ゴミがあるのではなく、ゴミと言ってしまう左脳で創造性を放棄したのです
今日は御所山(皆様の水源がある黒伏山含む)への、お礼参り登山。
サポーターさん四組と僕含め四名以外のスタッフが、登ります。
この間に、スタッフのシゲちゃんは、植物狩猟の巨匠と御所山深山に足を運んで沢山の天然キノコを頂きました。
昨日も天然ナメコとぶなしめじの、ポタージュ。
猪の煮豚コンソメ風味。
ナメコ炊き込みご飯。
ブナ茸のカボス酢の物。
そして、猪煮豚に使ったsoupで、煮込みカレーうどんをふるまいました。
今日は登山後に食べていただく、天然ナメコ入りの芋煮を用意しておきます。
重要なのは伏流水や昨日のキノコを食す身体性と一致する山全体に身体全体が出逢うことです。
そして、帰ってもう一度その山のキノコを、身体に取り入れる。
まるで山そのものに自分を感じる。
此れを感じ取れる部分が、綱渡りの間脳です。
ネイテイブの生活から育まれた間脳は、こうしたらこうなると言うワークや都市的な旧態依然の市場原理や生活やevent、スポーツでは、残念ながら身に付きません。
常に全体=原理原則があって、それに左脳と右脳両方のその瞬間瞬間のおとしどころを、身につけて行くのです。
だから時間がかかる。
けれども、その時間は無限大に進化していく。
よく左脳で捉える無限大の一面体ではない。
無限大の交差点がフィボナッチを描く。
此れこそが無限大。
綱渡りの瞬間瞬間を繋いでいく。
だからこそ、綱渡り。
立体化するなら、空中ブランコ。
さらには、シルクドソレイユのブラックデス。
そして、この動物脳である間脳は、フィボナッチで繋がないと進化にならない。
今の戦争もこの間脳一点で停まって、全く繋いでいないから起きるのです。
だから、旧いものや残り物や一見時代が生み出したゴミを、全く新しいものにリニューアルするのです。
ゴミがあるのではなく、ゴミと言ってしまう左脳で創造性を放棄したのです。
そして、左脳の否定は違うのですが、左脳や右脳で停まってしまうことには全否定を自分に申告しなくては、間脳は動かないのです。
同じく右脳の、能天気も違うのです。
人類は左脳が行きすぎると右脳を使いその間に左脳を休ませ、ここをいったり来たりをしてきました。
間脳では、打ち上げや気分転換は、わざわざしなくては良いので、理解できると凄く単純なんです。
それを、アバンギャルドと言い、連鎖調和と呼ぶのです。
フィボナッチの道を平面化での無限大の交差点で繋いで、幾何学が生まれ、それがフラワーオブLife=マンダラになり、それをチベットのモーツァルトと呼ばれる本当の知は、自然界をみて既にマンダラと捉えていたのです。
そして、このマンダラ思考を日本で始めてそれを体系化したのが、南方熊楠なのです。
今、やっと熊楠を、時代が必要とし始めたのです。