いよいよ、四国半分のイヤシロチ化の6日間の旅です。
今回の旅は、岡山でのワークは勿論ですが、なんと言っても四国のイヤシロチ化です。
一気に全部回れれば良いのですが、時間と資金の問題もあってなかなか一度には無理です。
今回愛媛の突端の原発の辺りも行く予定でしたが、予定が一つなくなったので、そちらは12月の四ヶ所での身体ワーク時の最終に北九州に行くので、大分の突端からならば充分に届くのでそちらから半径50キロのイヤシロチ化を致します。
今年は、イヤシロチ化の弥次喜多珍道中の総距離数は、結果三万キロ超えを走破したことになります。
それでも日本の半分。
この重要な三年を、限定イヤシロチ化時期と決めてのイヤシロチ化第一弥次喜多全国行脚活動ですから、後二年であります。
木村先生のご厚意で、アラエビス経由でイヤシロチグッズ割引価格になっているのも、この全国行脚に資金が回って行くようにとのハカライからです。
この時代に、イデオロギーではない出入りがオープンなコミューンの雛形を、世に現実化していくのには、本当に様々な局面から様々に対処しなくては現実化しません。
結果それにより、更に二項対立思考が消えざるおえないし、結果螺旋の広がりが生まれだします。
その恩恵で、自分が本当にブレナイという、本質もわかってきだしました。
ブレナイとガードして固めてイデオロギー思考に走ると、全く現実化は程遠くなっていくもの。
まさに、この活動の初期の頃の自分は、それでした。
仲良くさせていただいている。ログビルダーで伏流水サポーターさんの、日光のKさんが仰っていたように、一人でログハウスを始めに力いれて建てたときに、全く人が遊びに来なかったけれども、今お住まいの和風ログハウスを建てる時に、沢山の協力を素人にも声がけして建築したら、とっても多くの方々が集う場所になっていくことを教えて頂いた事があります。
まさに【結い】の実践です。
様々に敵対もしてしまうような様々な意見や価値観が違っても存在できる場は、イデオロギーでは作れず、部落の寄り合いはまさにその好例。
北海道は、資本主義グローバル化される前は、一個の巨大な部落的なおおらかさに包まれていました。
まあそうやらないと、共同体が成り立たない。
しかし北海道出身でも、東京にながーくいる間に合う人としか付き合わない、アフター5や休日がどうしても多くなりだしてしまいました。
お陰さまで、舞台や振り付けや身体レッスンを生業にしていましたから、高校の学校祭のような、いつもは全く意見が違うのに、それも大きな意思の中での活動を共にこなしていくと。相対性も含めた全体性としてお互いを活かしあい、学校祭の終わりの頃には相反するものが、交わって新たなモノになっていくような、その方が一生お付き合い出来るような友人になっていく関係が、どうしてもチームでアートな世界を産み出していく作業には必須になります。
そのような作品は、違う様々な意見や方法や成し得たい様々なゴールが、融合するので作品は多くの方々に支持を受けます。
では、もしこれが顔が見えない関係でだけ繋がっていたら、舞台の当日には幕を開けることが不可能になるでしょう。
しかし、今世の中は良いものも悪いものも、このネットのみで情報が行き来してしまっています。
ある意味で、ネットの始まりの頃は先にオフラインがあった。
だけれども、今はオンラインだけで成り立つものが、溢れだしてしまった。
当然の流れでしょうが、そこにもう一度オフラインを導入出来るか否かが重要ではないでしょうか。
結局そこには、周りの世界はどうあれ、先ずは自分でオンラインだけの限界の壁を越えなくてはならないでしょう。
オンラインとオフライン、これも二項対立ですから、まるでソバ粉とうどん粉を混ぜて混ぜて、どちらでもないけれどもどちらでもあるモノになったときに、正三角形思考になったからです。
これを身体で実感すると、それだけでオフラインが出てきます。
身体ワークの意味はそれです。
ネット有料配信の意味は、伏流水同様に、いつでも配信先に実態があるよということです。
イヤシロチ化も同じで、僕らは自然界に施すという所から、アートテンテクノロジーも縄文環境開発のイヤシロチ化も始めたので、直ぐに見える形を自然界が教えてくれるので、その結果皆様にもお勧めしているのです。
いつもオフラインの先にオンラインが来るように全てに気を使っています。
これは弓道でも同じで弓を引いてから的をいるのではなく、射るための弦が張ってから矢が支えの左手から離れる瞬間を基点にして構え、その時ブレなければ必ず的の中心に当たっているように、時間を未来から現在に巻き戻している感覚なんです。
即ちオンラインが先だから、未来を未知数に捉えて、常日頃心が揺れます。
けれども様々な達人(生活の達人も日本中にいました)は、未来の的から時間を逆回しさせて現実を瞬間瞬間生きる所作をヒタスラに実践するので、オフラインからオンラインを作成するのです。
これは、「アナスタシア」と同じく、主人公である男性ウラジーミルがアナスタシアにずーっと求め続ける違いでしょう。
子宮からでるはまさにそれで、子宮という四次元の人類一人一人の魂の目的の完成形である的を、既に胎児は完成されてから時間を巻き戻して全く逆の入り口に立つかのように生まれ、その四次元での的に人生という矢が射れるように生き始めるのではないでしょうか。
即ちメビウスの輪で、既にあるのです。
息子が通うシュタイナー教育の、子育ては何の種かわからないモノを育てているの意味はまさにそれで、既に子どもは幼いほど覚えているにおなっていくのです。
そして、達成すると、その子宮に戻って霊的な世界に旅立って、又【 ∞ 】で子宮に戻ってくるのではないでしょうか。
しかし目的を達成してますから、子宮といっても全く違うモノでしょう。
これが螺旋系の正体だと僕は感じています。
即ち、我々大人が子宮内で知っていた、生まれでる意味を僕らは思いださないと、その先の子どもに又々観念を植え付けてしまうのではないでしょうか。
生まれでる意味に、決してイデオロギーな存在していないはず。
今大人がそれを成し得たならば、必ず子供達は自然界が伝えることだけで、様々をこの地球に生み出して行くのでしょう。
これが【アラエビス】の究極の目的なのです。
イヤシロチ化は環境を整えながら、それを気づかせる装置です。
岡山真庭から、僕とは別に木村先生の講義巡業がスタートします。
お呼びしたい方は、アラエビスまでコンタクトしてくださいませ。
0237ー44ー3288(電話FAX兼用)