あらえびすブログ

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遂に事務所が完成。

味噌工房の、作業台や作業テーブルが、バーカウターやバーベンチになると言うDIYと、事務所に巨大なテーブルを創りパソコン仕事事務仕事をしやすくしました。

 

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そして、カンジャケ干し使用の納屋の、リニュウアル。

これに、男子部屋とアパレル和室兼アヤヤ部屋味噌工房と魅素カフェがある駐車場の外壁と、鮭工房の外壁塗りを【真っ赤】に塗りあげます。

 

何れはカンジャケ干し工房には、大きな鮭の絵を描いて頂きます。

名実ともに、辺境部落の仕事になりだした暁に、アートな絵を描いて頂きます。

 

この鮭の回りには、ウルフランが創られ、動物、自然界との境界線で護る、ウルフがいてくれて、この辺境の風や伏流水があるから、美味いカンジャケ干しが出来ると言う図式を、表現したい。

 

朝のミーティング勉強会でやっている最近のテーマは、二百年でレッカした資本主義に【手を打つアバンギャルドアートな成長しないから喰って行ける経済雛形】は、ジックリ二百年かけて創り出す必要があり、二百年かけるから重要だって事。

 

勿論、資本主義による国レベルでの水源ベクテル社への売却は、近々ですから何としても一万人サポーターは頑張って、獲得していくしかない。

 

地球的な資本が、資本主義都合の国による生き残りに利用されては、【お天父さんに申し訳ない】。

 

お天父さんは、人類のためだけに、この素晴らしい水源を、創って来たわけでもなく、ましてやマネー経済で生き残る資本主義のために創って来たわけではないのですから。

 

そして、地下資源の石油と同様に、人類が計り知れない埋蔵の伏流の意味があるのだから。

 

それは、せめて二百年スパンで観ていかなくては、絶対に見誤り、後々に大変な事になっていく。

 

最近、熊の人類に対する驚異が、沢山報道されて、我々の【ウルフンエキス】も、いよいよマスコミで取り上げられるけれども、そもそもは我々人類の身体性の欠落のつけ。

 

そして、せめて生きている間に、若者に引き継ぎして頂く型を創作するという、【公人】としての重要な使命が我々60代間近にはある。

 

そこには、地元の雇用も含まれている。

増えたスタッフ、総勢7名と、僕も含めた前スタッフ7名、それにどうしても生きているうちに雇用を実現し続けていく地元スタッフの走りとしての3名、総勢十七名が暫くのスタッフの人数だろう。

 

二百年後には、サポーター一万人に何らかの雇用と、完全なる福祉をこの活動で実現されていて、この雛形は新しい民=【新夷】の一つの生き方雛形として、世界に向けて発信出来ているを目指しているのです。

 

二百年のスパンで観れたなら、それは間違いなく、ネイテイブインデイアンと同じ視点で生きるを、旧態依然の資本主義を生きてきた自分の身体に載せれる。

 

結果は、結局何年スパンで今を生きているかで自ずと決まってくるんだってことを、頭ではわかっていたけれども、それを身体感覚に確りと根付かせれたのは、二月に来る最終の18歳のスタッフを含む、今回の七名新規スタッフのお陰である。

 

この一見マイナスな受け入れは、ピースちゃんの一万人ライブ完全応援と同じく、短いスパンでは相当のマイナスを背負い込むけれども、二百年スパンではあくまでも人類史上においての初めてのチャレンジの一つでもあるのだから、背負い込むから生まれでる新世界なんです。

 

僕としても実感として、二百年後を背負った感覚は、始めてです。

先ほどから書いているように、背負った感覚は頭でも想像でも無理で、どう背負ったかも解らなく分からなく判らなく、気がついたら背負わされていたが正解。

 

即ち、やっと地球が、こいつならやるかもと、背負わして下さったのです。

 

瀬降り物語のセブリを、背負わす為降ってきた地球の畏怖と畏敬の念からのプレゼントと、身体で感じて受け取ったこの、【受け取った感】が贈与として成立するためには、言い換えるならばそもそもそのような贈与の身体感覚が経済の発祥なのだから、その地球も認める経済の道をこの世に産み出したいのならば、僕が背負わされて背負ったこのモノは余りに大きくて、二百年先までお返しし続けるモノだったのですよ。

 

そして、背負わされて背負ってみると、身体ワークはこの感覚に人類を運ぶものを、目指していたのかと、更なる中心の中心に僕を運んでくれた、地球から受け取った身体ワークだったとも言えるのです。

 

妙にスッキリハッキリと、言い切れるのです。

素粒子になっても生き続ける意思という壮大な意思を、贈られました。

 

そして、迷うことなく受け取りました。

更なる気付きとしては、僕は一生パイオニアとして、死んだ先の先に結果が見え出す事にチャレンジしたくて、今生生まれて来たのだって。

生きているうちに見える結果は、僕が魂で決めた生き方では、一切が途中経過でなくてはならないだって。

 

一番近い自分の打ち上げは、葬式だって。

 

だから、休むことも一息つくことも、自分が自分の生き方に一切合切求めてはいないのだとの確信は、この活動の壮大な本当の中心に、今やっと自分の中心が運ばれたんだと。

 

今僕は、魂が震えています。