あらえびすブログ

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もう既に思考優先のイメージを越えなければポールシフトを越える核変伝導心体は手に出来ない!

既にイメージ化された、丹田や経絡や気はない。

しかし、存在はしている。

即ち人類が使い古した思考での、イメージ化された丹田や経絡や気はないが、存在しているのだ。

それさえわかれば、知る必要がない。

血液循環と同じなのである。

イメージの具体化が一番危険である。

結果から結果を追うのではなく、地球の重力の影響を受けないかのような、自主自由の境涯。

実体の前にある言葉が邪魔する。

生きた言葉を受けてれるには、ある状態に至っていなくてはならない。

だから、分かりやすいは危険なのである。

今まで、武術をやったとか、舞をやったとか、こんな生業で経験と知識と体感があるではなく、ポールシフトを越える人類になるためには、絶えず真剣に進化の境地を目指している事こそが、実は丹田や経絡や気が血液同様に巡ると言う、一番のスイッチなのである。

だから分野を離れ、「進化の境地を遊ぶ」を真剣に生き始めた時に、僕は中心が宇宙の中心と合致する感覚を、始めて知ったのです。

その「絶えず真剣に進化(生き抜く)を遊ぶ」が自然界です。

彼らには大脳新皮質の発達はありませんから、いつも自然な状態で生きているわけです。

アラエビスの「ウルフ」達から学ぶのは、まさにそこですね。

自然界から取り残されたのは、人類ではなく、人類の思考だけです。

体が先にする、「体認」は未だに自然なのであり、「真剣に進化を遊ぶ」時に後付けで、丹円が経絡が気の流れが始めてワカル(体認)されるのです。

そして、これは意拳の光岡さんが言われる、特に喉が乾いて乾いて仕方がない時にコッブに手を伸ばす、その誰もが体認かあるその動作の中に本質があり、これが常に全てに対して出来る時に核変伝導が出来ているわけです。

分からないものを分からないままに矛盾なく取り扱うという、甲野さんがよく言われる事に繋がるわけです。

分かるは「確認」で「体認」にはならないのです。

旧態依然のイルミナが提示する、分野での成功は小成であるわけです。

だから進化の為には、ツールを目標にしているうちは、手に出来ないわけで、例えばダンスで進化するには本当の目標に向けて、自分を全部賭けていなくてはならないのです。

それが、ズガジャズの慎ちゃんが目指しているユニティーであるのです。

例えば、僕がこの活動でここにしたのも、YOSAKOIのイデハ組のマキト(今ではアラエビスの時期代表)が、貧しいゆえに野生な身体で山で川でオヤツを入手している身体での体認の積み重ねが、ダンスに表現されていたからで、ダンスのエクササイズではないのです。

「小成が大成を妨げる」になるのです。

間違った方法で失敗するは構わないが、間違った方法で成功してしまうのが最も危ういわけです。

身体が知っている事を思考が知る時代が、新しい地球人類の万年続く新世界なのです。

ですから、核変伝導力を手にするには、「人類にとっての自然を今後もずっと探求する」を生きれば自ずと手に出来るのです。

昨日サポーターさんが、presentしてくれました掛け軸は、まさにそれは笑い遊びながら進化するを理解して下さっていました。

これも、無意識から出た漢字の配列。





そして「精神」とは、まさに更に人類進化を即す為のオモイの事だと、僕は感じています。