奇跡は如何様にも起きる。重要なのは魂を生きて、タシャの喜びの為に生き抜くだけ。
魂の声を聞いて聞いて、ひたすらに進む。
自然に強くなる。
自然にぶれなくなる。
それを一番喜ぶのが自然界。
自然体って、自然な体つきではなく、自然が喜ぶを(タシャの幸せを見たくて生きるを)生きたときの体の状態。
だから、魂から五感を使ってみる。
まさにチータが走る姿は、完璧な目標を捉える眼差し。
魂から観る。
魂から聴く。
魂から嗅ぐ。
魂から味わう。
魂から触れる。
それは全てが、地球の命全ての幸せに喜びに接続されている。
その幸せ感は、地球さえも回す力になる。
まさにピースと共に、一生かけて創りたいのは、それが溢れる世界を共に観て感じてみたいから。
その果てしない広さを、その底無しの深さを、その果てしない高さを。
きっと、それを宇宙と呼ぶのだろう。
我ら同志は、必ずその世界を共に創るために、生まれて来たのです。
だから、そのまんま僕に出来る全てで、ピースを応援するのです。
僕は、全ての一期一会の瞬間瞬間で、魂を全身全霊で生きています。
だから、出逢う全ての人に、真剣に出逢って全身全霊で、付き合い続けています。
例え、ホテルのロビーでも、イオンのエレベーターでも、出逢う方々に全身全霊でその瞬間を出逢って生き抜きます。
僕の中に、壁がある上での、タシャは存在しません。
水源がさえもお山さえも隣人です。
その素晴らしさが、当たり前になってしまった人類は、もう人類同士の間に壁を作る事に違和感だらけで、壁を全部ブッコワシたくなるのです。
復古創生で、もう一度狩猟民の身体から、全ての今を見直して、その上で農耕民の身体を定着させて行かなくてはなりません。
今だに、農耕民の身体が定着されていないのですから。
それが、様々な身体に心に現れる違和感。
その上でマネー経済の身体をきちんと手にして、一気にノーマネー世界の身体を先に手にしなくては、ホモサピエンスサピエンスの次は、決して訪れません。
身体性は、魂を全力で起動させてタシャの為に生きる事で、単純明確に磨かれます。
その過程に、農耕からマネーグローバル経済からノーマネーが、存在しているのです。
狩猟までは、溜め込めないからこそ、身体と外の世界のピースが合致していた。
しかし農耕からは溜め込める事を、自然という身体には無いものを、知識が知ってしまった。
それ以降は、そこが違うから、更に紙切れマネーや、情報さえも溜め込めると信じている。
動くものには、一切通用しない概念を、無理矢理通用させた。
そして自然と心体が、壊れだした。
心から崩壊して体が壊れる。
駒を進めたければ、体を進化させれば、心が取り戻されていく。
健康は自分の為に存在している。
しかし、進化は全てがタシャの為に生きなくては、起きない現象であるのです。
即ち、健康は表面の自分から生まれでた言葉。
進化は魂の言葉なのです。