あらえびすブログ

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やっと冬が「無」からやって来ました。予定調和に慣れた人類をシュミレーション思考から脱皮させる為に

存在とは?

利害損失の計算や、守るべきものがあるや、誇示するものがあるや、身体能力が高いから優位であるなどの、シュミレーションをしている限り、絶対に間に合わない。

その全ての、高々5%の脳の慣れ親しんだ、外の世界を把握してきた受け皿を外す時に、存在のみになる。

呼吸するような自然な攻撃性に対して、「感じて応じる」なんて対応では絶対に間に合わない。

今まさに、これ以上地球が本来向かう事に助力する為に生まれた我々が、又々地球にない予定調和という暴力を使い我が物顔で自ら招いた限界値を、地球が人類にNoを突きつけ始めたわけで、そんな時にシュミレーションしようがない、自然界の自然な攻撃性に同時に生起する攻撃性を人類も持てる自然の一部にならなくてはならなく、それは今までのシュミレーション的な想定内での敵に攻撃性を見いだしているようでは、間に合わないのである。

シュミレーションだから二極化が起きるが、自然な攻撃性は一体化してしまうから、そこには敵味方や善悪がない。

相手が攻撃的な時には、結果一体化してしまう攻撃性により、連鎖調和を生み出し、相手が穏やかになれな穏やかになる、連鎖調和が生まれるのである。

前後でも、因果でもない同期が、「機」なのである。

それは、全てを完全に受けなければ同期、即ち「機」会を、逃すわけで、だから今の人類は余りに反応が遅いのです。

失敗は全て、原発のように想定外に出来てしまう。

その反応が早い、刺客のような瞬間に、有無もなく斬られない為には、同調してはならないわけで、しかし同期するからギリギリをかわすのですよ。

だから「覚悟」の稽古が必用だと、一目おく、武術家光岡氏は言うのです。

覚悟即ち、目を覚ませは、シュミレーションのフィルターなど、実はなんの役にもたたないという事を知る事。

だから、うだうだと、イヤシロチの効用などを聞いて理解してでは、実はエネルギーを自ら欠落している、即ち頭が先に納得してからという後手にまわり、地球の「機」を逃しているから相当にマイナスから始まっていることに気づけないのです。

だから、目の前に起きる全ては、否定や肯定の対照にしているならば、その瞬間に覚悟していないになっている。

ゆえに、陰謀論や俄スピリチュアルは、今の政治家となんら変わらない。

覚悟したなら=スピリチュアルが本当。

覚悟決めたから俺は大丈夫と、自分に信じこませるは、全く覚悟していない。

positive思考も自己啓発もなく、全てのフィルターを取り払い目を覚ましてやるだけが、覚悟だからハットする所を見て繋いでいくのみ。

ハットするが「場」が点であり、それを三点で繋ぐ、即ち「機、位、間」で繋ぐならば、正三角形以外にはなりようがなく、その全ての点が目指せる点が、0であり、だから正四面体になるのです。

0、1、2、3以外は多でしかない。

これを平面化すると、正方形なだけ。

即ち立体は次の平面を創る。

ならば点から線になり平面型になり立体になったのです時に、又々平面化が始まる。

これが野生幾何学身体であり、そこから球体思考、即ち環が輪が和が生まれだす。

そして、点は点では理解出来なく、機、位、間でしか捉える事が出来ない。

その結果生まれでるが、必然性なわけで、必然性を予め思考で用意した巷に溢れる必然性は、必然性ではない。

向かうから勝手にやって来たモノ(殆どが予定調和思考ではマイナスにしか見えない)を、4点の1つに招き入れれた時に、必然性になるのです。

しかし、口でいう程に簡単ではないから、沢山稽古はさなきゃならない。

これがアラエビスの様々な活動に、更に一歩進んで加わるなんです。

そして、例えば目の前にあるコップを評価した内容にではなく、そう今は評価する自分を発見しただけにすると、陰謀やスピリチュアルはコップを評価してると変わらない輩が殆どなんです。

だから、自分の中の何処を見るかを稽古しないと、その時に慌てたり、過去にすがったりしてしまうのです。

その為に、殆どがムカつくや気分がいいで、終わるのです。

知識や情報といった、実はその瞬間古いものの使い回しでは、未來どころか今にさえ生きないわけです。

行に徹する。

行いや実際の生活から離れないで、進めるスピリチュアルを実践すると、概念や論理が先走った、浮き上がった行為や行動にはなりようがない。



光岡氏のあとがきが素晴らしいので、そのまま抜粋します。

どこの国でも無能な者は無能である。
常に問題を起こし、掘り返し、「問題を解決する」と言っては更に事態を悪化させ、最後には責任転嫁する。
こういったプロセスを、共同幻想を持ち出して否定したり、肯定したとして、それは同じく愚かな行為である。
一方、どこの国にも有能な人はおり、難題に遭遇した時には着実に解決出来るよう、問題の根本的要因を怠る事なく追及している。
このような人たちはプロバガンダや共同幻想に見向きもせずに、不言実行、有言実行にて自分の手で問題に取り組んでいる。
怒らず、ケンカせず、腹を立てず、慣習から相手を見てないがしろにせずに、相手を自分の思い通りにしようとせずにどこまでいられるか、それを見て見るといかに世界平和への試みが難しいかが少しは見えてくるだろう。(だから陰謀論の悪者探しはなにも始まらない 東出)
何事も自らの毎日の生活から手の届く範囲から始め、身近な所から問題を解決していくより確実な方法はない。
それが「武」の本分である。

最後に、光岡氏の「武道」を「行」オコナイに直して、下記の言葉を示したい。

上辺の文化的化粧を施した近代的な全ての「行」から、人である事の核心に向けての「行」に着目しても良い時代に私達は突入しているのではないだれうか。


そして、お待たせしましたが、いよいよ明日から、ネット有料化身体ワーク配信です。
DVD購入で学びたい方、ガード払いやネット手続きが苦手な方は、araebisu.netから、contactしてお申し込み下さいませ。
ご入金確認後に、送付させて頂きます。
blogも、そのネット有料化身体ワークを、日々補足するモノに一月からなりますので、身体ワークと併用して意味を成すモノになって行きます。
第二段は、一月中に。
より細かく身体を例題にして、機、位、間、無(空)を解いて、皆様の人生に即役立てて貰いながら、直に様々な質問もお待ちしていますが、僕はアメブロのmessageは余り開かないので、コメントにて御願い致します。
御電話でないと、文章ではなかなかご説明出来ない返答は、コメントにコメント返しにて、御電話下さいと載せますので、アラエビスのホームページから事務所に先ずは御電話頂き、僕の携帯からご希望の電話におかけ致します。
出張など様々な忙しさの、なかで返答して参りますが、それこそが僕の中でクオリアが働く、直観直感返答が出来るので、決して遠慮せずに。