あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

露天風呂は、家から下屋つきデッキ。カウンターバーつきデッキで、来春ツリーハウスへ繋がる大人の基地

これが都市に創る、ドラム缶露天風呂居酒屋への創造に繋がる。

命を支える森あっての、人類だと畏敬の念 当たり前存在せる人類、新縄文人を地球に生み出す為に。

暫く地球と共に生きようとしない、人類が僕も含め蔓延ってしまった。

移行期に入り、未だに旧態以前の価値観に、固執してしまう叔父さん叔母さん、ジイサンバアサンが多い中で、気づき始めた新縄文人の若者は急速に増殖している。

彼らは既に、家族を核家族から出発しないで、地球全体宇宙全体の命を家族と感じ始めている。

当たり前だが、守りに入った叔父さん叔母さんジイサンバアサンには、解る筈もない。

だから、未だに何処かセレブに憧れる。

どこまで行っても、セレブには先があるし、それは自らの可能性を全て狭く閉ざしていく。

それよりも、先が広く見渡せる方が、共有出来て楽しい。

カップルで核家族で、イベント贅沢たまにセレブしたって、心の何処かが寂しい。

お山のまん中で、木々や野生動物や星と心地良さを共有する露天風呂、そんな宇宙家族が本物だ。

宇宙家族で毎日生き始めると、露天風呂も体が一人前スッポリ入る位かせめて二人か三人入れる、五右衛門風呂が最高だ。

その変わりに外が広がっている。

死ぬときは、こんな大きさのお椀で、一寸帽子のように旅立つのだから、大それたクルーザーも生きているうちから要らないと気づく。

天国への扉は、そんな些細な現実の入り口に、幾らでも横たわっている。

自殺は、ビルから飛び降りたり、首つったりと重力に騙されている。

しかし、そこには天国はない。

落ち込んだ姿も、悩む姿も、重力に騙されている身体だ。

しかし、背筋が伸びているは、溜め込まないと誰にでも許されている。

それは、筋肉ではない。

意識だ。

だから、身体意識とは、生きざまだ。

生きざまとは、地球という、命の糧を供給してくれる場で、ワザワザ溜め込んで生きようとしない生きざまだ。

地球による宇宙による天変地異なら、大した溜め込まないで 生きれる。

ましてや、普段から何でも生活に必要なモノを、自らの知恵と体力で手にしていたら、地球は最高のホームセンターつきデパートだから、地球への信頼感や、絆は当たり前に存在する。

身が軽いから、重力に騙されない。

身体ワークや頭の先に紐が宇宙からぶら下がるでは、背筋は伸びない。

身が軽いし、溜め込んでいないのに、ドッシリしているが地に足が着いているだ。

だから、何時だって地球の役割が終われば、シリウスに帰っていく。

映画2012のように、溜め込んでいた奴らは、場を変えて進めない。

これは、財産のせいではなく、旧態以前の自分を捨て去るが出来ない。

小学校卒業しても、未だに楽しかった小学生を忘れられなく、高校までも引きずるよりも酷い。

全く今を生きていない。

周りの若者が、ドンドン飛び級しているのに、誰かの何かのせいにしてる。

だから、車は最高に円盤に近いのが、軽トラだ、

荷物積めるのに軽いし、体に一番近い。

洋服も同じだ。

死ぬときに、天に召される時に、ものや自分以外に心を残さないように、毎日をシンプルに生きる。

何時召されるかなんて誰にもわからない。

財産だって、何億あろうが、周り回って今の自分にあるだけ。

だから、誰のものでも、国のモノでもない。

ここを皆の家にしてるのも、皆の地球や皆の宇宙に何時も感じる為に。

宇宙所有すると思うだろうか。

ロスちゃんシオニストは、真面目に所有しようとしている。

気を付けて欲しいのは、国立公園をなんて名前ついたとき。

保護したつもりが、線引きで野生は大の迷惑。

海や空にも、線引きしている。

だから、そのうち宇宙にも線引きする。

それは、実は僕らの所有意識によって自分が支配されている。

だから、お金が幾らあっても家畜化からは出れない。

野生には入場チケットはない。

自らの意思で出るだけだ。

そしたら金融崩壊も火事も、津波も、怖くはないはず。

自然界の一部なんだから。

だから、やらせ天災だけは、許すわけにはいかない。