あらえびすブログ

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今の人類が欠落していて、そこを取り戻すならばまだまだ未来がある!それを赤坂憲雄氏の岡本太郎論から

暫くは、赤坂先生から見た岡本太郎論を元に、今の僕らが取り戻さなくてならない、人類としての「我(われ)」について考察してみたい。

いつもそうですが、先人から学ぶ事は、山ほどありそれを下らないカテゴリーに当てはめて、さも解ったかのようにして、未来を創る創造力の為の思考開発を止めない事である。

シュタイナー的に言うならば、思考そのモノを考えるのであって、今の思考力を信じてしまわない事が、凄く大事だと感じています。

そこには、身体不在思考を越えなくてはならない。

そして、そこから今の人類の、脳の使い方を再度見つめ直さなくてならないはず。

ごく当たり前だが、考え方が変われば、世界は変わって捉え始まるから。

だから、武術から生活までの様々を、コメントで書いて下さっているように、ソマチッドまで落として、ソマチッドの気持ちを想像して(此れは以前書いた亀虫先生後藤さんの本に出てくる
炭焼き職人タイチちゃんのように、動物の気持ちになって感じるが、凄く大事。)その上でカテゴリー分けしていない全体の動きにある、パターンを読み取る必要性が凄く重要です。

まるで、鰯の大群の動きを思考するように、脳と体の繋がりから生まれる動きに着目するが、進化への鍵だと、僕は思っているのです。

そのように、武術やらダンスやら自然観察やら文化人類学を、様々な記述から創造し直してみるわけです。

体で記述を読み直してみる。

けして、カテゴリー分けの為に、読まない癖をつける。

そして、日常の所作を、その状態でし続けていくと、そこには、正三角形やら正四面体やトーラスや渦巻きやペイズリーが、見え出すのです。

そうなると、もう悪魔教とかカテゴリー分けしていることが、凄く勿体無いわけです。

体で学ぶ事は無数にあり、その学びにての生活所作次の一歩に、それを表現する。

此れが、芸術なんじゃないか。

アルゲリッチ(ピアニスト)や岡本太郎は、その上で凄く素晴らしい題材になるのです。

では、そんな題材として、赤坂憲雄先生の「岡本太郎の見た日本」から人類に必要な進化のツールを探りましょうか。

そして、それはラジオでどうぞ。

テーマは「未来に目指すのは身をやつした庶民」副題 こまっしゃくれた庶民にはなるな!あなたの中心は心にある辺境!記録と記憶の違いを今は必死に身につけよう!