あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

文明崩壊を又々人類がしない方向にと本当に感じるならば、今やることは山程ある。後はやるか否かだ❗

もしもアナタが本気で未來の命が生き繋がる為に、今からでも古には戻れないとしても、今方向転換するならば、百年先には明るい兆しが見えると、僕は信じています。

あらえびすで目指す、全体像は、日々実験しながら、どんな知識が使えなくても、地球の知を使うならば、誰もがそちらにシフトしていける、最高の企画である事だけは、様々な未來憂う方々や団体と出合わせて頂きながら、最先端の知と行動であると確信しております。

しかし、方向転換は、残念ですが、あっちに進みながらどこかだけこっちは、不可能。

それがネック。

なぜなら、そう簡単にはマネー優先経済の日常に、見切りはつけれない現実を、誰もが抱えているから。

だけど、このままでは、悲惨な結果だけが待っているのは、更に確か。

あらえびすのプランでも、だからあっちにいながら、こっちを徐々に造れる為に応援する、システムをまずは優先しました。

しかし、それは思考変革に繋がるしかないのだから、一番厄介と言えます。

思考だけ一部変革ならば、今のスピリチュアル産業や宗教で出来ますが、僕らは現代人を通過したネオインディアンに進むしかないのですから、後退では違うと言う難しさが、ここまでなしてきて一番大変だった事だし、今でも大変な事。

自給自足的な生活を目指せば、何かが変わるかと期待はしても、変わらないのが事実。

それは、地球にはマネーは通用しないから。

だから、マネーと言う予定調和直線思考と、自然界の生体腐蝕連鎖という網思考を繋げる回路に行かなければ、全てが水の泡。

水の泡で終わるならば、多分地球はまたしても文明崩壊しないわけにはいかない。

だから、ネオ縄文やら、ネオインディアンやら、口で言うほど簡単ではない。

その結果、その思考の合わせパズルゲームが、創れないから、成人病やありえない犯罪、病、戦争での金回しなどが起きる。

そして、ひたすら自然界はその為の道具にされ、それがマネーを生み出さないとの浅知恵が行き詰まると、捨て去る。


ウルフ狩りや魔女狩りは、実は同じ思考から、生まれている。

だから、環境見ているだけでは、又々思考の分離を始めてしまう。

しかし、将棋の駒で、オセロでもあり一部将棋でもあるゲームを、マスノメなしでやりながらマスノメが如何様にも変化し続けるようなモノが、今回の地球の宇宙の移行期のゲーム。

だから、一筋縄ではいかない。

だから、沢山の一筋縄でいかない様々が、混在しているカオスの真っ只中で実験生活をしなくては、その思考は育たない。

そして、様々を捨て去る準備をしているうちに、地球は崩壊していく。

かと言って捨て去る準備をしている為に時間を要する方と、気付いた方と、震災などで気付いた方も、実は大差が殆どない。

だけど、気付いた方と気付くしかなかった方で、殆ど誰もが気付くしかない時期が来るまで、準備を進めるしかない。

だから、誰もが誰ものせいには出来ない。


イグアナの進化で例えれば、分かりやすい。

ある時から、ジャンプしたら取れる実の下で、じっと飛び上がる時を待ちながら、ビクリトモ動かない。

そしてある時、ジャンプ出来るイグアナに進化する。

必死に求める思考には、諦めなど入る余地もないほどに、COOLだ。

これが、まあいつか飛べるから、身体ではなく、意識の休憩をしたら、きっといつまでもジャンプするイグアナにはなれない。

これがハングリーだよね。

意識を持ち続けるかどうか。

必ず、四六時中全く違う事をしている時も、ネオインディアンになると意識しているかで、決まるのだから、もしも地球が御破算を開始したら、俺が壊した事になるんだから、回りは関係ない。

そして、百匹目の猿のように、誰もが気付くと難なくネオインディアンになった時が、移行した時期だから名声も人類的な成功神話も何にもない。

あるのは、結果としての、花盛じいさんのみ。

新たに、しかし言い様がないから、「古の景色」とは言うが決して戻ったわけではない真新しい古の景色だ。

即ち、地球移行期自体が、魂と同じく輪廻的なんだ。

新らしく更新され、未來の古に向かえた新しく地球と確信して、自然界と乾杯して打ち上げは終わり。


それほどにCOOLだ。

ウルフが自然界に戻す日が来たとしても、二十年後だろう。

それでよいのだ。

今は意識で古に学び、更新された未來の古を、創造する時。

悩め、ヒガシデトオル、悩め、人類だ。

それほどに悩む事が楽しい悩みに出逢った事がない。

だから、この先住民インディアン、ネズ バース族の素晴らしいウルフへの眼差しを、未來のインディアンの言葉の意味合いにおいて、読まなくてはならない。

古を懐かしみ、あの頃は良かったなどの、若き恋に恋している人類ではいけない。


オオカミを復活させること、
オオカミを保護すること、
我々の生活をオオカミと分かち合うこと。

このことが我々に、
自らの文化を再生するチャンスを与えてくれる。

いにしえの絆をは誇らしく思う。

彼らに起こることは我々にも起こる。

オオカミよ、
おまえたちの死は我々の悲しみ。

追放は我々の嘆きだ。

おまえたちの帰還は我々の喜びだ。



これに付け加えたい。


我々は、帰還の日に向けて、忘れかけた絆を取り戻し、日々進化することをオオカミに誓う。

オオカミの帰還は、本当の人類の帰還である。

生きる証しは所有ではないと、COOLに生きる人類の帰還である。

その時我々も又、神に戻る時であり、神に生きながら進化した時である。

神の仕組み、生体腐蝕連鎖の一環に、我々人類も混ぜて頂く時である。

それが、ヤオロズの神である。

俺は誓う。

神の一部として生きる事を。




ウルフがきてたかだか二日。

僕の中でもう何かが違う。