あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

生き方を決めるのは他でもない自分です。人生で起きる全ての事に向き合う為に生まれて来たのだから

彼らが仕掛ける事も、今生の人生に与えられた本当の仕事に向き合い、思い悩み前進して、開拓してより良い地球に高める為に僕らが与えられた、存在そのもです。

悪魔を使って、神様は僕らに気付きを与えて、きちんと反面教師を生み出しながら、世界が向かうべき方向を示して下さります。

それを、でもとか、大変なんて事を、神様は一番嫌います。

神様とは、僕にとって美しい電磁波形の、渦巻きそのもです。

この渦巻きは、絶対にネジ曲がることなく、永遠に渦巻きを回し続けて行きます。

自らの任された渦巻きを乱す生き物を、この原始の渦巻きは、容赦なく正当な渦巻きに回収してしまいます。

我々が綺麗な宇宙という神様の電磁波形を、嫌おうが、理由付けして動きを留めたり、逆流しようとか、飛び級しようとしても、広大な銀河の渦場に生かされていますから、いつの間にかその渦に巻き込まれてしまうのです。

電気こそがその意味では神様ですから、人類が人類都合や利権だけで作り出す電気を神様は嫌います。

電気と言っても、コンセントや発電なんて小さな世界ではなく、野菜や木など植物そのものが、正当な電気の流れの形を僕らに見せてくれています。

偏りがあるから、胡瓜は曲がるわけで。その大地や野菜には綺麗な渦巻き状の生命エネルギーがないを、僕らに見せてくれています。

それを化学肥料や農薬で、真っ直ぐにすることも、神様は嫌います。

我々人類においては、いかに自分が綺麗な渦巻き波形で生きようとしているかが、結果病気や精神と心の不具合に現れて、悩みを作り出して自分を修正出来ない理由付けを、探して留まろうとし出します。

悩みという、留まりは、銀河という中心に吸収されて、素粒子化されて存在さえも許されませんし、調和しての動きを乱すと銀河のレコード版の外に追い出されてしまいます。

高速回転で回るレコード版が、神様であり、その手のひらの上で、その溝にある音をしっかり世界に響かせながら、全てのレコード版に入っている音楽を世界に響かせ、他の全ての命のレコード版の楽曲とコラボレーションしながら、宇宙全部に壮大な交響曲を響かせているのです。

だから、生きるってレコード針そのものです。

鳴り響く、自分に与えられたレコード版は、始めから決まっていて、真摯に自分のレコード針を磨いて鳴らし、その神様の意思を一つ一つ音楽として世界に響かせて、全ての楽曲とともに、コラボレーションしてこそ響く全体の壮大な交響曲という神様の設計図が始めて聞くことが出来るのです。

ですから、音楽に例えて始めて、例えで説明できるぐらいに、全く平面でも、点でもない、壮大な幾何学の連鎖調和コラボレーションアートなんです。

毎日、毎分、毎秒銀河の渦のレコード版で、少しずつ、中心に向かって走り続ける。

足を停めてしまうと、レコード版の外に、即ち銀河の渦の外に追い出されて、さまようだけ。

同時に、早くと、ズルをして近道などすると、針が飛んでなる音楽がとっても不調和な音楽を奏でてしまうのです。

サボると、音楽が逆さまに逆流して聞こえて来ますから、神様の怒りに触れます。

その上でレコード版と違うのは、A面が終わると、霊体としてのB面が待っています。

それは、A面をもれなく余すことなく奏でて、自らも聞いて来たからこそ、繋がるB面なのです。

円形ルームランナーで、細い道を間違えずに走りながら、与えられたピッチで進んで行くのは、仮定として想像するだけで、とっても困難な運動です。

ましてや、始まりの外周は、なかなか一周が長く螺旋での成長は感じられない。

だけれども、走りやすい。

後半になると、カーブがきつくなるから、本当に転倒しやすいショートトラックでありますが、結果は、ドンドンついてくるのです。

この銀河の渦に暮らす以上、人の音楽を羨ましがったり、自分のレコード版をかけてもいないのに人に助力したりは、ナンセンス。

まさに、偽善は、神様への冒涜です。

先ずはしっかり自分のパートを鳴らす。

そうすると、鳴らしている方々とコラボレーションする以外に音楽にならないのだから、銀河の渦に止まっている人の事を憂いても、もしも全員が止まったら人類は銀河の渦から消えてなくなるのですから、それは、冷たいのでも何でもないのです。

レコード版の渦の上で、音楽が進まない方々がほとんどですが、何かの言い訳を考えて留まっているだけだし、堂々巡りする方々は器用にも一周すると元の溝に又戻るのです。

即ち創造し続けるから、次の溝を聞きたいその願望が、人生を進めます。

回ること、そして与えられた音楽を聴き続けることが、生きることです。