あらえびすブログ

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全く見えてない田舎の市長。御柴灯でのお話はアラエビスの活動が担う重さ又々感じる時間になりました

無事御柴灯が終わりました。

隣の隣組でも、御柴灯がただの新年会になって来て、山神様で火も焚かないで、日帰り温泉飲み会に成り下がっています。

僕の住むどん詰まり隣組は、まだまだこんな行事大事にする方々で、本当によかった。

ここの石名坂隣組では、そんな温泉宿での日帰り温泉飲み会ならば、山神さと何の関係もないと、先住民の方々から話が出ました。

そして、市長の近視眼的なビジョンに話が移りました、

ちょうどサクランボ東根駅とここの間に、田圃がありましたが、更に田圃潰して、若者でも買える住宅を供給して、東根市駅前のみがグローバル資本主義での人口増加を狙い、経済がうまく回る市を目指すらしい。

箱もの大好きで、談合大好きで、懐肥やすが大好きな、田舎の市長の典型な人物です。

石名坂の隣組のリーダーである、Oさんは市長に、そんな街ばかりやると山に人が更に住まなくなり、里山を持つ山形の良さがなくなるだけでなく、里山から人が消え失せ山が崩壊すると、モノを申したようです。

Oさんはよくモノを申して下さる方ですが、相変わらず市長は口だけハイハイとの応対らしいなと、僕は感じました。

山形県の知事もまあ余り変わらない。

政治家は、どこでも変わらない。

吉田松陰先生のような、命をかけた政治を学ぶ先生も生徒も、今ではいない。

山本太郎も結果、小沢に利用される。

何故、世を変える、世を良くしたいが、政治と言う手段しか浮かばないのだろう。

政治では、まずは余りに近視眼的な対策のみだし、先ずは経済が優先からは、自然界が活かされた新しい経済が生まれるはずもない。

毎日、会食して、殆どが庶民ではない輩が、庶民を考えられるはずがうない。

残念ながら、たかが山神様の御柴灯でも、街に暮らし農作業だけにくる方々は山神様にも来なくなり、隣の隣組では御柴灯が山神様から温泉宿に場を変えた飲み会になっている。

だから、市長や安部さんや山本太郎や隣の隣組や街中で暮らす田舎びとも、みんなもう既に地球は弥生時代を終えたのに、まだまだしがみついて空気がドンドン質を落としても、山が荒廃して食物から全ての命に広がり始めた毒を除去出来るお山の伏流水が枯渇しても、住宅で市が儲かるしか考えていない。

何故なら市が儲かるは、市長が儲かるから。

市長こそが里山にしがみつき、未来世界から着目される里山ニューワールドを発信する、アートなアイディアを自ら創造しなくては、縄文時代
市長にはなれない。

音楽や躍りも同じだ。

自然界から学び、人類が自然界の超アルファになり、自然界が人類を応援する超ハンドラーでなくては、これからどんな分野も地球が求めるオサにはならない。

だから人類が人類から学ぶという、全てが終焉を向かえる。

自然界から学びながら、自然界を束ねて味方につけた超ハンドラーを、人類はみんなで目指すならば、政治が要らないだから自由主義でも、社会主義でも共産主義でもない、主義が要らない地球が維持される。

大体が空気や水も作くりだせない。

ましてやそれをツクリダス要、葉っぱさえ人類は生み出せないのだから。

人類が弥生でやる全ては、全体思考の縄文にとっては茶番でしかない。

所詮、星に間借りしている、地球の下宿人が人類。

ならば、下宿で様々な関係がうまく回る、超下宿人組合長にならなくてはならない。

地球に新しいモノ好きな人類があえて、様々を作らなくても幸せに生きるツールは、全て揃っている。

だから技術も大したことではない。

ましてや人の名前がついた技術なんて、要らない。

ヨーク目を凝らし、耳をそばだて、自然界見れば全ての技術が、自然界のモノマネ。

モノマネでモノマネーを増やす人類がソロソロ謙虚に、実は全てが自然界からの盗作でしたと認めなきゃね。

振り付け。作曲、絵画、様々な技術、美味しい食品、実は全て地球にある様々から原型与えられたのです。

だから、人類は全て発掘者。

アートとは、発掘する考古学者。

温故知新。

地球レベル、宇宙レベルでの温故知新を、人類は自ら選び生き変わる必要が緊急にある。

石油下がり、得か損かなんて、グローバルマネー資本主義での、国家優先経済の談合に一喜一憂している場合ではない。


東根市の横の尾花沢では、街が潰れるか否かギリギリな状況。

日本から里山を持つ、人口減の市町村が消えていく。

これがドンドン加速している。

つまり里山がなくなり、綺麗な空気や水が消える。

多分猶予は三年で、雛形作り広がり始めないと、もう取り返しがつかない。

古の地球に戻すはもう無理だか、近付く道に舵を切り替えるは今ならギリギリ間に合う。

まるで大半の乗船者が船の片側に載っている巨大客船に、人が殆ど居ない側に津波が来たのに、見事に転覆せずに期を脱するぐらい、半端なく重い面舵一杯だ。

時間か立てば立つほど舵は切れない殆どに重くなる。

今、ATVで斜めになっている雪崩やすい林道を、車体に25リットル×五と橇に五をつけ運ぶ時の、ハンドル裁きはとにかく重く、新しい腕や背中に筋肉をつけてくれるが、実はこの筋肉感覚が間違いなく弥生から縄文への面舵一杯に必要な身体感覚だと感じる。

まさにハイブリットウルフドッグを三月に迎え入れ、次に五月にはハイブリットウルフを迎え入れ、次にホワイトシェパードとハイブリットウルフドッグの合の子を迎えるが、ハイブリットウルフは、筋力も凄いがあの大きさで猫の柔らかさらしい。

抱き心地は、まさに大きな大きかな猫。

面舵一杯に必要な身体感覚は、まさに強靭な背中にある筋肉とその筋肉ん関節を伸ばした状態で発達させる、柔軟な肩関節と連動して柔軟になる股関節による、筋肉と関節のウルフ的な身体感覚を、僕が手にして始めてわかる縄文への面舵一杯なんだと、感じている。

ATVもウルフも、この活動に来る意味は、時代変革の身体感覚さえも授けてくれる、凄ものでした。

それにしても、昨日の焚き物掘り出し積み込み作業は、又背中と腰に強靭な筋肉をつけてくれた。

痛い痛い。