いよいよ十二月。そして明日から、暫く雪。
裏玄関から出た露天風呂と釜戸カウンターつきデッキに続くデッキ廊下は「風の回廊」と名付け、全て蝋燭で風の揺らぎを演出します。
そしてこのカウンターの下の長椅子は、ロケットストーブでの床暖にチャレンジ。
お湯とりもするので、これで露天風呂にお山の水もお湯にしてかけ長し出来ます。
そんな様々が先にあるのではなく、作りながら創造が生まれる、これがDIYのよさ。
これが図面が先だと、演出がつけたし。
例えばストーブをメインに家をデザインするとか、ガーデンが先で家が創られるが、ヨーロッパのそして日本の元々の家。
茅葺きの里山の家には、様々な生活上必要なものを生み出すという、ライフサイクルサイエンスが至るところに存在しています。
茅葺きは大きな家では、六分割や十二分割しながら、屋根材が囲炉裏での煙でと太陽で黴菌が零化されながら、素晴らしい肥料を製作していました。
それを毎年分割した屋根の茅を葺く事で、屋根の上を有効に使い、そこから又々いただくと言う素晴らしいサイクルを実現いていたのです。
生活を一方通行に現実化したしている内hしゃ、決して生まれてこないアイデアです。
そして新縄文に突入するのですから、前縄文の知恵を頂くだけでなく、新に創造しなくてはなりません。
来年来られるスタッフの円ちゃんも、ダンスはダンスから生まれないを、唯一発見してくれた同志です。
アートに身を置くと、創造の限界にすぐにぶつかる。
それは、創造溢れる日常がそばにないから。
それを豊かにするには、自分ぼの家畜化を解き放ち、野生の側で暮らしていかないと見えてこない。
その創造が、新しい都市をも創造する。
それが、IターンでもUターンでもない、参勤交代です。
僕らが生きている内に、残念ながら新縄文安定期には入らない。
伊豆の一体と千島が繋がり、以前のムー大陸が浮上して来るかもしれない。
島は転々と下手したらハワイやインドネシアとも繋がりだす。
即ち多島海としてのアジアが生まれでる。
全体で言えば、僕らがそれを受け入れる心の柔軟さがあれば、あるほど世界地図も大きく急速に変わる。
だから、たかが弥生の価値や今までの80年の人生や、せめて孫までの120年ぐらいでは継承して弥生の後に崩壊せずに縄文に引き割らされる地球は現実化出来ません。
だから、今まで出逢って来た魂を今生優先に生きる方は皆、先ずは地球を宜しくと他界されます。
今生費やした、向かい風に負けずに創造し続けた軸が、死に様にはっきりと伺える。
地球の為に、地球が宇宙の意思と融合する為に生きれば、自我は一番最後にならざる終えない。
先ずはシップであり最大の生き物地球の上に、人類はいるのだから地球を生かせば、自ずと自然界が生かされ、人類も生かされ、だから小さな核家族も生かされ、だから自分が最後の最後に生かされる。
羽生君ぼの生き方は、本当に清々しい。
今回の怪我後のミスを、怪我のせいではなく、これが自分の弱さでいまの実力と認めた上で、決して最初に掲げた自分の姿のランクを下げない。
人はついつい苦しいと、安易に目標を下げる。
最初にでかい目標を掲げたのは、大きな風呂敷広げたのではなくて、最初に縄文思考が動いたから。
有言実行とは、始めに全体が見えていることをさせてさす。
具体的は、後からついてくる。
だから、弥生のように具体的を沢山持ちより、全体に近づけるわけではない。
即ち、一生完成をみない。
岡本太郎もここは一貫して、いなすった。
まっさんも目標は一貫している。
それが同じレベルの目標の一貫性を持つ堤慎一扮する大将と出逢って融合されていくから、国産伏流水のウイスキーが創造された。
だから、まっさんのお父さんのように、自らが自らを突き放す。
これを新自給自足と僕は捉える。
自分が師匠に成り、弱い自分の一部の為に激をとばす。
モノで自給自足見ていると、限界がくる。
この激を飛ばす自分が、弱い自分に師匠に行くなったときには、弱さは沢山の可能性になる。
これを存在と言うう。
これを存在と言う。
これを存在と言う。
地球はまさにこうやって生きている。
自然界の野生の住人も同じだ。
僕らにもこの地球の住人と、しっかり言える核がある。
これが魂だ。
即ち自分先生だ。
これしか自律を律すれない。
弱い自分は沢山あるほど、可能性を密かに持つ、原石だらけなんだから何も気張らなくてよい。
気張るのは、自分の?の人生!!職人として、絶対に自分を育てるという師匠だ。
だから、存在に成ったら、もう逃げるも、不安も、大変もないのです。
それは、次元全てを全体から把握しながら仕上げていくと見えてくる、三次元に繋がる唯一の弥生から新縄文への風の回廊だ。
次元全てから把握したら、先に三次元で見えてから安心して行動は、旧態依然の自然界から人類文明を崩壊させた自らの中に潜むルファーだ。
だから、自らの中にレプタリアンやロスちゃんシオニストに、家畜化を許している弱い自分がいる。
そして常に誰かのせいにして、弱い自分をホットさせて来たはず。
今月も今年も無事どうにか越えれたから良しとしようと。
そんな近視眼的なデフレやインフレ、果ては経済回すために、でっち上げテロで女子供の命を奪う支配者を育てているのは、実は其々の中にいるルファーだ。
だから、自立して、自律した存在になり、女性もジャンヌダルクにならにゃ。
旦那や男性社会のせいにしても、ならばそれを批判して生きるフェミニストになっても、存在にはなれない。
対処療法全てを捨てる。
それが縄文移行期を生きる大人の責任だ。
まさに十九才の羽生君は、既に大人だ。