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あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

この活動が任意団体『縄文百姓芸術団アラエビス』から始まった意味は!

縄文=ワイルドブレイン

我々がいつの間にか失った、自然界ありきの思考。

これを取り戻せば、様々な『精神的な肉体的な病』は消えて、かつ自然界の復帰を自然界の役割の命達に託せる事で、浅知恵の人類が自然界の怒りに触れずに生きていけるから。

何故雛形が、『山形』だったのか?

ここにはまだまだ、自然界への信仰心の代表である『端山信仰』が残されていたから。

いつの間にかパイプラインで、効率性と経済性を先に考え予定調和を試みると、あまりに後世に『ツケ』を残すから、様々に人類の浅はかな思考を研究して残した信仰心、此れが『端山信仰』なのです。

例えば『口べらし』で山に捨てられた、じい様ばあ様は、端山(500メートルの小さな山で共同体的な知恵者の場を創り暮らしていました)は、実は当時の知恵者的な養老院を立ち上げ暮らしていました。

あくまでも死んだ事にして。

此れは今は、東北の限られた場所にしか、残されていない信仰心。

彼らは後世が、山を売ったり、崩してインフラ開発をしたりしようすると、『先祖のお化け』として村に登場して山を守りました。

村では、長老以外は皆死んだモノと、当たり前に信じていましたから。

「祟りじゃ祟りじゃ!」と、村人に認識を与えて、短絡的なマネーに心を奪われる人類の弱さから来る、結果人類の崩壊に繋がる自然破壊を阻止するという、重要な役割を担っていました。

だから、死後魂は端山に残り、出羽三山に神として昇るまでは、村の自然界の存続の為に半神としての役割があり、それを随行したモノだけが出羽三山に昇格されるとの、神話を築いたのです。

本当の口寄せだけで、確かな老人だけの秘密結社による関係者のみ、知る人のみ知るという『乳母捨て山』という秘密だったのです。

勿論エグい方々には、この秘密が明かされていませんでした。

未だにこのような習慣の名残りが、アラエビスの雛形の地にはあるからこそ、水源地が守られていたのです。

三代先には、僕のような活動に、使命を感じて外から移り住んで来る奴がいるとの事で、自費で林道から水源地に繋がる道を残して下さっていたのは、まさに『端山信仰』のお陰さま。

だから、ここいらでは、皆食いぶち確保の自給農と、共同体でのマネー経済としてのマネーを稼ぐ部門(神主や医者や大工や様々な今は職業と呼ばれる)と、その両方を繋ぐ共同体維持の為のボランティア的な仕事が、正三角形で巧みに組織されています。未だに名残りがあるのです。

そして、そのハイブリット的な全体としての【様】を、『百姓』と呼んだのです。

共同体のマネー経済と害獣(好きじゃいない言い回しだけれども)処理としてのボランティア的な仕事が、【マタギ】だったのです。

又結社としての、重要な資金源稼ぎが炭焼きや山菜取りでした。

この炭焼きや山菜取りで、充分に共同体維持の資金源を稼いでいました。

そして食べ物は、作物を分けあって作り、ダブらないように工夫し、自給農的な仕事に向かない方々には、分け与えながら、代わりに得意分野で物々交換するという、今の我々が考える物々交換ではなく、技術や作業力を貸し合う【結】のシステムが、当たり前にありました。

だから、海外から入って来た(仏教も所詮中国ですから含めて)宗教に頼らなくても、自然界も共同体も維持できたのです。

アラエビスが皆様と仕上げたい、ソーシャルネットワークもソーシャルビジネスも、この自給農と各自の技能が繋ぐ共同体維持に繋がるマネー経済と共同体としてのボランティア的な三つを再現する、正三角形三点経済のチャレンジであります。

それは【温故知新】ではなく、僕らの大先輩ソーシャルビジネスアパレル群言堂をベースに、様々な捨て去られたモノを生かして成り立たせ、辺境に居れる為の仕事を生み出した社長夫妻【大吉さん】の造語を使わせて頂くならば、【復古創新】になるのです。

それがワイルドブレイン=縄文=復古であり、ヒューマンインテリジェンス=アバンギャルドアート=創造だからこそたどり着ける、新しいけど懐かしい人類の未来道なのです。

この未来へ続くコンテンポラリー ロード(未来に必ず人類も自然界も共に生き残る為の確かな道)創造が、アラエビスの仕事なんです。

此れは新しい【端山信仰】の生きた神話の有り様だと、確信しているのです。

だから、この辺では、【商売繁盛】ではなく、【お山繁盛】と声高々に唄いあげ、現代の【家内安全】ではない広い意味での【家内(人類)安全】を祈祷したのです。

さて、百姓についての分かりやすい見解が、Facebookにありましたので、転載致します。



多くの人が本当の意味において「百姓」となる時代が来る

多くの人が本当の意味において「百姓」となる時代が来る 百姓という言葉は「農民」という意味で浸透しているが、言葉の語源は「百人の姓を持つものたち」、つまり一般市民全員を表す言葉であった。従って古来において百姓は、医師であり美容師であり僧侶だった。サラリーマンが優遇されていた時代は終わりを迎えつつある。新しい時代に我々は、「自分で自分の糧をまかなえる」ことを常識としなければならない。
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もともと百姓は農民を意味する言葉ではない

 ”百姓”という言葉を聞くと、読者の皆様はどんなイメージを持たれるだろうか。

 おそらく大多数の人が「農業に従事する人」とイメージするだろう。

 確かに現在、百姓という言葉は「農民」という意味で浸透しているが、言葉の語源はまったくその姿とかけ離れたものである。

 百姓とはもともと「百人の姓を持つものたち」、百は古来の日本で「たくさん」を意味するので、「たくさんの苗字の人々」「一般市民全員」を表す言葉として、古代より使われてきた。

 現代のように百姓という言葉が、農民を指すようになったのは、江戸時代後半から明治時代にかけてのことである。

 考えてみれば、江戸時代以前の国土はほぼ田畑と森林であり、貴族や侍など一部を除けばみな農業に関わっていたはずなので、「すべての人」を意味する言葉として、「百姓」が使われてきたことが納得できる。
百姓は医師であり美容師であり僧侶だった。

 古来の百姓はどのように生計を立てていたのだろうか。

 現在と同じように、農業を専業として生計を立てていた人々もいたが、多くは”兼業”として農業に従事していたことがわかっている。

 大工、鍛冶は、職人あるいは百姓が営んでいたが、木挽、屋根屋、左官、髪結い、畳屋は、多くの場合専門の職人などおらず、百姓が畑の合間に営んでいた。

 宗教者については、寺は僧侶だったが、神職については「百姓神主」の割合がかなり高かったとされている。

 また、医者、商人、漁民も百姓が営むことが多かった。

 七変化とはまさにこのことで、百姓が1つの仕事にとらわれず、臨機応変に世の中から必要とされる仕事を兼業していたことが分かる。

 百姓とは、農業に従事する人というより、”町で必要とされる仕事を数々こなしていた大勢の人々”という意味で捉えることができる。
これから百姓が元気な時代がやってくる。

 現代において、1つの会社に勤務し、その会社へ時間を切り売りした上で、安定したサラリーを得ることは常識となっている。しかしこの就業形態は戦後まもなく始まったもので、まだ70年程度の歴史しかない。

 しかし終身雇用や福利厚生など、サラリーマンが優遇されていた時代は終わりを迎えつつある。新しい時代に我々は、「自分で自分の糧をまかなえる」ことを常識としなければならない。

 さまざまな職種、業態、立場を掛け持って生きていく人は今後どんどん増えていくだろう。世の中のニーズに合わせて七変化する「百姓」が増えていくのだ。

 百姓という言葉が有する本当の意味を知った時に、これからの時代が見えるかもしれない。




ピース小堀氏を支援するチームとアラエビスを支援して下さるサポーターさんは、既に志を共にした、家族に成りだしました。

ですから【家内】は、庶民が自ら【個】で立ち上がり共に助け合いながら、未来の全ての命が喜ぶ雛形を生み出す為のチームなんです。

日本のこのチーム的な【百姓】だから、『百姓一揆』と呼ばれ、此れを外国のネイティブは【バンド】と呼んでいました。

【バント=結】の意味合いなんです。

その様が、ズボンのベルトに意味を与え、ズボンのベルトもバントと呼ばれる由縁なんですよ。

さあ一万名LIVEに結集して、一万名のバンドを創り、それを家内と呼べる百姓的な人類を、【復古創新】しましょう。

一万名が一つに集い、共に進化するならば、僕が先生と仰ぐ植芝盛平翁も肥田春充翁も、そして名も知らない更なる偉大な先生【端山信仰】を共に築いた【数知れない無名の偉人たち】のDNAを継ぐ未来型の家族になり、一気に様々な地に繋がっている共同体が出現し出します。

まさにピース小堀さんが音頭を取る(音頭を取るだけであくまでもコーチであり魅惑な世界を創るのは進化すると自ら決めた庶民の束一万名なんです)一万名可能性無限大LIVEは、本気の闘わない現代社会における未来を勝ち取る【百姓一揆】なんです。

【無限大の個×一万名=無限大の地球の可能性】が開かれます。

このLIVEの本当の主役は、【可能性無限大の個】なんです。