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第4章 融ちゃんが体の内面で掴んだ図式から社会環境に今新に描き始める最初の広場 その1-2

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前回のお話は

第4章 融ちゃんが体の内面で掴んだ図式から社会環境に今新たに描き始める最初の広場 その1-1 - あらえびすブログ

 
此処でやろとしていることは、
「無意識下を掘り下げてそこから取り出して、誰もが見やすいものにリニューアルしていく作業」だって
融ちゃんは常日頃言っているわよ。

だからこそ、まずは生きる中心である水にこだわりたいって。

其も無意識界から溢れ出てくるようなアートな創造性を自然界が形で既に表現している伏流水にこだわりたい、ってね。

自然の無意識界から溢れ出るアートな作品としてのお水が普通に飲めないって、とっても変でしょう。
この変さ加減こそがシンメトリーな脳が作り出す社会の形なの。

良く市役所とかで面倒な顔をされることあるじゃない。 厚生省でも同じで一番の理由はメンドクサイが理由だと思うの。
言い換えればこのメンドクサイは、六人でケーキカットして食べようとしているときに不意の来客で均等に七個にカットするような事よね。
日本の伏流水がメンドクサイでそのまま販売できないでいるのにエビアンやボルビックは外圧で生のまま販売できるって可笑しいでしょう。
だから日本のミネラルウオーターは全部煮沸して体に良い天然の恩恵を全て除去させた偽物ナチュラルミネラルウオーターなのよ。其もこれだけ豊かに伏流水を蓄えた類を見ない国なのに本当に勿体ないのよ。

「誰もやらないなら俺がやるっきゃないでしょう」
と融ちゃんは命を此にかけたのよ。

何故ならば其処が創造性の泉
だからなのよ。

単純に安心安全な豊かな水を自由に飲めるシステムを構築したいだけではないの。
此れが許されるシステムをこのシンメトリーな脳で構築された社会に産み出せないってことは、
「創造性を皆無にして生きていけ」って国に「完全に支配されている」って言うことに繋がって行くと真剣に危機感を感じているからなのよ。

融ちゃんが岡本太郎さんを敬愛する一番の理由は其と最期まで闘ったからなの。
ヨーロッパには中心が開放的で自由に出入り出来る広場があるでしょう。
アジールって言うのだけれども。
アジールは平等と自由の象徴。

何故ならば自然と言う人知も犬知も叶わないものが供給源で中心をなしているからこそ本物の自由と平等が成り立つのよ。
だからこそ、そこはあの世とも繋がっていてフェスティバルの会場でもあったのよ。

今本当に平等なそして自由なフェスティバルがあるかしらん?
ましてや其処には自然力と言う絶対的物への畏怖の念と畏敬の念が混ざりあっている絶大なるパワーを人々が本気で感じとる事が可能なフェスティバルよ。
何れは融ちゃんはそんな祭りを創ってみたいって思っているのだけれども祭りは一番最後よね。

日本の里山はこのアジールが共有林だったのよ。
其処は全員が出入り自由でポリス的な支配構造がなかった場所。
そして其処は無限に生まれて又無限の世界に戻っていく創造性の「場」。

これによってデザインされたヨーロッパの広場にはだからこそ池と噴水があるの。
自然界の力を町にデザインして取り込み、自然と都会、田舎と都会を表現したのよ。
東京の失敗は無意識的には中心に皇居を配置して中心に誰もが自由にたどり着けないデザインにしてしまったことよ。
天皇制が悪い訳ではないのよ。