あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

又々イヤシロチやアラエビスの活動に、嬉しいご報告を頂きました。

先ずは福岡の伏流水サポーターさんから、地震と生きた水の関係のご報告を頂きました。

我々『辺境文化研究所 フロンティア アートデザイン インスティチュート あらえびす』と致しまして、自然界の生きたホメオパシーとしての水が、写し鏡として地震にも味で呼応して人類に教えて下さるも、凄く新しい情報で嬉しい限りです。

此れが予知にも、なったりするならば、我々辺境文化研究所 あらえびすとしても、自然界が教える異変としての警告を、人類の役にたつ素晴らしい贈り物として自然界や辺境あってこそ、グローバル資本主義のズレを取り去るモノとして、もう一度自然界を我々の命の中心に戻せるから感じて考える脳を育てられるのだと言う気運を復活させて行けるのではと感じています。



お水、早急に送っていただきありがとうございました。

九州の水を飲みなれている私には、最初、鉄分が多くて少し渋いかな?と感じましたが、飲むと胸がポカポカ暖かくなり不思議でした。これもフルボサンのお陰でしょうか?

先日の地震の後には、水の味がしょっぱくなり、とても驚きました。その2日後は元の味だったんですよ。生きてる水。驚いていたのでしょうね。

地震が収まってくれることを祈ります。



そして、もう一方は、イヤシロチのご報告です。

流石に、施術をお仕事にされていらっしゃるだけあり、素晴らしい視点からのご報告です。


あらえびすの皆様

おはようございます。
イヤシロチグッズをお送りいただきありがとうございました。
昨日、無事届きました。

第一印象というのは
とても大事なもののように感じているので
とり急ぎ、そのご報告です。

肚用イヤシロチに関しては、
私は腰痛は無いのですが
股関節に構造的な難点があり
股関節や仙腸関節には負担がかかりやすい傾向がありますので
仙骨側に当たるようにして身に付けてみました。
まず、付けていると仙骨周囲がとても暖かくて気持ちが良く
仙骨、恥骨、股関節の連携が良くなって
脚の動きが軽くなるのを感じました。
つけたまま寝ると、朝起きた時の腰がいつも以上に軽く
下腹部にも自然と力が集まる感じで
「恥骨から動く」がより自然に成される感覚があります。

また、△のグッズはとてもパワフルなのではないでしょうか。
私は気功等はしませんが
それでも、その周囲での対流が見えるようで
場が整う感触を覚えました。

試しに自宅にも持ち帰って一晩置いてみたら
まず、飼っている犬に変化が表れました。
ブリーダーの飼育放棄という経歴のある保護犬で
飢餓状態を経験したこともあってか
食に関してはかなり貪欲で
いつも、息継ぎもしないでご飯を食べるかのような
がっつき具合なのですが
今朝は、最初調子が悪いのかと思ったくらい
そのがっつきが無いのです。

腸が活発に活動しているのか
キュルキュルと鳴り続けていて
お腹でもこわしたのかと思ったのですが
でも、その後暫くして
いつもよりゆったりとしたペースで
しっかり完食しましたし
便も正常、今は満足したように
気持ちよく眠っています。

過去のトラウマから
やっと解放されたのかな・・・
という印象を覚えました。

また、何か気付いたことなどありましたら
ご報告させて戴きます。

ありがとうございました!




いよいよ倶楽部ハウス建築が始まるだけに、再度我々が目指す先をハッキリさせて下さる内容でした。

僕は、辺境に何としても拘っています。

アチコチの脊陵山脈、即ち山岳県境の今の現状こそが、教育や自然界をも商品としてしまうアメリカ型グローバル経済の現れとして、ハッキリと現れています。

もう、災害をも事後処理ではなく、当たり前なモノとして感じて生きれる仕組みが必要です。

自衛隊や国よりも、自分達で明日の生活を直ぐに再建出来る、ワイルドな強さが重要です。

と同時に教育さえも、自然界さえも、今ではすっかり商品として今どれ程に直ぐに役立つかからしか考えない子供を作り出している家族関係にも、親御さんやお子様をお客様扱いして、投資対効果で考える、今のグローバル経済家畜化子羊お客様意識を、即ちグローバル資本のつけがいよいよ顕著になりだした子供と辺境をこそ結びつける『場』が大変に重要になりだしました。

自分達が考えて、集い行動し現実を作り出して行くならば、ふわふわスピリチュアルもガチガチスピリチュアルも、この世から消えるのですから。

では内田樹さんのこの内容を。


教育問題の「犯人探し」はもう止めよう 今日は私の勝手でこんな時間に講演を始めさせていただいて、申し訳ございませんでした。昼から午後三時まで、私は芦屋で合気道の指導をしておりまして、それをすませてからこちらにうかがいましたので、少し遅くなりました。それで普段の講演の時はもう少しちゃんとした格好なのですが、今日はそういう事情で非常にカジュアルな格好で参りましたこと、どうぞお許しください。 今ご紹介いただいた通り、私は神戸女学院大学で教師をしておりまして、専門はフランス現代思想で、他にも武道論を中心に研究しておりますが、近年は大学をめぐる状況が危機的だということもあって、教育現場から講演のご依頼を受ける機会が増えてきております。他の講演はほぼ全部お断りしているのですが、教育現場からの講演依頼だけは万障繰り合わせて引き受けるようにしています。 もう三、四年前の話ですが、『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)という本を書きました。教育に関する議論はつねにかまびすしいわけですが、特に二〇〇三、四年頃、日本のメディアの論調は「すべての教育問題は現場の教師に教育力がないからだ」という議論にほとんど集約されるような雰囲気がありました。その時に現場の教師にエールを送るような発言をしている人がメディアにほとんど登場してこないことに苛立ちと憤りを感じました。ちょうどその頃、筑摩書房から「中高生向けの本を何か書きませんか」という依頼があって、「内田さんが今、中高生に一番言いたいことは何ですか」というので、しばらく考えて……「先生はえらい」という言葉かな、とお答えしました。 そうした根本的なところから立て直していかないと、日本の教育問題は解決しない。現場では教育崩壊とか学力停滞とか、さまざまな否定的な現実があるわけですが、その原因は誰にあるのか、文科省が悪いのか、現場の教師が悪いのか、親が悪いのか、それとも子ども自身が悪いのか……すべて「犯人探し」に終始している。原因を特定し、元凶とおぼしき人や組織をつるし上げてバッシングする、それを教育論であると思っている風潮がありました。そうした不毛な教育論議にはもう終止符を打ち、より建設的な方向に議論を向けなければ、と思いました。


キンドルでのコピペですからこの章の全文は、無理ですから導入だけを。

素晴らしい内容ですから、是非とも『最終講義 生き延びる為の七講』を(書籍は六講)をお読み下さいませ。