あらえびすブログ

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内田樹さんの本から素晴らしい内容を その2

「疎外された労働」を書くマルクスはかなり熱いです。読者のみなさんには、それを感じてほしいと思います。地代とか利子とか労賃について書いているときより体温が上がっている。

 それだけ、「疎外」という言葉はマルクス自身の身体実感として、ということは19世紀なかば、ヨーロッパ資本主義の勃興機においてリアルだったんだろうなと思います。

 ここに伏流しているのは、同時代の労働者たちのあまりに悲惨な労働状況への憤りと、そこで苦しむ労働者たちをすぐにこの劣悪な労働環境から救い出さなければならないという焦燥感のにじむ使命感だったと思います。

資本論』には、当時のイギリスの労働者たちの就労の実態についての報告書からの引用にかなり長い頁数が割かれています。「疎外」という語にマルクスが託した実感を知っていただくために、いくつか紹介しておきます。


「1836年6月初頭、デューズブリ(ヨークシャー)の治安判事のもとに告発状が届いた。それによるとバトリー近郊の八大工場の経営者が工場法に違反したという。これら紳士たちの一部が告訴されたのは、彼らが12歳から15歳までの5人の少年を金曜日の朝6時から翌日の土曜日午後4時まで、食事時間および深夜1時間の睡眠時間以外にはまったく休息を与えずに働きつづけさせたからだという。しかも少年たちは『くず穴』と呼ばれる洞窟のような場所で休息なしに30時間労働をこなさねばならない。そこでは毛くずの除去作業がおこなわれるが、空中には埃や毛くずが充満し、成人の労働者でさえ肺を守るためにたえず口にハンカチを結びつけておかねばならない」

 この経営者たちはそれぞれ2ポンドの罰金が科されただけでした。

 児童労働者たちは「ぼろをまとい飢え死にしかけた、まったく放ったらかされ教育を受けていない子供たち」であり、「夜中の2時、3時、4時に、9歳から10歳の子供たちが汚いベットのなかからたたき起こされ、ただ露命をつなぐためだけに夜の10時、11時、12時までむりやり働かさせる。彼らの手足はやせ細り、身体は縮み、顔の表情は鈍磨し、その人格はまったく石のような無感覚のなかで硬直し、見るも無惨な様相を呈している」ある製造業における調査では、聴き取りを行った労働者のうち、「270人が18歳未満、40人が10歳未満、そのうち10人はわずか8歳、5人はわずか6歳だった」

 婦人服製造工場で死んだ少女の検死報告には「他の60人の少女たちとともに26時間半休みなく働いた。30人ずつ、必要な空気量の3分の1も供給されない1部屋におしこまれ、夜は夜で2人ずつ1つのベットに入れられる。しかもベットがおかれているのは1つの寝室をさまざまな板壁で所せましと仕切った息の詰まる穴ぐらのような場所だった」

 彼らはその劣悪な労働条件ゆえに。肺炎、肺結核、気管支炎、喘息、肝臓腎臓障害、リューマチなどに罹患し、年若くして苦痛に満ちた人生を終えたのです。

 マルクスが「疎外された労働」という言葉で言おうとしていたのは、こういう現実です。
「労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分の向こうがわにつくりだす疎遠な対象的世界がそれだけ強大になり、彼自身つまり彼の内的世界はいっそう貧しくなり、彼に属するものがいっそう乏しくなる」というのは単なるレトリックではありません。先ほどの婦人服工場の少女が死ぬまで働かされたのは、「外国から迎え入れたばかりのイギリス皇太子妃のもとで催される舞踏会のために、貴婦人たちの衣装を魔法使いさながらに瞬時のうちに仕立て上げなければならなかった」からです。痩せこけた少女たちが詰め込まれた不衛生きわまりない縫製工場で作られた生産物がそのまま宮廷の舞踏会で貴婦人たちを飾ったのです。その現実をみなさんの想像力で脳内に描いた上で、次のようなマルクスの言葉を読んでほしいと思います。

「労働者はみずからの生命を対象に注ぎこむ。しかし、対象に注ぎこまれた生命はもはや彼のものではなく、対象のものである。・・・彼の労働の生産物であるものは、彼ではない。したがって、この生産物が大きくなればなるほど、労働者自身はそれだけ乏しくなっていく。労働者がみずからの生産物において外化するということは、彼の労働がひとつの対象に、ひとつの外的な現実存在になるというだけではなく、彼の労働が彼の外に、彼から独立した疎遠なかたちで存在し、彼にたいして自立した力になり、彼が対象に付与した生命が彼にたいして敵対的かつ疎遠に対立するという意味をもつのである」

 マルクスにおける「疎外」というのはこういう事態のことです。自分の骨身を削って作り上げた商品が(縫製工の少女にとって宮廷舞踏会で貴婦人たちがまとうドレスのように)自分にはまったく疎遠なものとなる。それどころか、それを着用している当の人々こそ少女たちを抑圧し、彼女たちから収穫する体制の受益者であり、支え手でもある。これが「疎外」の構造です。労働は「宮殿をつくるが、労働者には穴倉をつくりだす。それは美をつくるが、労働者には奇形をつくりだす」というのはレトリックではなく、19世紀イギリスにおいて、「穴倉」は文字通り「穴倉」であり、「奇形」は文字通り「奇形」のことだったのです。

 前の書簡にも書きましたけれど、マルクスの倫理性というのは、この自覚があった点に存すると思うのです。マルクス自身はブルジョワであり、彼が引用していたような苛酷な労働の経験をもちません。けれども、つよい共感力と想像力をもっていた。

 マルクスは弱冠24歳で「ライン新聞」の主筆になります。そのあともずいぶん貧乏はしていますけれど、「穴倉」や「奇形」を経験したことはない。盟友エンゲルスは富裕なブルジョワの家庭に育ち、所有する綿工場を経営するためにマンチェスターに派遣され、そこでイギリス労働者の劣悪な労働環境を知って驚愕するところから政治思想に目覚めた人です。エンゲルスの最初の著作は『イギリスにおける労働者階級の現況』ですけれど、それは次のような文章から始まります。

「労働者階級の現況は今日のすべての社会運動の真の基礎でありかつ出発点である。なぜなら、それはわれわれの時代における社会的悲惨さの最高の、そしてもっとも露わな頂点だからである」

 疎外論の出発点が「自分の悲惨」ではなく、「他人の悲惨」に触れた経験だったということ。マルクスは「私たちを疎外された労働から解放せよ」と主張したわけではありません。「彼らを疎外された労働から解放するのは私たちの仕事だ」と主張したのです。この倫理性の高さゆえにマルクス主義は歴史の風雪に耐えて生き延びることができたのだとぼくは思っています。

 若い人たちにぜひ読んでほしいのは、「疎外された労働」について語るときのマルクスのその熱さです。貨幣や地代のことなんか、極端な話、どうだっていいんです(なんていうと石川先生に起こられちゃうけど)。マルクスの人間的なところは、「疎外された労働者」たちのことを考えるとつい興奮しちゃうところなんです。アンフェアな社会の実状を看過できないところです。1人の青年が「人間的に生きるとはどういうことなのか」を突き詰めて、その当時の思想や学問を渉猟し、採るものは採り、棄てるものは棄てながら、全速力で「自分の言葉、自分の思想」をつくりだしてゆく、その切迫感を若い人にはぜひ感じ取ってほしいと思います。




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