あらえびすブログ

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大先輩のblog【何が問題なのか】の続きを載せます。

【何が問題なのか】続き


アメリカでは大統領選挙を皮切りに、民主・共和両党でそれぞれの「原理主義」を掲げる候補が票を得ている。
それは、「なぜか?」その根本的な理由は、唯一の超大国に於いても「再分配」システムが機能しなくなってしまったからだ。
あらゆる国の経営は、「税金」で成り立っている。
その「税金」が潤沢に使える時、国家運営はまさに順調満帆な時を迎える。
だが、ひと度その税金が足りなくなり、国債の発行等(=借金)に頼るようになると、その借金は止めどなく膨らむ。
行政で言えば、サービスや人員を削減しなければ潰れてしまうところも出て来る。
若い人たちへの「投資」とされてきた「教育費」への税金の投入も減る。その減らされた分は、個々人が埋めて行くしかない!つまり、「将来の世代にツケを回す」とされてきたことが、もう現実として「発露」してしまっているのだ。
そして、それだけではなく、親の世代の再分配すら、どんどん「減らされる」現実を、若者たちは否応もなく見せつけられている。

だから、若い人たちは現実に対して、極めて懐疑的且つシビアーだ。
自分たちにツケを回す社会に「異を唱え」ざるを得なくなった若者たちには、それぞれの原理主義者の言葉こそが「唯一の希望」として映り始めている。
高度経済成長の恩恵を受けその再来を夢見る(老いた)世代と、その「ツケ」に羽交い締めになっている(若い)世代では、もう「呉越同舟」は適わない。
先進国では続々と若い大統領や首相が登場して来ているが、それだけで問題が解消するはずもない。
どの国も「グローバル経済」との関わりで巨額の財政赤字を溜め込んでしまっているからだ。
最早中間層や若い人たちに「再配分」する原資を有している国などない!
その帳尻は、国単位で「内需の拡大(=自給自足)」態勢へ舵を切ることを皮切りに、需要と供給の関係を再構築して行く以外にはない。
無意味に広げた「風呂敷」は、身の丈に合わせた大きさに縮小する以外、「各国の個別経済を破局から救う手立てはない!」と言うことだ。

金融緩和策が連発されることで、それを許してきた世代の多くは、未だに「夢をもう一度!」と念じている。
その「未練」たらたらの思いが、破局を迎えている資本主義経済を「すんでのこと」で、繋ぎ止める作用を果たしている。
だが、いつの間にか「緩和マネー」の恩恵を受けたことがない世代が、もう30歳という年齢を迎えているのだ。

世代間で、現実を共有できない社会がどういう経緯を辿るか?
価値観が「二層」を示し始めれば、若い人たちの側の「現実感」が徐々に社会を突き動かすようになる。
それが、「必然」だ。「将来の世代にツケを回してはならない」という掛け声が発せられてから、既に久しい。
だが、現実は「どうか?」世界中の国が、相変わらずの「緩和マネーの空吹かし」に現を抜かしているではないか!

これでは、世界中の次世代は「救われない」。
各国の財政は、どんどん借金まみれになり、その借金の返済に税金が投入される。
それが「将来の世代にツケを回す」ことの意だが、「緩和マネー」の注入による経済の拡大こそが、この借金を産んだ主因なのだから、今のままでは、まちがいなく「(若い人たちの)将来は、現在(年老いた私たちの世代)に食い尽くされてしまう。」

私たちは、宇宙船地球号に乗船している。
だから、対等な意味での「文化的融合を図っていくこと」を避けて通ることはできない。
だが、地に足を着けた運営をすべき自国の「固有の経済」を、たった一つの「超大国」の価値観に従ってみせる「謂われ」など一切ない!

アメリカは、「超大国」故の「妄想」の中に自らを閉じ込め、そこから抜け出すことができない。
彼らを「自縛=呪縛」から解き放すためにも、或いは世界中がアメリカと「心中しない」で済むためにも、「競争と無縁」で「もっと真っ当」で「ストレスフリーな生き方」の「存在」を示す者が、躍り出てくるようにしなくてはいけない!

私たちは、紛れも無く「マネー依存症」という「病」に冒されるている。
ギャンブル依存症」・「アルコール依存症」・「麻薬依存症」・「セックス依存症」と名付けられた「情けない」依存症の数々を為らしめているのは「マネー」だ。
それも「労働の対価」としての「金銭」ではない。
経済を成長しているかのように見せかけるために投じられた「緩和マネー」が、数多の「依存症」を引き起こした。
「依存症」に共通するのは、自らの「精神や肉体」を、自らが傷つけるという「行為」だ。

他の「依存症」と違い、今や「マネー依存症」は、ほぼ世界中の人々を冒している。
「マネー依存症」は、「ついつい手を出してしまい、自分を抑えられない」ことに関しては、他の「依存症」と変わらない。
だが、他の「依存症」より質が悪いのは、全く自覚症状がない!という点だ。「お金儲けのどこが悪い!」と多くの人が「胸を張る」。
これは、実はとても「興味深い」ことだ。アメリカの禁酒法時代を例に取るが、法律が飲酒を禁ずれば、人は飲酒に罪悪感を感じるが、禁じられなければ堂々と飲む。

だが、それでも「依存症」と名付けられるものに対しては、人々は一種の「後ろめたさ」を持っている。
しかし、「マネー依存症」には「後ろめたさ」がない。なぜなら、この世は「資本主義」社会だからだ。
「金儲け」は推奨されこそすれ、誰も「うしろめたさ」は感じないで済むこととされている。とは言え、他の「依存症」は、「溢れるマネー」なしには引き起こされないのだから、その大元にある「マネー依存症」を絶たねば、病根は断てない。

「依存症」の治癒は、患者を隔離して、対象物を遠ざけるしかない。
患者に禁断症状を課してでも、対象物に手が届かない状態を作る。
そうしないと、患者は「どんな理屈をつけてでも、たとえ犯罪を犯してでも」、対象物を得ようとしてしまうからだ。
だが、「労働の対価ではない」「緩和マネー」を「消費(浪費)促進」のために撒き散らす社会では、誰もが容易に「対象物(=マネー)」を手にできてしまう。
これでは、「依存症」の治癒などできるはずがない。

だから、「次世代にツケを回さない」「化石燃料の使用を控え、地球の気候変動を抑制する」「人類が制御することができない原子力開発から手を引く」といった極当たり前のお題目すら、履行できない(されない)。
理知的な人間なら、何もコンピューターに計算させなくとも予測ができてしまう「惨憺たる未来」を、「敢えて」無視できてしまうのは、「過度な経済拡大」を経験した世代が、重度の「マネー依存症」に冒されているからに他ならない!

資本主義が生まれて、まだ200年しか経っていない。
その200年の間の経験だけが、「ビックデータ」という言葉に込められている。
この間に欧米の利益だけを追求する「グローバル経済」は、拡大を図り、ある種の成熟を果たし、その挙句に、物凄い勢いで「無駄」を排出する経済へと変質を遂げた。
成長を演出するために、「無駄」をも「成長」に見せかけようとした結果だ。お陰で、すべての先進国が財政赤字を溜め込むこととなった。
それは、「成熟」を果たしたものが、「腐敗」し始める過程を示して余りある。

これは、「グローバル経済の破綻」以外の何物でもない!だが、誰一人、「それを認めようとはしない」。
否!「気が付いていないような振りをしている」ようにすら見える。人々は、「マネーの増刷」に勤しむ社会にどっぷりと浸かったままでいる。たった200年の歴史しか持たない資本主義のために、私たちは、人類が培ってきた「自由」「平等」「人間性」「悟り」といった概念を、ことごとく「死語」として葬り去ろうとしているのだ。

私たちが講じなくてはならない策は、一つしかない。
端的に言えば、無意味な「グローバル経済」から脱却し、内需を中心とした健全な国内経済を立て直すことだ。
そして、その核に「日本の唯一の天然資源である天然水の活用を据える」。
なぜなら、歴史的・伝統的に日本の産業は、山国という特性を活かし、「天然水の有効活用」に依拠してきたからだ。

冒頭に書いたように、「天然水は、人類にとっての唯一の再生可能資源だ。」それは、水の惑星=地球が、その営みの中で未来永劫に渡って再生し続ける資源だ。
その天然水を「水力発電」に活かせば、文字通りの「再生可能エネルギー」を作り出すことができる。
また、それを食せば、カルシウムを始めとしたミネラル分が、生命に必要なエネルギーをも生み出す。
それは、地球上に生きるすべての生命が気の遠くなるほどの時間をかけ、獲得してきた能力でもある。
そして、それが古来より「水はすべての源」と称されてきた所以だ。

「富」とは元来、水とお天道様と人力があれば「得られる」ものだ。
水もお天道様も人力も、三者三様の「価値」を有しているが、元はと言えば「無料(=ただ)」だ。
だからこそ、それらを駆使して得られるものは、掛け値無しの正真正銘な「富」となる。先人たちは、そこに気が付いていたからこそ、日本人なら誰もが「勤勉さ」を身につけた。
私たちが、もしも今でも十分に賢いならば、「唯一の再生可能資源=再生可能エネルギー」の活用をもっと考えるはずだ。
だが、残念ながら、今の日本人には「そうした知恵の片鱗を見出すことができない。」

私たちは、一体どこで「道を誤ったのか?」
それは今まで論じてきたように、グローバル経済が示す「きらびやか」で「王様にしか手にできないであろう財宝のような富」への憧れに端を発している。
だが、その「財宝のような富」は、西洋列強が世界中から略奪してきたものであって、彼らの「強欲さ」が力ずくで獲得してきたものに他ならない。
「財宝」への執念は、その延長上で「資源」へと移ったが、その入手法は「緩和マネー」を使った巧妙な詐取へと姿を変えた。

だが、「緩和マネー」とは言え、「偽札」ではない。
その原資は、超大国と言えども「自国民の血税」に他ならないのだ。
だから、いくらグローバル企業が、「詐取」を繰り返し「高収益」を叩き出しても、財政の赤字は一向に減らない。
そうした必然が、唯一の「超大国」でも起こり、「貧富の格差」はこれ以上なく広がり続けている。
それは、「金融引き締め」を通して為されるはずの借金返済が、棚に上げられたまま、投機に差し向けられているからだ。

詰まるところ、すべての国々が、借金返済のためだけに「血税」の大半を当てている。
一方で、多くの政治家や企業は自分たちが支払うべき税金を「免れる」ために、競って「租税回避行為」を重ねている。
「マネー依存症ここに極まれり」という感が強い!が、これでも「私たち」は、今の資本主義社会の無節操な「不条理や不平等」を許容し続けるつもりだろうか?

私たちは、まず自分自身の「マネー依存症」と正面から向き合い、「マネー依存症」に冒されることとなった「カラクリ=仕組み」に目を向けなくてはいけない。

「依存症」を人のせいにしているかぎり、立ち直る機会は永遠に訪れないからだ。
目の前の現実は、自らが許容してきた結果として「そこにある」。
だからこそ、それがたとえ苦しい「禁断症状」を伴ったとしても、そこから抜け出す「勇気」を振り絞る「道」に、歩を進めなくていけない。
そうしないと、「麻薬中毒患者」の多くが、子や孫たちの将来を奪うように、これからの世代の未来を奪い取ってしまうこととなる。


<私たちは「すべてを失った」と感ずる時初めて、「すべての源」を有していることの本当の意味に気付くこととなる。>

                          (完)


明日はこの後に続いた、EUイギリス脱退に見られる、流れを大先輩が書いていますのでそれを転載します。

まさに、今日本の旧態依然のパイプライン水道事業は終焉に向かっています。

日本をこのようにした、アメリカでさえ、天然水を民間が直に汲み上げ宅配するを、水道としています。

しかし、今の日本は、そのアメリカが腰抜け日本にするために、ガンジガラメの法規制で、天然水を皆様になかなかお届け出来ないようにして、薬付け日本人を大量生産してきました。

そして、麻生さんが言い出したように、いよいよ日本でも水道を民間にとなりだすのですが、彼らは此れをモンサント仲間のベクテル社に売却して、私服を肥やす事に必死です。

さてベクテルに売られたら、更なる薬付け偽ミネラルウォーターを我々は宅配され、本来の日本の素晴らしい伏流水は、全て取り押さえられて、それを高額な値段でtaxheaven大好きな富裕層にのみ手に出来るようにされます。

三宅洋平君が、選挙に勝っても、問題は更に先に山積み。

だからこそ、彼のような方々が日本中に出て、政治が変わるときの為にも、日本の何ヵ所かの小さな伏流水の源を、グローバルマネー資本主義から守らなくてはなりません。

どうか、伏流水サポーターシステムからの庶民がイニシアティブを取れて、庶民が束になって作る、水道事業の雛形になる、アラエビスを応援して下さい。

そして、沢山の憂い感じる方々に伝えて下さい。

グローバル資本ハザールは、今もう払うgoldがなくなり、借金返済の変わりに、この実は誰のものでもない命に関わる天然資源=伏流水を、売却しようとしているのです。