あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

兵庫の自給生活の先輩から知ったこの本。素晴らしいです。

倉本聰さんもゼッサンされ、兵庫の自給生活大森先輩も勧める本、アマゾンで中古見つけ購入。

1200円が4500円。

中身は本当に過激な百姓ジイサン。

間違ってはいない。

そのなかで1850頃の奨学生5年生のこの崩壊していく秩父の山への想いの作文が、素晴らしかった。

それをご紹介しましょう。

何故故に、ここまで緊急な様々。

なかなか弥生にドップリの自分から、人類は脱していけないのか?

もう少しは、この地球を飲む先にと生きる大人がいても良いのではないか。

アラエビスの活動で本当に、いつまでも自転車操業で、つくづく思うのですが、きっと今は30代のこの作文の作者が、もしも今ウエンペに染まってしまったとしても、心の中心には、必ずアイヌ型人類の軸があるはずだから、僕も紐付きマネー無しでやってきたこの活動、小さくても雛形創るまではやり抜くしかないと、背中を押されました。



武甲山は、秩父のシンボルである。
あの綺麗な武甲山を削り取る事に対し、当然の報いがあってもと思う。
僕が武甲山であったなら、たぶん毎日、秩父の人達に向かって、喉から血をはきつつ叫ぶだろう。
秩父のみなさん、僕は何も悪い事をしないのに、都市を立派に見せる為に、よってたかって削り取られているのです。
(東出談 こうやって日本中の端山が禿げ山にされた。まだまだ端山を崩したら後々に祟りがあるそんな気運が残る山形でもそれなりにある。そしてその殆どが都市部で化粧の為に消費されている。山が消費されるなんて、まるで人体を消費する癌のようですね。)
あなたたちが、秩父に生き続ける明日へのシンボルは、何ですか?
シンボルを失って、人間は生き続ける事は出来ないのです。
秩父西小学校五年 片山靖二


アマゾンから届いた本は、「都市を滅ぼせ 中島正 三島昭男往復書籍付」

小冊子で闇に消えそうな中島正さんの本を、三島さんが本にした。

その三島さんが中島正さんに送る手紙に、上記の小学生の作文がありました、

三島さんは、こう作文の後に語ります。


この小学生の作文は、信仰の山をもよってたかって削り取る現代都市文明の横暴さを告発すると同時に、名山消滅に何の痛みを感じなくなった大人たちへの、痛烈な抗議にも思えるのです。と!


我々のアラエビスの活動は、ウエンペ型の弥生人類の根底にも必ずある、アイヌ縄文人類の魂の発掘です。

だから、骨が折れます。

その人、自らでは面倒だし、毎月や1年のサイクルのみで生きているから、いつの間にかのまれ、この気持ちは消えてしまったかのように、自らの作文の小学生のような純粋な本心にも、まるでコンクリートで蓋をしたように化粧してしまう。

ドリルで開けるのではなく、自然界の人知が敵わないバランスをしる以外には、この固めたコンクリートを崩し、中から自らの軸である縄文魂を発掘することは不可能です。

だから、その際体験が生活レベルで、身近に体験できる縄文里山資本主義ランドを作りたいのです。

そこには先ず野生があい、コンパニオンアニマルがいて、老若男女が好みの違いを越えて存在している必要がある。

その全体を調和させる瞬間に、出逢うと人は本当の中心から、感動を覚える。

そこに挫けず、僕は訴えかけ続けます。

小さくても雛形が出来ると、若者が繋いでくれる。

僕の有り金6000万全部、縄文魂の復活に使った、

こんな馬鹿は必ずどこかにいる。

悪名高きパソナに期待して、真摯に頑張られたが見事に裏切られた初老が、この活動を知って言ってくださった。

良くも紐付き無しでここまで来たよね。
命架けてる感がとっても良い。
僕もこう言う事をしたかった。と!

僕は言いたい。

何時だって出来ますよ。
貴方が我の防御よりも、自然界の繁栄こそが人類の、命の連鎖のちゃん防御になると思うのなら。
そう感じる自分を素直に信じきれるのなら。


崩壊前夜は間違いない。

後は大人が大人として、子供も納得する正義に立ち上がれるか否かだ。

贅沢や公共や企業の偽の安心に費やすマネーが少しでもあるのなら、自分の一票を自然界あっての人類にと必死で活動する集団に、かけて頂きたい。

僕らが何としても導入するウルフパトロール

ウルフが山に戻れば、必ず椚や楢は復活する。

それはブナの復活に繋がる。

中国の公害も必ずお山のシステムで、元に戻せる。

炭素埋設もそのお山のシステムに、人が寄り添い力を貸すだけ。

ウルフがパトロールして、熊人類ウルフの三権分立の枠で始めて自然界が増殖する。

それを感じとりながら、その作業に従事するまで、青年や子供に囲まれて過ごす老後は、なんと言う未来への前向きな安心を感じ取れることか。

そんな老後の創作に一票を投じる九名を、僕は待っています。