あらえびすブログ

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災間の思考 NPO等の市民セクシーの問題は、作られた経緯という市場ありきの国の姿勢

始めに、今日の災間の思考のテーマ 3,11とNPO.ボランティアですが、入口の章はボランティアやNPOの活動の震災時の現状報告と結果わかり始めた問題点です。

こちらはかいつまんで、仁平さんの文章を、書き記します。

先ずは、NPONGOなど携わる意義は大きいてした上で、現場地域の特殊なニーズを把握する、地域をよく知る地元の社協や民生委員などの果す役割が大きく、ボランティアの現地で活動出来ないことを、行政や、社協の問題に帰責し、その削減を求める方向に繋げるのは、「溜め」を削減していくネオリベラリズムの文法とは相反してしまう事を忘れてはならないと示しています。

横繋がりの集団ボランティア対して、縦割りのなかれ主義官僚組織は、まるっきり逆な機能である。

言い換えれば、責任とりたくないし、面倒な心に繋がる横繋がりの集団を作れない、市場べったりの政治家と官僚が作る官は、決して市場のシガラミという一部の利益確保の為に、隠れ蓑的に集団にNGONPOを作る場を与え、決して集団が国の上に立てないように、補助金で釣り文句や疑問を出させない原発ばら蒔きと同じ、ヤマト朝廷が大好きなやり方での、システムであるのだと、僕は感じてあえてNPOを作らないことに挑戦しています。

だから、行政に寄付金まで出せて、変わりに民の集団に任せろと言える、半営利団体を雛型として立ち上げ、民の集団がないと国がお荷物になる様々を国では、税金あげるか戦争屋さんの手下になるしかないし、その為にばら蒔いた金で手なずけるという、旧態依然の似非議会政治に始めてNO‼を突きつけれる、闘わない地道な実質的な活動をする事で世の中にネオ縄文ネットワークを創る、自らのアートな創造性を自らの魂から沸きだせる、内側に闘いを挑む百姓一揆民アート集団が、NPONGOに変わるものとして国が認めない分けにいかない良い意味の策略が重要です。




仁平さんは、この現在の国の利益優先の市民セクターのあり方が、今回の3,11で見事に顕在化して現れたと示し、点の支援と面の支援ー贈与経済の二重構造によるNGONPOは、国の無駄をめぐる統治という観点を浮き彫りにしたと。

国家の緊縮財政の中で、作られた国が国の都合上作った市民セクターは、十分に団体の声が行政に反映されないという意図せざる帰結とも繋がると。



僕は僭越ながら、今のNPONGOが決して集団になり得ないように、団体化して扱いやすい、歯止めしやすい形を始めから予期して作らせた形ではないかと感じている。

即ち横繋がりが民の真心のグローバル化にならないように、団体にして縦割りで管理しやすく始めから作ったと感じています。



東京/東北というコードが市民セクターの二重構造と交錯しつつ、緊急支援、復興支援という局面でも回帰するかのようだと。


これは、例えば都市のアスファルトの為に、山が潰され採石からコンクリートに形をかえ、道路も東京なる似非都市を美形的な空間支える東北なる植民地的な地方が、請け負って来た。

今の日本の東京、名古屋、大阪のコンクリートは、計り知れない山を崩し、野生の住みかを潰し、我々も一応含む全ての命の支えである、空気や水を奪って成り立つ、脆弱した住みかであると。

神戸は、西日本にフッと残された東北である。

兵庫そのものが東北である。

その東北なるモノに、震災が場を変え来る意味は、今の日本に基礎をなす東京/東北というコードの限界を示していると感じるのです。

東北なる思考は、腹が先に決まる。

それは、やると決める。



さて最後に仁平さんは、被災者自身による復興こそが、当事者主権の理念に照らし合わせても重要である以上、外部の団体が主役になることはなく、側面から現地を支援するようにシフトしていくことが必要であろう。



即ち、もう地球全体を考えた市民セクターなるものを描く時に来たのです。

もし首都圏直下型地震が来て、東南海地震が来たら、それをただ元の経済優先都市に戻したら、日本から全ての山を採石にしなくては復興出来ない。

もう現実。

ならば、国が潰れる。

だから、国の上にある集団が、必須ですが未だ立場住む場を越えてコミュニティを作成した事がない。

はるか縄文に戻る、それも崩壊後にネオ縄文として。

だから、災間の今が一番重要なのです。



あさ明日は災間期における市民セクターを全転載します。