あらえびすブログ

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今日は、部落のTV線に絡まる支障木がり。こんな事にも周りと繋がって響命しあい冬を越す様々が***

お爺ちゃんお婆ちゃんにしたら、時代は変わりTV離れが巷では当たり前でも、冬の閉ざされた時期の楽しみの一つ。

未だにこの里山では、有線でTVを見ていますから、雪の重さでTV線が切れると下手したら、春までTVが入らない。

絡まった蔓や枝を冬前に切る。

此れが、その事故を事前に防ぐに繋がる。

こんな様々を、会社任せではなく自分たちでするが、田舎暮らしの当たり前。

部落の小さな祭りから、本社の雪かき雪囲い屋根の雪降ろしまで、自分たちでします。

12月末には、隣組にある山神さまの、参道まで自分たちで作り、お爺ちゃんお婆ちゃんを迎えます。

それが毎年繋がり、都市にはない絆が蓄積されて、強固なモノになるのです。

助け合いが当たり前。

そんな一つ一つが、山を守り山の恩恵で生きる心を育ててくれます。

そんな心を、我々は伏流水や様々にそれを載せて届けたい。

そんな心の繋がりが、山を棄ててしまった我々にもう一度宿る事を願いながら、そしてそこから始めて未来型のコミュニティが生まれる。

それが一番、難しい事であり、一筋縄ではいかない事。

関係性を、蓄積して育てるしかない。

それを、蓄積して場が違っても、共振出来ないかが、アラエビスの実験です。

その達成の道のりには、沢山の問題が当たり前に次から次へと現れて来ます。

しかしその体感なくして、達成は出来ません。

それは、幕府以降に日本に来た、様々な外国人が見た世界一美しい人、日本人にいよいよ僕らが自らの意思で自らの中にあるその種に気付いて、それを自らが育てる時が来ているのだと、感じています。

それを、日本人が自ら気付き、自らの価値を再確認して、失いかけているそれを希求しなくては、取り戻されないはずです。


ある、素敵な、他文化の方々が見た日本人を記した、文章を転載致します。

『私はいつも農夫達の素晴らしい歓迎を受けた事を決して忘れないであろう。
火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持って来てくれるのであった。
私が家の中に入るや否や、父親は私に腰かけるように勧め、ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げて行くこともあった。
幾つかの金属製ボタンを与えると、「大変ありがとう」と、皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。
そして、あわてて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、全く驚いた次第である。
私が遠ざかって行くと、道の外れまで見送ってくれて、殆ど見えなくなってもまだ、「さようなら、また明日」と私に叫んでいる、あの友情の籠った声が聞こえるのであった』

僕らの恒例早朝のミーティングの今の題材、『逝きし世の面影』には、僕らが自ら実践して、取り戻したい日本人の原形が沢山記されている。

先ずは、僕がもっともっと実践して、自分を高めて行くだけである。

自分が変われば社会が変わる。

それが最大のイヤシロ人である。

きっとその萌芽は、誰にでもある。

こんな自分でも、随分昔と比べたら、相当変わった。

終わりがないほどに、目指すイヤシロ人は遥彼方にあるけれども、僕は近づいて行きたい。


素晴らしい記述があるので、もう少し転載致します。

『床について明かりを消すと、耳慣れぬ物音が続いて彼は眠れなかった。
まずは波の音、海が震えているのだ。
その規則正しい音に混ざって、ジ*ジというリズミカルな、一種の鳴き声が家の周りを走る。
そして、木から木へと飛び移る恐ろしい鳴き声。
その正体は眠れぬままに窓を開けてみてわかった。
風が聖なる杉林をゆりうごかさ、山が震え唸っているのだ。
星がきらめく夜空の下で、山が海に応え、陸と海とが二重奏を歌っているのだった。
山が唸り海が震えるのはなにも日本ばかりではない。
彼は、日本の夜には様々の霊や精が呼吸していて、人々はその息吹に包まれて眠るのだと感じて感銘を覚えずにはおれなかった。
何故なら、彼が暮らしていたリヨンの夜には、こうしたモノの息吹はすでに死に絶えて久しかったから。』


『私はこう言いたい
あなたがたの文明は隔離されたアジア的生活の落ち着いた雰囲気の中で育ってきた文明なのです。
そしてその文明は、競い合う諸国家の衝突と騒動のただ中に住む我々に対して、命をよみがえらせるような、安らぎと満足を授けてくれる美しい特質を育んで来たのです。
寺院や妖精じみた庭園の水蓮の花咲く池の数々のほとりで、鎌倉や日光の美しい田園風景のただ中で、長く続く荘厳な杉並木のもとで、神秘で夢見るような神社の中で、茶屋の真っ白な畳の上で、生き生きとした緑日の中で、さらにまたあなたの国のまどろむ湖のほとりや堂々たる山々のもとで、私はこれまでにないほど、わがヨーロッパの生活の騒々しさと粗野さとから救われた気がしているのです。』

そして、当時の日本人が、彼らに言ったこんな素晴らしい内容があります。

間違いなく、自らもそれをしっかりと、認識していたのでしょう。

私達が、今こそ世界に伝えるは、この姿であり、先ずは私達こそがそれを求めたい。


『西洋の輝やしき進歩、知性、戦争、悪魔の武器、それはそれとして、我々にはあなた方が根本的に子供染みて見える事がよくある。
人生において重要なのは、いかに進歩するべきかを知ることではなくて、辛抱強く働き、気だかく堪え忍び、そして幸福な生活が出来るように、我々の人世をいかに整理するかを知ることである。
金銭や名誉の為のあらゆる空しき闘いの後には、人生は主として実のある或る事柄に還元される。
例えばうまいもの、良き家庭、苦労のない平和な心、寒い朝の一杯の粥。
その余は空の空なるものにすぎない。
あなた方は価値を精神的と物質的に分ける。
ところが我々はそれをば一つのモノとして混同しているのである。
あなた方は同時に精神的であり、物質的であることは出来ない。
しかし我々には、それができるし、何らそこに衝突しなければならないものを感じない。
あなた方の精神の故郷は天上にあるが、我々のは地上にある。』


まさに今、そのへんに溢れている様々な問題の根本は、我々現日本人も都市部ほど、天上と地上を分裂させてしまっている、生活形態にあるのだと感じています。

今こそ、我々が目指す着地点は、物質的な安楽と魂の平安とが、分離しにい文明の再取得ではないだろうか。