熊野に隠居した意味はまさにコレなのですネ。

 

技、術として身につける前に、きちんと悪用しない為の準備が盛り込まれている。

そこにしっかりと神秘学を学問にして短絡的な解釈で悪いモノに使用しないすべを先に身につけないと十六弁が開かなくしている事に気付かれたシュタイナーも、やっぱり流石です。

 

日常の八行を適当にして、開いてしまった十六マイナス八弁では、まさに古代の喉頭チャクラで終わってしまいます。

その頃は自我が目覚めていなかったから、それで事足りたけれど、これからはその八弁使いが出来る、高次の自我の行としての八弁を足しての、十六弁に進化しなくては戦争経済も、余りに命をないがしろにしてしまいマネーのみに進行してしまったこの旧態依然グローバル資本主義の舵を方向転換できない。

 

この日常の八行は、まさに平和を作れた事で人類が、地球が目指すミッションである【愛】を知り、それと共に生き出す生き物へ進化し始めて行く為の、重要な重要な行だったのですわ。

 

僕はアラエビスでも、東京道場でもただのガイド。

まだまだ不完全。

どこまで行っても不完全な幼稚な輩。

だから、指導者ではない。

ガイドです。

皆んなで一緒に切磋琢磨して、世界をメタモルフォーゼさせましょう。

 

東出 融
9月26日 3:37のFacebook投稿より