あらえびすブログ

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六月四日、先日家族でお見えになったサポーターさんMr小堀の講演会とウルフ仲間に逢いに秋田にGO!

間違った身体意識程、怖いモノはない。

筋肉を単品で意識する限り、果てしなく迷宮にはまります。

自然に扱える身体は、無意識に蓄積された身体に張り付いた記憶のみです。

頭の中心が宇宙から細い紐で吊り下げられているとか、肛門締めてとか、バレエや武術で使われる語彙も、その感覚を例えるにも達していないのです。

それは、筋肉を単品で扱う迷宮よりも、厄介な迷宮にはまります。

自分の体が、無意識化で扱えるようになると、本当に静かなんです。

肛門が閉まるも、頭の引き上げも、結果なんですよ。

辿り着く方法は、無限大に存在して、沢山の方々に教える程に、沢山の翻訳が必要になる。

約三千名近くに教えて来た身体ですが、教える程に謙虚になり、贈与からしか教える伝えるが存在しない事が、明白になり出します。

全ての運動、話す、書く、パソコンでメールやコメントする、聞くetcまで、贈与の身体性からしか物事は始まらず、それはまさしく自然界と同じ。

差し出すからしか、動きは起きていません。

ひとつ一つの動きを、贈与から生まれる所作にして行くと、その時肛門は締まり、頭は何かとてつもない気づきが起きたように何者かに引っ張られ、様々な身体部品や身体意識で知った様々が既にいるのです。

しかし、贈与というイメージが違ったら、それは全く起きません。

だからこそ、身体が自然に動く言葉の、本来の意味合いを探して行くしかないのです。

身体に起きる様で、言葉を再発見して行かなくてなりません。

内田樹さんの、「街場の文体論」に出てくる様々な言葉を、解説を、身体の様というリトマス試験紙を通して、身体から発掘し直して磨きをかける訓練は凄く大切なんです。

内田樹さんも、さすがに身体から例えを紡ぎ出す天才だなと、感じます。

それは、この辺境の爺様婆様も同じで、まさに身体性を表現するアーティスト!

こう書くと難しそうですが、例えばトイレに行きたい子供は身体性モロ出しですよね。

遊びに夢中になって、トイレに行くを我慢しているとかは更に。

勿論、大人でもそうですが、では身体性が感じられない、言葉や所作になりえていない所作を、日常の大半にして生きていますよね。



Mr小堀氏に、融さんの声は、何処から出てきたのですか?

あの肚から湧き出る伏流水のような声は?


全てを本心で自分を生き始めてからが、答えです。

そして、本心と所作身体性が一致してから。

そうなると、思考と肚が同一な軸を持ちます。

後は、可動域をあげる(出来る限り言葉を探すように)。

例えば、「前屈」に言葉を見つけ出すのです。

僕は、舞踊の回転は、その言葉を見つけれた時に9~13と結果が
自然に出始めました。

そうすると、自ずと道が作成され出します

その道は、上下二つのフィボナッチで作られ、出発点は上は三半規管上にある横軸、下は
股関節上にある軸。

その間で、肺の間の肋骨の可動域をアイソレーションで高めると、情動が豊かになり感情が豊かになり出します。

しかし、上下フィボナッチが創る軸が、この情動によって抜けると、感情の爆発が起きて感情に支配されます。

しかし全てを、身体性と言葉を繋ぎ合わせ、その上で繋ぎ合わせが抜けない文体のスキルを上げると、始めて身体性の時間軸を動かせるのです。

明日収録の、融ちゃんラジオや、身体ワークvol6をどうぞ役立てて下さいませ。