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骨盤はパラボラアンテナだ!良いも悪いも全てをキャッチ。後はアナタ次第よ。

プレビュー
2015-09-21 07:35:00
骨盤はパラボラアンテナだ!だからこそ波形は全て受け取ってしまう。鍛えろ肚を!
テーマ:体の内部と社会
シルバーウイークは、なんと四家族がアラエビスにお越しになり、いよいよ手狭なアラエビスは雑魚寝で対応です。

彼らのニューワールドオーダーは、実は重要な気運でもあるのですが、翻訳が可笑しいのです。

地球を一つには間違いが無いけれども、そこにピープルしか存在していません。

だからこそ、腸内細菌が減少するのです。

片寄った二項対立思考は、必ず下痢や便秘を繰り返させます。

パラボラアンテナ内の、全体思考が何かの違和感をきちんとキャッチしているのです。

来年には、未来の環境難民を先取りした方々が、急速にアラエビスに訪れる予感を感じて、この活動を引っ張って来ましたが、その前触れ現象がまさに今年の沢山の訪問サポーターであります。

アラエビスは、ピープルだけの経済指数に大きな疑問符を皆さんに投げ掛けて、全ての命が含まれる新たなピープルだけの世界では成長しない経済モデルを、実践して来ました。

そのピープルだけの経済システムを先取りして、一番違和感を感じてくれているのが肚です。

肚を鍛えるは鈍感とはちがいます。

より他者の存在を肚に落として、常に問いかけ続けるなのです。

我々は、これを常問時代となずけました。

地球の命の総数は、一億です。

命の総数量は計り知れませんが、命の種の総数でも、一億ですから、ピープルは一億分の一。

そんなピープルが世界を牛耳ることが、可笑しいのです。

そんな思考がまさに、腸内細菌と骨盤というパラボラアンテナを歪めて、歪んだ電磁波形に呼応してしまうのです。

此れからは、all・LIFE 経済システムを作り出すです。

アートな創造力で、人類優先経済がゴミにしたお宝を生かして、全く新しいトーラス経済を庶民の束での、JYOMON BAND( 常問チーム )にて実践して、地球の命の総数のために国を越えて出逢い繋がり生きるのです。

これこそが、神そのものであり、我々ピープルが、そう生きたときに神が人類を創造した意味に、やっと我々がたどり着けるのです。

それが、彼らのニューワールドオーダーとは違う、all・LIFEニューワイルドオーダーであり、そう生き始めたら、毎分毎秒カミハカライを感じるのです。

例え、彼らの前時代的な指針ニューワールドオーダーの中でも、それに乗るなと様々な暖かいサポートが施され、様々な彼らが仕掛ける幼稚な演出にもカミハカライを感じて、正しい方向への示唆を与えてくださるのです。

まさに、手狭になりだしたアラエビスの、来年建築のドームハウスは神様からの示唆での創造事業の始まりなのです。


皆様に分かりやすく、二項対立思考を解いてくれているのが、宮脇先生です。

植林の考えには地方性もあって、僕は全く違う見解ですが、方向性はドンピシャ。

よって、転載致します。



宮脇昭氏は80歳を超えてなお、ボルネオの熱帯雨林などに出かけて植樹をしている。「あと30年は植樹を続ける」と言う。環境問題で使われる「地球に優しい」「森を大切にしなければならない」といった情緒的なフレーズは、宮脇氏にとっては「人間の驕りから出る言葉」としか思えてならない。「頭で考えずにカラダを動かし、チャンスを作れ」と説く宮脇氏に未来に生かす「いのちの力」について聞いた。
あらゆる生物との共生こそが
いのちの大切さを実感できる証し

森林の減少、温暖化、食料自給率、人口問題……。私たちが進む未来に明るい希望はあるのでしょうか?
 政治家や経済界だけでなく家庭までもが、“たかが紙切れ”にすぎないお金や株のことばかり考えているから、世の中が悪くなるのです。

 今の経済危機にしても、生物が絶滅したわけでもないのに、なぜこんなに大騒ぎしなければならないのでしょう。いつの時代でも、いのちこそが絶対なのです。

 数ある宇宙の星の中でたったひとつしかない小さな地球という星に、本当の奇跡によって40億年前に原始の生命が誕生しました。それが今まで途切れることなく続いているから現在のあなたと、あなたの愛する人がいて、人類とそれを取り巻く生物がいるわけです。

 しかも、その生命体の大部分は『ナショナル ジオグラフィック』誌にも書かれているように、水の中で生きてきた。それが、氷河期が来たり隕石が落ちたりと地球環境に大変動が起こったことで進化し、一方で多くの生物が絶滅していきました。地球上の生物は大変動をチャンスにしながら生き延び、4億年前、陸上に這い上がったのです。

 その原始の生命の子孫である私たち人類が、地球温暖化で大騒ぎをしている。3億年前にできた石炭や石油問題で今大騒ぎをしているけれど、地球の歴史から見れば、そんなに騒ぐことではない。

 つまり明るい未来があるかどうかは、すべて私たち次第なのです。自分の足元の地面に1本の木を植える努力をすれば、明るい未来もある。しかし、今までのように木をどんどん伐採して、地面をコンクリートで固めていけば間違いなく未来はない。実に単純な話です。



その単純なことがうまくいっていないのは、どうしてでしょうか?
 うまく事が運ばないのは油断をしているか、手抜きをしているからです。自然のシステムの枠の中で正しく対応すれば、間違いなく生き残れる。これは真理です。経済問題も、環境問題も一緒で、本質は全く変わりません。

 二酸化炭素に端を発した環境問題で、今世間は大騒ぎしています。

 そもそも、4億年前まで地上に生物は棲めませんでした。これは、太陽から直接紫外線が降り注いでいたからです。一方で海の中では、盛んに生物の光合成が行われていました。これによって、海の中で蓄積された酸素が徐々に空気中に放出され、その酸素が大気の上まで上昇して地球全体を覆いました。これがオゾン層です。そのオゾン層が紫外線を吸収してくれたおかげで、生物は海から這い出て地上で暮らすことができるようになったのです。

 最初に這い上がったのは植物です。その植物が陸上で長い時間をかけ多様に進化したのがシダ植物の時代※1です。これらの植物が二酸化炭素をどんどん吸収し堆積し、氷河期などの大異変で土の中で炭化しものが、現在、化石燃料といわれる石油、地中のガス、石炭です。

その二酸化炭素で世界は大騒ぎです・・・。
 今、議論されているのは二酸化炭素の排出を少しでも減らそうというものばかり。少しだけカーボン(炭素)を減らせば、地球の危機は回避できると思っ ていたら大間違いです。

 「二酸化炭素を引き算すればいい」という発想だけが独り歩きして、経済学者や政治家、または環境リーダーといわれる人さえも、その考えを鵜呑みにしてしまっています。

 まだヒトが出現していなかった今から3億年前、シダ植物が高温多湿の気候下に太陽光のエネルギーを吸収し、空気中の二酸化炭素を吸収しながら光合成を行い大森林を作りました。それが幸か不幸か、18世紀末頃※2に土の中で炭化していた植物の遺骸である石炭や石油を人間が燃やし始めたのです。するとあっという間に、燃焼によって発生したカーボンが、空気中の酸素と結合して二酸化炭素になった。今大騒ぎになっている、大量の二酸化炭素排出の大本です。

 単純に考えれば、もう一度木を植えて森を作り、その中に二酸化炭素を閉じ込めればいいのです。実に単純、ただそれだけの話です。

 頭でっかちな科学者たちは、机上の実験や計算結果だけで「木を植えてもたいした効果はない」などと言っています。しかし、森が存在していれば、ローカルに防災・環境保全機能となり、グローバルには地球温暖化を抑制する。一番だいじなのは“いのちの森”作りです。

 危険なのは、何十億年もかけて作られたストック(石炭や石油)を何も考えず大量に消耗し続けることに、なんら罪悪感を持たないことです。

 少し我慢しながら健全に生きていく方法を考え、ストックをしっかり未来に託す、という発想に転換しなければいけない。現実的にそのストックはあまり残されていません。ストックを作ってくれた森は伐採され、環境破壊は止まらない。場当たり的な対症療法だけでは、今後人間を取り囲む環境はどんどん悪化してしまいます。

※1 シダ(羊歯-、歯朶)古生代から生き延びてきた植物。しかしその進化については謎の部分が多く、緑藻類の起源説の他諸説ある。
※2 18世紀の末頃 1760年代から1830年代にかけてイギリスで起こった産業革命を指す


人間が地球上で生き残るためには、どうしたらいいのでしょう?
 どんなに医学や科学、技術が発達しても、我々人類が地球に生かされている限り、森の中に棲む“寄生虫”のような立場でしか生きていけないのです。さらに一歩進んで考えると、寄生虫としてこの星で生きていくためには他の寄生虫、何よりも守主の森と共生していく必要がある。しかし、人間は自分だけが地球上で生かされているというエゴがあります。

 『ソロモンの指環 動物行動学入門』などの著書で知られるオーストリアの動物行動学者コンラート・ローレンツ※3氏は、ヘビとカエルの間には微妙な共生関係があると指摘しています。ヘビの数が増え過ぎて、カエルがヘビの10分の1以下の数になると、ヘビはカエルを探せなくなるそうです。そうなると最初に生態系から消えるのはカエルではなくヘビになる。ヘビが減ると今度はカエルが増えて、またヘビが増える。これが生物社会の原則なのです。

 つまり、人間が生き残るためには他の動物や植物も大切な「共生」仲間になっているということでしょう。他の生物との共生こそが、命の大切さを実感できる唯一の証しなのです。

共生のための森林作りなのですね?
 私が「森林を作れ!」とばかり言うので、そのことだけを短絡的に考えている、とまわりから言われることがあります。もちろんもっと別な発想もあると思います。しかし、限られた時間の中で、自分と愛する家族のために何ができるかという本質を考えると「木を植えろ!」に行き着くだけのことです。

 奇跡的に生命の伝承がなされて地球は続いてきました。次は、この奇跡を未来に残していかなくてはなりません。このかけがえのないいのちを繋いできた遺伝子を守らなくてはならない。その遺伝子を守る唯一の行動こそが木を植えることであり、森を作るということです。

 人類が誕生して500万年ぐらいは、森との共生も実にうまくいっていました。もちろん、他の動植物との共生も自然の摂理の中でバランスが保たれていました。しかし、いつしか大切な森は邪魔ものになっていきました。邪魔もの扱いしたのはほかでもない人間です。大切な森に寄生して、生き長らえてきた人間が次第に森を破壊し、都市を作っていった。そしてその破壊行為を文明と崇めてしまった。これが間違いの始まりだと思います。

 少なくとも、私たちの祖先は大切な森を「神木」「神の宿る森」といって崇めていました。繰り返しますが、一番大事なことは「地球もいのちも続いている」ということです。いのちを継続させるためには小手先の対応ではダメだということです。 特に日本人は、小手先の対応はできるのですが、基本を押さえていません。哲学を押さえていないとしっかりした対応ができないのです。

それはどのような哲学なのでしょうか?
 ヨーロッパでアカデミックな大学ができた8世紀や12世紀に、イタリアにも学校ができました。初めはフィロソフィー、日本語にすると哲学を学びました。そこから工学も医学も経済も理学も派生していきました。その根本を忘れ「私は工学、私は経済、私は医学の博士である」ということにばかり腐心しているのが現在の実態ではないでしょうか。

 細分化は大事ですが、元は生命であり、その源は地球であるという原点を押さえ、そこからどのように発展したかを知り、絶えず見直しながら未来に向かってどうするかを考え実行しなければならないはずです。

文明を作ってきた結果、人間は成長してきたというプラスの面もあるように思いますが?
 地球という星を“いのちを紡ぐドラマの舞台”であると例えましょう。
その舞台でドラマを演じるのは自分たち人間だと疑いもなく考えています。私たちが「地球の主人公」だという自負があるのなら、地球のすべての場所で起こっていることに責任を持つ必要があります。そして「主人公」であったとしても、「征服者」ではありません。もし地球を「文明という道具」で征服したと思っているなら、それこそ「驕り」です。そんな驕りはすぐに捨てなくてはいけません。

 実は、この地球上で生物が生存できる空間はあまり広くはないのです。
大気圏を最大に考えても、地上から高度1万メートルまで、水の中もせいぜい水深1万メートルぐらいでしょう。私たち人間は地上数十メートル、地中でも数メートルの限られた空間でのみ生存しています。地球の規模から換算してもあまりに微々たる範囲で暮らしているのが実態です。さらに地球の表面積の7割は水圏で、その大半は海です。その限られた薄っぺらい地表にへばりつくように寄生して生きている人間が、間違っても地球を征服できるはずがない。

 人間は生態系(ecosystem)※4の中で、単に“消費者”の立場で生かされているだけなのです。

※3 コンラート・ローレンツ(1903〜1989年)オーストリアの動物行動学者。近代動物行動学の祖
※4 生態系(ecosystem)この言葉はイギリスの生物学者アーサー・タンズリーが1935年に提唱した。宮脇氏は区分の中で人は「消費者」であるとしているが生態系を大きく分類すると生産者、消費者、分解、還元となることから「消費者」と限定している。

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自然界のシステムを理解すれば
現在の危機はチャンスになる

正しい生態系を維持するにはどうしたらよいでしょうか?
 「生態系の最適条件」とは、すべての生理的な欲望を満足させる少し前の、少し厳しい、少し我慢が共有される状態を指すものです。今から文明を否定しても、原始時代に戻れるわけがありません。文明社会が進めば、人間がその欲望を満たすのは当然の流れでしょう。

 しかし、人間には欲望もありますが、英知もあることを忘れてはいけません。全部の欲望を我慢する必要はなく、極限の少し手前で押しとどめるという英知を使うべきでしょう。危険なのは野放しの欲望であり、文明はその欲望を際限なく満たそうとします。

 いくら素晴らしい文明でも、その文明に目が眩んでは地域からグローバルにダイナミックに安定持続している生態系を壊してしまう。そうなってからでは取り返しがつきません。また、競争、我慢、共生という最低限の生物社会の掟や正しいエコロジカルな状況を考えるのに、頭や研究所の中だけで考えているのは危険です。

 一番よいのは頭だけで考えるのではなく、カラダを動かしながら現場で正しい生態系を学び、実践することなのです。

実践していくためには、木を植えるのが一番であるということですか?
 私は「木を3本植えれば、もう森」と言っています。「5本植えれば森林」でしょう。木を3本、5本植えることができない場所なんてありません。

 しかし肝心なことは、単一な木を植えるのではないということです。土地本来の主木群を主にできるだけその森の構成樹種群のいろいろな木を「混植。密植する。」自然の森は、いろんな木が混ざり合ってできている。この多様性が生物社会のもうひとつの掟です。

 人間も同じでしょう。いろんな人間が混ざり合って社会を作るわけです。森も同じです。この「混ぜ・密植する」ことによって、幼木群は密度効果をもたらし、厳しい環境下の「我慢」が必要になり「共生」が生まれ、木がたくましく育つ。その競争・我慢・共生こそが、正しい生態系を形成していくのです。

 地球上の植物は、すべてのいのちの基本です。これがなければ地球上には酸素もできません。牛乳や肉などの食料も元は植物です。資源エネルギーの石油、石炭、地中ガスも元は植物、空気を汚す二酸化炭素を吸収してくれるのも植物。植物はあらゆる生ものの母体です。つまり、森に守られて人間は生き延びてきた。

 森は人間の重量の何百倍、何十倍もの炭素を蓄え、人間より何億年も前から生きています。緑の植物が光合成によって太陽のエネルギーを炭水化物に変え、私たちに食物を与えてくれます。つまり森の消滅は食物も消滅することにつながり、人類の消滅を意味します。言い換えると木さえあれば、人間や他の動物も生きていけるのです。これが、植物だけが地球上で唯一の生産者であるという真理です。今、人間は文明の中でぬくぬく暮らしてきたせいで、このあたりのことを本能で感じることができなくなってしまいました。

 もう一度言います。なぜ木を植えるかというと、長い間人類を守ってきてくれた森を再生する目的と、人間自身が正しい生態系を見直して、本来備わっていた本能を甦らせ感性を研ぎ澄まし知性をより高める必要があるからです。

ところで今の経済の衰退はどうでしょうか?
 銀行マンや商社マンに「お金のプロなら、せめてドルやユーロと円の動向を正確に予測したらどうなんだ」と尋ねたことがあります。すると「先生、それができたら苦労はしません」と言う。コンピューターをいくら駆使しても正確な予測は望めないのです。

 また、バブル絶頂期に不動産会社から「先生、今は安いから買いなさい。絶対に値上がりするから」としきりに物件をすすめられました。しかし実際は、それからわずか数年で不動産市場はガタガタになってしまいました。

 現在の経済危機で、トヨタ自動車でさえ赤字に陥っています。トヨタはこれまで植樹や環境保全活動に積極的に取り組んできました。私はトヨタの社長や副社長、担当の専務の方に「40億年の地球のいのちの歴史は何百回ものビックバーンと言われるような大異変危機が繰り返され、それをチャンスに進化し、発展してきた。今、あなたがたが森作りをやめれば偽物だ。」と手紙を書きました。するとすぐに丁寧な返事がきました。「経済的にきわめて厳しいが、木は植えます、社員で木を植え続けていきます。」と・・・。

 生物の社会では「危機はチャンス。本物は長もちする」という原則があります。生物の危機は本物と偽物を峻別する自然の厳しいふるいである。ある種の絶滅は、別の種の繁栄につながるからです。

 6500万年前、恐竜は忽然と地球上から姿を消してしまいました。ホモ サピエンス L.※5(ヒト)が出てきたのは、絶滅した大型獣、恐竜などがいた時代が去ってからです。なぜなら、それまで哺乳類は森の中を逃げ回り小さくなって暮らしていたからです。猛獣を避けて、木の実を採り、若草を摘み、小川の魚を獲ったり、海岸に住むヒトは貝を獲って生き延びてきました。恐竜の絶滅の大異変こそが、人類を含む哺乳類にとってのチャンスだったわけです。

 人類の歴史は約500万年ですが、地球のいのちの歴史を1年に例えると、人間の歴史はほんの何分間か何十秒間にすぎません。しかも500万年のうち499万年は、そのように森の中やまわりで生きてきたのです。

 それに比べれば、技術革命や経済活動という問題にしても、わずか1000年、いや300年、100年の話でしょう。コンピューターが登場したのは数十年前の話で、長い地球のいのちの歴史の中ではほんの一瞬のことです。

 職を失っては困るが、生きていければよい。生物学的に言うと「続けてこられたこと」が人間も他の動物も同じなのです。今やっていること、子どもを増やすこと、生きていることも同じ。何も違いはないのです。たとえ経済がどうなったと騒いでいても、私たちは人類の歴史の中で物とエネルギーでは「最高の生活」を現在手にしていることに変わりはないのです。

 現在の危機を言い換えると、頭だけに頼った危機と言えるかもしれません。
その昔、人は森の中で四本足で歩いていた※6、その後森から出て、二本足で立ち、手を自由に使い、大脳皮質の異常な発達によって道具を発明し、土、石、銅、鉄から原子力を扱えるまでに発展した。今の危機は全部、大脳皮質の一部ですべてに対応してきた結果です。

 しかしカラダは頭と手だけではない。今のように、頭の一部だけで対応するのは非常に危険な状態です。「カラダ全体を使え!」と言いたい。そうすれば現在の危機は、決して危機でなくむしろチャンスです。

 いのちの尊さ、明るさ、厳しさ、素晴らしさを知るには現場に行くことに尽きるでしょう。子どもから熟年者まで、自分の足で歩いて調べる。私は木を植える。理屈をこねる前にカラダを通して生きている幸福をすり込ませる。チャレンジするたびに新しい希望、新しい感動、達成感、満足感が満たされていくでしょう。

※5 ホモ サピエンス(homo sapiens L.) 「ヒト」、「人間」は生物学上の呼び名。


今の厳しい時代、どうしたらいいでしょうか?
 厳しい時こそ輝かしい未来につながる好機である。前向きに今でもできることを活動する。好調な時は下がることさえ考えなければいいのです。人間は案外愚かで下がっている時はもう、どこまでも無限に下がるように感じ、新聞などは「もう終わりだ!」と大げさに書く。しかし、本来はそのような時こそチャンスです。儲ける人はこの機会にものすごく儲けまくるはずだし、愚かな者はみな衰退する。このようにして、生命体は40億年もの間、いのちの力を発揮し、発展してきたのです。

 地球のいのちの歴史のプロセスを見ながら、よい時にはどうするか? 悪い時にはどうしたらよいのか? そのように考え実行しないといけない。地球規模でこれがどうであるかを見る。私はそういう観点でいつも元気です。

 今この時点だけを見て、物事を考える人が多過ぎるのではないかと思います。 例えば、日本には森※7がたくさん残っているから別に植林しなくても平気だと言う人がいます。このことひとつとっても物事の本質を見ていない。

 木が植わっていればいい、植樹すればいい、しかし植えるのは何を植えてもいいわけではありません。偽物なら植えないほうがましです。

 戦後、建設省などが日本海の海岸にクロマツを植え大失敗しました。すぐに育つが長もちしない。台風や地震、火事ですぐにダメになる。今、いわゆるマツクイムシで壊滅状態です。本物とは長もちするものです。日本人も植樹を一生懸命行っていますが、今大切なのは本物の森を作ること。その行為が本物か偽物かを見分けることです。本物であれば、暗い未来なんて全く関係ありません。

 植木屋さんで植えてもらった木は1年保証ですが、木を移植する場合は移植木保証がありません。だから植えた木が枯れたら「枯れました」で終わり。私の樹林は、本物のいのちの森を目指して植えている。木は永久保証です。幼木もいのちをかけています。皆さんと植える木は根群の充満した30cmくらいの小さなポット幼苗ですが、これは次の氷河期がくるであろう時まで個体の変化や交代はあっても多草群葉の森システムは9000年もちますよ。

「本物」とは、どう理解したらいいでしょうか?
 本物とは「厳しい環境で実力を発揮する、長もちするもの」。経済界でも政界、企業でも、条件がいい時は誰がトップになろうと関係ありませんが、厳しい条件下で耐えて長もちするものこそが本物です。

 オーストリアのウィーンでは、私が生まれた年の1928年頃、ヨーロッパブナ林が少し傷んでいました。そこで知恵者が、アメリカのアパラチアン山脈の岩場に生えている木を持ってきて植えたところ、ものすごく速く育ち移植は成功したかに見えました。

 ところが、それらのニセアカシヤはマメ科の種で、空気中の4/5をも含めている窒素を根粒菌によってよく吸収した。窒素が好きなのは帰化植物、雑草です。オオマツヨイグサ、オオアワダチソウなどが大繁殖し、土地本来の少し厳しい条件で我慢できるヨーロッパブナの生育は逆により衰えてきました。これらニセアカシヤは今では森のペストとすら言われています。

 それと同じことを、日本人は一生懸命にやっている。大事なことは土地本来の潜在自然植生の主木群の本物を植えることです。戦後の造林では失敗しましたが、日本経済は一流と呼ばれるまでになりました。戦後焼け野原になった日本は見事に復興しました。日本国中が大変悲惨な状況に追い込まれたにもかかわらず、あの復興エネルギーはどこから来たのでしょうか?

 私はエネルギーを与えてくれた根源に日本独特の「鎮守の森」に象徴される「日本人の森を思う心」があったからだと考えています。森を破壊してきたのも日本人ですが、その一方で森を畏怖してきた心を忘れなかった。その自然に対しての心が、あらゆる困難を乗り切ったエネルギーの源だったのでしょう。困難を乗り切るための本物のエネルギーを持つ心は、今でも日本人のDNAに深く刻み込まれていると思います。



この思考がなんせかんせ、とっても重要なのではないでしょうか。

これは、丸ごとアラエビスの指針です。



あなたしだい