露天風呂は、家から下屋つきデッキ。カウンターバーつきデッキで、来春ツリーハウスへ繋がる大人の基地
これが都市に創る、ドラム缶露天風呂居酒屋への創造に繋がる。
命を支える森あっての、人類だと畏敬の念 当たり前存在せる人類、新縄文人を地球に生み出す為に。
暫く地球と共に生きようとしない、人類が僕も含め蔓延ってしまった。
移行期に入り、未だに旧態以前の価値観に、固執してしまう叔父さん叔母さん、ジイサンバアサンが多い中で、気づき始めた新縄文人の若者は急速に増殖している。
彼らは既に、家族を核家族から出発しないで、地球全体宇宙全体の命を家族と感じ始めている。
当たり前だが、守りに入った叔父さん叔母さんジイサンバアサンには、解る筈もない。
だから、未だに何処かセレブに憧れる。
どこまで行っても、セレブには先があるし、それは自らの可能性を全て狭く閉ざしていく。
それよりも、先が広く見渡せる方が、共有出来て楽しい。
カップルで核家族で、イベント贅沢たまにセレブしたって、心の何処かが寂しい。
お山のまん中で、木々や野生動物や星と心地良さを共有する露天風呂、そんな宇宙家族が本物だ。
宇宙家族で毎日生き始めると、露天風呂も体が一人前スッポリ入る位かせめて二人か三人入れる、五右衛門風呂が最高だ。
その変わりに外が広がっている。
死ぬときは、こんな大きさのお椀で、一寸帽子のように旅立つのだから、大それたクルーザーも生きているうちから要らないと気づく。
天国への扉は、そんな些細な現実の入り口に、幾らでも横たわっている。
自殺は、ビルから飛び降りたり、首つったりと重力に騙されている。
しかし、そこには天国はない。
落ち込んだ姿も、悩む姿も、重力に騙されている身体だ。
しかし、背筋が伸びているは、溜め込まないと誰にでも許されている。
それは、筋肉ではない。
意識だ。
だから、身体意識とは、生きざまだ。
生きざまとは、地球という、命の糧を供給してくれる場で、ワザワザ溜め込んで生きようとしない生きざまだ。
地球による宇宙による天変地異なら、大した溜め込まないで 生きれる。
ましてや、普段から何でも生活に必要なモノを、自らの知恵と体力で手にしていたら、地球は最高のホームセンターつきデパートだから、地球への信頼感や、絆は当たり前に存在する。
身が軽いから、重力に騙されない。
身体ワークや頭の先に紐が宇宙からぶら下がるでは、背筋は伸びない。
身が軽いし、溜め込んでいないのに、ドッシリしているが地に足が着いているだ。
だから、何時だって地球の役割が終われば、シリウスに帰っていく。
映画2012のように、溜め込んでいた奴らは、場を変えて進めない。
これは、財産のせいではなく、旧態以前の自分を捨て去るが出来ない。
小学校卒業しても、未だに楽しかった小学生を忘れられなく、高校までも引きずるよりも酷い。
全く今を生きていない。
周りの若者が、ドンドン飛び級しているのに、誰かの何かのせいにしてる。
だから、車は最高に円盤に近いのが、軽トラだ、
荷物積めるのに軽いし、体に一番近い。
洋服も同じだ。
死ぬときに、天に召される時に、ものや自分以外に心を残さないように、毎日をシンプルに生きる。
何時召されるかなんて誰にもわからない。
財産だって、何億あろうが、周り回って今の自分にあるだけ。
だから、誰のものでも、国のモノでもない。
ここを皆の家にしてるのも、皆の地球や皆の宇宙に何時も感じる為に。
宇宙所有すると思うだろうか。
ロスちゃんシオニストは、真面目に所有しようとしている。
気を付けて欲しいのは、国立公園をなんて名前ついたとき。
保護したつもりが、線引きで野生は大の迷惑。
海や空にも、線引きしている。
だから、そのうち宇宙にも線引きする。
それは、実は僕らの所有意識によって自分が支配されている。
だから、お金が幾らあっても家畜化からは出れない。
野生には入場チケットはない。
自らの意思で出るだけだ。
そしたら金融崩壊も火事も、津波も、怖くはないはず。
自然界の一部なんだから。
だから、やらせ天災だけは、許すわけにはいかない。