さて今日は、バレエ用語はフランスの形容詞だから、日本語の身体言葉と同じだよのお話を。
今一番代える必用があるのは、身体が共に動く言葉に、もう一度日本語を戻すこと。
例えば気がついたも、気がつくには『愛』がとても重要なんですよぬ。
即ち、思いやり。
相手が求めていることに気づく、その瞬間に先ずは手の二本のベクトルが、足の二本のベクトルが、同じ長さかが先ずは重要。
何故なら、ゴールを決めて気がついても、実は二項対立思考なんで、手も足もベクトルがあっていないのです。
長さや太さが違う箸で、ご飯食べづらいのと同じ。
だから先ずは座って手を同じ長さに感じるように、ゆったり引き延ばしてみましょう。
出来たら、座っていても足にも同じベクトルの長さかを感じてみて下さい。
その瞬間、実は瞑想。
瞑想なんて考えてしまうから、解らないだけ。
手と肚で正三角形を感じ、足と肚も、此れで頭は空っぽになる。
勿論自然に。
そしたら、様々な左右違う形で、同じ長さを感じる訓練を。
次は、様々に動いてみる。
此れで動きはすでに、即ち身体はすでに形容詞化しているのです。
新潟阿賀野の身体ワークでは、回転と肚を北東北西南東南西から折り畳み押し込むまででしたよね。
岡山真庭ワークは、更にそれを座骨の間から引っ張りだし、それが動物の尻尾なんだよと身体意識を更に先に進めます。
その上で、尻尾から手足でピラミッドを作っちゃいます。
さあいよいよイヤシロ人だよ。
さてさて、バレエの屈伸運動スクワットみたいなやつプリエ解りますよね。
フランス語で意味は、祈るなんですよ。
だから決して筋肉では、動いてないんだよ。
バレエ用語全てが、形容詞。
今のわ我々の身体は名詞化した身体を生きています。
だから、ズレまくる。
そもそも中心やcenterを身体は知りません。
博物館の恐竜のように、ベクトルが引っ張って、結果背骨を立ててます。
生きているは、必ず外の世界て関わるだから、こんなズレズレの世界だから必ず更にメチャクチャな、ベクトルで生きています。
その人類が、社会を作るのだから、勿論世界は更にズレズレになる。
しかし、ベクトルの同じ長さをだけを意識したら、必ずや中心は向こうからやって来ます。
ベクトルが同じ長さを持ったら、あなたは本当の瞑想がバレエが武術が演奏が唄が生活所作が即ち人生が、簡単にかわりだします。
それは、形容詞化した身体になるのです。
即ち気がつきまくる身体です。
気付きの量も質も、格別に変化します。
それが、球体思考幾何学身体ワークです。
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