身体の時間 Part2
今の若者がおかれている場は、旧態依然の価値観でどうにかこうにか、誤魔化しながらやって来た精神病国家その物で、それゆえに精神疾患に悩む若者が多いだけで、高度経済成長期を支えて来た世代や、バプル崩壊期をなんとか乗り越えて来た世代も、運良く精神疾患を免れて生きてこれただけとも、解釈出来ないだろうか。
21世紀初頭という時代において、苦悩を自ら引き受ける事がとても困難で、身近な他者に対しても信頼感を持つことが容易ではなくなってきているという、現代という時代の気運について考えてみなくてはならない時期に間違いなく差し掛かっているのでは、ないだろうか。
現代の人々は、苦悩を引き受けるべき主体が不明瞭で、周囲へと拡散しているのでは、ないだろうか。
現状をどのように受容し、それに対してどのような意図、どのような理想を持って、どのように生きていくのか、これらを決定し行動する人物像が見えないのではないだろうか。
状況や場面にあわせて、人物像を容易に変転し、解離していまいがちだ。
即ち、目指す場の喪失だろう。
アラエビスが目指すのは、その入口が無数に存在する場だ。
それを理解されるサポーターさんが、本当にふえだしている。
ありがたい事だ。
何故なら、サポーターさん皆さんで描く、未来の解離しない場だからである。
月末まで、またもや関東が危ないらしいが、本当に解離しない場を早急に世に出さなくてはならない時が、ドンドン近づいて来ている。