弥生の身体意識と縄文の身体意識はどう違うか。ここが家畜化から出るには必ず必要な登竜門だ。
さて、弥生の身体意識と縄文の身体意識の違いを!!
弥生とは、予定調和。
縄文は、連鎖調和。
予定調和とは、短いスバンの調和。
縄文とは、地球の中でながーいスバンの全ての命との、連続的な時間での螺旋型による、見た目や短い関係を越えた連鎖での調和。
だから、他の星や、他の銀河とも今の自らの決定が、関係性を創る。
当然身体意識は全く違う。
弥生は、まるで近視眼的に焦点を絞る。
しかし縄文は、弥生が焦点を絞るビジョンを広げ、空間を生み出す。
弥生が黒に焦点を絞るならば、縄文は黒の中に可能性の隙間が生まれるのを待ち続け、隙間即ちキアスムの白地を広げ、空間を掴む。
それを宇宙に旅立った命も含めた、宇宙全体の命と結を生み出す。
それが縄模様。
だから、今個のの決定が、全ての命とハモっているかを、常日頃感じて今を決定する。
ただ、長い生命の木を大事にしたとか、動物ともコンタクト取っていたとか、一部を過大評価する弥生の中の自然崇拝とは、全く違う。
土器ひとつも、風や星や他の星の命と調和がとれているかに、美意識を持つ。
だから当たり前に自然から学ぶ事が多い。
常日頃、奉納感覚で生きるに、自然になる。
だから、戦争も自然破壊もなく、一万年を有に越えた。
短絡的に対処しないため、身体は全く違う。
ゆっくり生きてるようで、ある意味凄い高速で宇宙を思考が駆け回る。
だから、実は凄いスピードで、生きている。
だから息をつく暇はないが、日が暮れると充電が切れる。
だから弥生的な余暇はない。
しかし、毎日が余暇であり、毎日が新たな挑戦であり、毎日が職人であり、毎日が冒険家であり、毎日が哲学者だ。
大好きな星野道雄さをんが、素敵な文章を書いていたのは、彼が縄文式な生活をしたから。
だから、当たり前に芸術家になる。
体も意識が道具になる。
エゴとして自分を磨かない。
ツールとして自分を磨く。
だから地球や宇宙をお客様にしている、芸能人。
そこから、見えてくる五感は、先に六感がある状態だから、常日頃六感をベース世界をみている。
日常の先に世界や宇宙があるのではなく、宇宙の先に地球世界があり、世界の先に日常がある。
だから、毎日が今を生きる。
必死に。
明日や明後日が来るが当たり前ではない。
今の積み重ねを明日や明後日と、弥生がつけただけ。
だから、 一日一日は、ある意味連なっていない。
ましてや、月日を意識はしていなく、今と言う一年や十年果ては千年をまるで一日とも捉える。
さて、これは意識してなって来たのでも、里山に暮らしてなってきたわけでもない。
里山にも弥生はごろごろある。
都市にも縄文が実はごろごろあるように。
縄文時間や縄文身体意識を身に付けるを都会でするには、岡本太郎並みの孤独感に耐えれる強さがいる。
岡本かのこという、高度な縄文人の息子ゆえに高度経済成長下の都市で、野生人を生きれた。
岡本太郎の父母の生きざまは、弥生のナンセンスを徹底的に自ら排除した。
だから、弥生の世間からは異端者そのもの。
縄文は地球や宇宙全体としての生活の場には、郷愁を懐くけれど、弥生式地元懐古主義は存在しない。
だから、地球全体や宇宙全体の一部を感じる場は、どこに移ろうがそこを故郷と感じれた。
だから、閉じこもる故郷意識ではなく、宇宙の果てに僕ならシリウスから意味あって二ビルを経由して、地球に来たをいつも感じていれば、場所やメンバーは、地球や宇宙が意味あって自分をここに住まわせたと捉える。
だから、連鎖調和がわかり始める。
決断は自分だか、決断するアイテムは陰陽どちらも、捧げ物だ。
だから、常に捧げ物全てに感謝したうえで、一番自分を成長させるモノを選ぶ。
近視眼的な利益が、一番の罠であるに気づく。
だから、生きている間にしか通用しない、財産や名声には本気で無関心になる。
勿論弥生人の評価は、一切意味をなさない。
良いも悪いも気にならない。
自分の中で選んだ事が宇宙と調和している姿に、良い悪いがある。
だから、評価は全て宇宙との調和に帰結する。
エゴでの判断力は、全くない。
さて、地球は今新縄文に入ろうとしている。
これから生まれる子供は2020までなら、生まれつきの縄文人だ。
だが、父母は弥生だから、大きく価値が分かれる。
利口で大人な弥生系本質縄文人な親は、この子供を愛情ゆえにカンドウするように、突き放す。
お互い縄文親子ほ、まるで友だちのようだ。
そこまで行くには、親が相当様々な葛藤後に、何枚もベールを脱ぐに至ったのだろう。
うちに遊びに来るサポーターさんは、六割が縄文人だから、彼女達もすんなり緊張感なく、皆の家に馴染む。
2021には、僕らが皆しっかりしないと、支配者がまるで都合良い家畜のような依存型チャイルドを、彼らが大好きな二進法の科学で遺伝子操作で生み出す。
地球の価値が弥生から縄文に転換されないと、宇宙は迷惑する。
しかし現段階での支配者である、地球乗っ取り宇宙人は先発部隊を地球に送り込み、彼らが支配しやすいようにじっくり地球弥生時間を使いながら、何代にも渡り彼らの都合にあう地球人への改造を試みてきた。
何故なら今の地球では、彼らは降臨出来ない環境だったから。
これは、違う星に住む方々の、今の進化状態であり、きっと母星を失い宇宙放浪した挙げ句に見つけた、貴重な星が地球だっただけ。
だから、様々操作して、歴史までいじったさ、宇宙から来るなら、ここは彼らには、過去みたいな感覚だから、彼らが何回も失敗してきた完全地球ハイジャックは、何万年を有したと所で、多分一日にも満たないだろう。
彼らの乗っ取りは、我々が自ら新縄文人を生きると、決めた時からどんでん返しが始まる。
昨日妻と始めて、スガジャズのシンチャンや渚ちゃんの照会で訪れた美容院は、まさに弥生の街に出現した新縄文人への扉を開くに繋がる、美容院でした。
こんな店が日本の地方都市に広がると、とにかく頼もしい。
それは、いつもよる新潟居酒屋SOIさんも同じだし、今の新潟スガジャズスタジオやノイズムも同じだ。
だから、僕的には京都大阪神戸地区と新潟が今の所、唯一現れだした新縄文人の都市である。
野生と呼応する都市が、合言葉になる。
それは、間違いなく里山の一つである。
この里山野生感覚包囲網が、支配者の彼らには望ましくない環境だ。
だから、僕らで言えばSOIさんの美味しい料理が、まばたきしたらトイレに行って戻ったら、ツマラナイカップメンになっていたのと同じ。
意外にオセロげーむさひっくり返すは、難しくない。
僕らが宇宙と繋がる地球人として、そもそもなかった弥生の勲章のエゴや他者から世間からの評価辞めれば、自ずと元々縄文なんだから生きるってこれで良かったのとなる。
それは、ベールの底にしっかりと、未だに住んでいる本当のわーたーし、和多志との出会いだ。
和多志は、地球そのものだし、お山そのものだ。
それは、他者からの弥生社会からの評価から、自由に成れば始まる。
いつでも、何処でも。
先ずは日本の各地に、縄文ランドをツクリダソウ。
その為には一度、弥生式な社会で優位に立つために纏った、沢山の殻を捨て去る事からゼロ化する。
ゼロ化して解る事は、ゼロは全てある状態だし、完璧に生きる材料全てを持って生まれてきた事に気づくはず。
そしたら、今何も見栄張る為のモノを所有したがらない若者の進化を素直に感じる事が出来る。
宇宙時間では、既に地球の未来は過去になりだした。
だから、僕らよりももっと早く、飛び級輪廻転生での子供が現れた。
彼らがのびのび、大人の弥生価値に潰されないで魂の役目遂行出来るようにしてあげる場をお山の側に生み出す。
そしてゼロ化の青年が新しい縄文都市を築く。