男子部屋出来上がりました。後は棚や様々なものを創るだけに。
床張りが終了。
壁塗りも終わり、後はアーティストに絵や書を描いて頂く。
アヤヤが、ストライプの壁に、僕の影を掻きました。
伏流水ボトリング場と事務所コーナーも床が終わって、後はテーブルなどを創って設置のみ。
今日から、カンジャケ干し場の作成と、和室製作にかかります。
昨日はシゲちゃんが、元部落の民で、僕のお話会によく出てくる山菜キノコ採りの名人Mさんと、水源のヤマニ入って十キロの天然キノコ狩りに。
朝の五時に☔の中出かけ約十時間。
なかなか喰えない、ブナだけを採って来てくれました。
夜はブナだけの、お蕎麦を創って食べました。
美味さは、格別。
食後は皆で、山河で生きる人のお話【瀬降り物語】DVDを見ました。
三ヶ月体験のシュンシュンや、二泊でお越しのサポーターA子さん、スタッフと観た後の印象を語って頂きました。
僕は単に、ヤッパリ身体感覚があっての生きざまは、生活の糧を自然界に任せるから身体に根付く、畏怖と畏敬の念の融合コラボが、グローバルな流れに身を任せる生き方とは違う可能性を生み出せる、決定的な違いなんだと再確認しました。
行き詰まるグローバル資本主義ベースの生き方。
その先にある可能性基礎は、ヤッパリ山河の人としての生き方に、先ずは根付く気構え。
よく様々な成功への道を語る方のお話にに出てくるのですが、そう決めたら他のツールの可能性を絶てるか否かが、重要な鍵だなって。
それが【肚】が決まっているか否かなんじゃないかな。
そこがスタートであるのだから、旧態依然の可能性を先ずは決めた自分が、生きるツールから外す勇気。
此れが実は一番試されていることなんじゃないかなと。
やはり、ジャッチは地球と、決める事、そして貫く。
昨日の朝の勉強会にも出てきた、哲学って、肚があるなら、迷わずに全身全霊で応援出来る人を哲学がある人なんだって。
地球ジャッチの地球人同士として、【肚】があるか無いか。
ただそれだけじゃないかな。
例え、その方とツールが違っても、【肚の気構えがあれば必ず融合される】との哲学への信頼。
一致は具体化されたものでなく、【肚】があるのかだけ。
肚同士が響合う。
此れを、僕は響命市民と呼んで来た。
そして、自分の根として身体に身に付いた【肚】が全ての命にある【肚】と、一致をみる事が仙骨の振動を生み出し、此れを感動と呼ぶのだなって。
果たしてその先に、新たな経済を生み出せるか否か。
まだまだ、グローバル資本主義に対抗出来る、正三角形経済に育ってはいないアラエビスですが、その種は二千名サポーターさんと言う形で、既にめを出して育って来ているのですが、此れが一つの移行期のmovementと言う大きな木になるか否かは、まだまだ未知数。
そこに必要なのは更なる、【肚に存在する哲学】の、栄養度。
そこに、更なる栄養を供給するのは、更なる自然界とのコラボが生み出して、自分の中に蓄積する腐葉土のような畏怖の念と畏敬の念。
そこには、キノコから様々な恩恵が命を生み出し、恩恵が中心のブナのみだけではなく、動物にまで到達するほどの肚の懐の深さを生み出す。
倒木のブナさえもが、栄養になってキノコを生み出す。
そんな地球の肚に、自分は少しでも生きているうちに近付いて、その差を少しでも埋めていく、それが僕にとっての生きるなのです。
キノコから、ブナ、動物、鉱物まで生み出す自分。
その自分は肚そのもの。
肚を完全に自分と呼べる男になりたい。
結果は自ずとついてくる。
その結果は、全てを肯定出来る。
何故ならば、肚で生きたときに、ジャッチは地球そのものであるから。
植芝盛平翁の【我即宇宙の中心】はそれだって、今ではその境地を手に出来るギリギリまでは近付いて来ている。
そこに己が到達した時に、伏流水サポーター一万名は現実のものになるのです。