分断された個から繋がり合う個へ。なんかとんでもないことが起こりそう。
「私」というものに対する感じ方が、この数年で大きく変化した。
この変化は、世界の捉え方にパラダイムシフトを起こすもので、今までネガティブに感じていた部分がポジティブなものへと反転する。
分断された個として、「私」を意識していたときは、とても苦しかった。
常にちゃんとして、頑張り続けていないと、社会から滑り落ちてしまう恐怖を感じていて、隙を見せないように気を張っていたから疲れやすかった。
自分の可能性=自分の能力だと感じていた。
だから、自分の能力の中で欠けているものがあれば、それが、自分の可能性に限界を作っていた。
限界の外側は考えても意味が無いので、そこで思考が止まっていた。
でも、Zoomでの対話を繰り返し、安心安全の場を創って自己組織化を繰り返し起こしていき、場の思考プロセスの中に入り込んで、その一部になっていく体験を重ねていくと、「私」というものは、世界から孤立しているものではなく、世界の一部だという意識が強まってきた。
世界(宇宙)のダイナミクスがあり、「私」もそのダイナミクスの一部であり、場を創ると、そこに宇宙のダイナミクスが目に見える形で現れてくるが、それは、実は、いたるところにあるものなのだということを感じるようになってきた。
この意識の反転によって、肩の力がすぅーっと抜けて、生きやすくなった。世界に支えられている実感が生まれてきた。
無駄に頑張る必要がなくなった。
自分の可能性、というものにこだわらなくなり、世界の可能性、について考えるようになった。
欠けていると感じていたものは、他の人と繋がることができるジョイント部分だと感じられるようになった。
考える範囲が、自分の能力の限界の外側に広がっていった。
人との繋がりが豊かになるほど、創造性が増していくのを実感した。
創造性という能力は、自分に属していると思っていたけど、そうではなく、繋がりから生まれるものなのだということがよく分かった。
今ある問題の多くは、意識の反転が起こっていけば、消滅していくということがよく分かった。
では、そのような意識の反転のドミノ倒しをどうやったら起こせるだろうか?
それを知るために、実験し続けている。
自己組織化コミュニティもその一つ。
意識の反転が起こるようなコミュニティの「型」を作り、その無限回複製可能な「型」を広めていくという考え。
僕の強みは、コミュニティ創造にあるから、ここから始めているけど、身体ーコミュニティー社会ー宇宙はフラクタル構造になっているから、どれか一つを紐解くことができれば、その他のものも、おおよそのあたりがついてくる。
東出 融 (Tooru Higashide)さんは、身体を紐解いて、それを、コミュニティ、社会、宇宙へと広げているのだと思う。
この繋がりに気づいていない人にとっては、身体とコミュニティは、全く別々のことに見えるかも知れないけれど、気づいている人にとっては、「同じこと」に見える。
8月28-29日では、3つのワークがコラボする。
東出さんの身体エルダーワークは、身体を紐解く。
田原の自己組織化ワークは、身体ワークとコミュニティとを繋げていく。
奥山 省吾 (Shogo Okuyama)さんの映画『純愛』の上映会+対話会は、国境を越えた世界の繋がりがテーマだ。
それぞれが、自分の強みに重心を置きながら、ミクロからマクロへと連なるフラクタル構造に気づいて、どれも「同じ」だと感じている。
だから、一つをひっくり返せば、他も連動してひっくり返っていくはずだと感じている。
身体からひっくり返そうとしている東出さんの気持ちがよく分かる。
映画というメディアを使ってひっくり返そうとしている奥山さんの気持ちもよく分かる。
なぜなら、僕も、コミュニティからひっくり返そうとしているから。
この違うレイヤーで同じことを目指している3つを続けて体験することに、大きな意味があるように思う。
平日だし、時間も長いし、受け取るのは、なかなか大変。
でも、本当に大事なものが、お手軽に受け取れるわけがない。
僕にとっては、この二日間は、人生のマイルストーンになりそうな予感。
東出さんと、奥山さんの出してくるものを全身で受け取って、自分の中から浮かんでくるものを全力で出していきます。
なんかとんでもないことが起こりそう。
田原 真人