あらえびすブログ

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あらえびす伏流水サポーター活動は保健所大先生のおかげで次に駒を進めます。その前に大先輩の情報を

敬愛するお水のプロ、あえて今は名前を伏せておきます。

 

この大先輩の言葉を暫くは転載したいと思います。

 

 

「何が問題なのか?」

持続可能な事業を、自分たちの明確な意図を持って続ける。事業に重要なことは、拡大ではない。重要なことは、その事業に携わる人たちが、必要とする糧をそこから安定的に得て行くことができるか?否か?だ。喩えて言うならば、それは農業の中に原型を見出すことができる。奴隷に作業をさせていた時代ならいざしらず、近代では農業で大富豪は生まれない。その代わり、農業をしていて「食いっぱぐれる」ことはないし、農業ほど持続可能性に富んだ生業はない。


晴耕雨読」という言葉があるように、自然と共に生き、自分に与えられた時間を上手に使う。その中で自分が持って生まれた力を磨き、身に付けていく。その意味で、第一次産業や製造業は、人間にはなくてはならない業態だ。それは人間の精神衛生を良好に保つという点からも重要な事業だ。その意味で、「天然水という、人間にとって唯一とも言える再生可能エネルギー」を扱う事業が、その必要性を失くしてしまうことはない。

翻って、私たちの多くが「今」携わっている事業に、どれほどの必要性・必然性を見出すことができるか?その事業は、どれほどの持続性を内に秘めているのか?そうした観点から、私たちの社会を再点検してみる必要がある。なぜなら、「不要不急」なものが氾濫する一方で、「本当に必要とされているものが供給されていない」現実があるからだ。「不要不急なもの」がマスメディアを駆使した宣伝広告の力で供給過多となり、需要と供給のバランスは完全に狂ってしまっている。

そして、政府が打ち出す策と言えば、「市中に流通させるお金を増やして、不要不急なものの需要を無理矢理にでも作り、消費者に買わせる」といった愚策の繰り返しだ。題して「金融緩和」策だが、これでは「問題は何一つ解消できない」ばかりか、私たちの未来はドンドンの「手のつけようもないもの」となる。


 

上記のグラフを見ていただきたい。大型容器の宅配業の顧客数や生産量の推移だ。顧客数はサーバーの台数としてカウントされている。グラフの青はリターナブルボトルを示し、赤は大型のワンウェイペットボトル及びBIBを示している。

この5年間ほぼ横這いを示している。これだけ売上が頭打ちになっているにもかかわらず、その裏でプラントの大型化には歯止めがかからず、この業界は完全に自律神経を喪失するところまで行き着いてしまっている。

アメリカで叫ばれた「シェール革命」は記憶に新しい。この「革命」に人々を巻き込むために、石油価格は意図的に上げられた。シェールガス開発の資金調達のために、1バレルを100ドルまで高騰させた。市場という名の超大国は、そんなことすら「お茶の子さいさい」でやってしまう。大統領までが、この似非「革命」を高らかに宣言して見せた。それが、1バレル30ドルまで下がり、投じた資金は「くず鉄」と化した。そして、もう「シェール革命」を叫ぶ者は人っ子一人居ない。

日本に於ける大型容器の宅配業も、「シェール革命」同様、もう叫ぶ者は居ないに等しい。それでも減価償却の済んだプラント等が動く間だけは事業を継続しようと思う人たちが続けている。しかし、このビジネスに「未来」を見出している人は「もう」いない。

何とも寂しい光景ではないか?このビジネスは、「思い込み」で始まり、「思い込み」のままで終わりを告げようとしている。それは、供給する側の「想像力・創造力」の無さ故の結果としか言い様がない。そして、前述のグラフは、日本経済の実態をも象徴的に表している。アベノミクスが巨額の税金等をつぎ込んでも、需要の喚起も、インフレの達成もできず、年月だけが過ぎた。そして、何よりも金融緩和で一番に狙った「通貨安」もまた、「元の木阿弥」と化した。

だが、供給側がお金を掛けて作り出そうとした「需要」は、一部の人々に限定されたものだが、真の「ニーズ」を喚起する作用をもたらしている。その「ニーズ」は、今のところネットを通してしか集めることができない程拡散している。だが、逆に言えば、その「ニーズ」はネットを通せば、集めることができる。

私には、「流れ」を掴んだ確かな感触がある。代理店の人たちからは決して得ることができなかった「勢い」を、一般の人々の息遣いを通して感じるに至っている。

 

 

つづく・・・