又々来ました、人工地震。地下水がある場が狙われ、湧き水は全てターゲット。だから必要伏流水。
又々来ましたね。
ハーブで揺らし地下水を千度に沸騰させ、地震を起こす。
堂々と対処する。
中国の地震も同じ。
マレーシア航空行方不明は、縄文宇宙人のなせる技。
ロスチャイルドだけでなく、ロシアにもある技術。
それを凌ぐ装置が中国でもう一歩なところ、マレーシア航空にそれをなし得る科学者が数名乗っていた。
縄文側の宇宙人は、見事に行方不明にしてくれた。
さて、今宇宙戦争になるギリギリを、内部から止めれるが地球新縄文人に託されている。
レジスタンスみたいなものかしらん。
ここで様々な方が、縄文の自分を思い出す。
しかし、それは弥生のように短いゲームを生きるのとは違うタフさがいる。
単純な短長ではなく、一日があまりに短く長い。
まるで一日が今は十年ほどに動く。
弥生の頃は、自分の環境は小さなコミューンで、起承転結したから見渡せた。
しかしたかが今日は、下の解体場から四メートル材の真柱を六メートル材の梁古材から切り出し、どうにか車で四本運び、焼を入れて腐り防止をして五十センチの穴を四ヶ所掘り出し、二本真柱を建てたら、もう日が暮れる。
その作業は、魂の作業の一環であると、別な場で様々な事がまるで繋がっているかのように動く。
国会から様々が関係性をもって大きく関わりだす。
明日一泊で出向く新潟も、弥生の時間では、別な事だけど、縄文の時間ならば確実に関係してくる。
新潟出張の間に、シゲちゃんが打ち合わせ通り、室内の改装にチャレンジする。
そして月曜は残りの真柱を立て、十二月一週までには屋根をかける。
露天風呂ようの五右衛門風呂も届く。
その後にどうにかそこに雪囲いかけて、春を待つ。
来春着工の十六角形ログ材のカワムキもどうにか5本終らせて、ブルーシートで保護しなくては。
来春には、リヤカー紙芝居行脚も始まるし、冬は講演会が数ヶ所決まっているし、春には現場作業の若者が来だす。
さて、その頃既に茶番になり始めた、弥生の様々な政治や企業どこに流れるのか。
陰陽どちらも更に、次の時代に向かって大きく動く。
やらせ気象変動や人工地震が起これば起こるほどに、バランスをとるために民が目覚める。
目覚めた家畜化からでた民が、いよいよ自給自立自治区を世界中に創る動きも、更に加速する。
自給自立自治区の場は、自然界からの精神面も物質面も含まれた恩恵ゆえに、開く自治区でありだから開かれた民が生まれる、
その入り口作りはたかが魂の物語では、やっと一章が二章幕開けに間に合っただけでしかない。
この移行期は、本当に長いから弥生が暫く平行して存在してる。
だから難しい。
それも生きているうちに、新縄文優位な時代に入った事さえ観る事は出来ないのに、新縄文が安定せずに弥生の価値の復興が地球をまたしても滅ぼす可能性があり、アトランティスやムーの失敗を繰り返す可能性は、今の選択ひとつひとつによって起こしてしまう。
だから、今の選択が未来を決めてしまう。
これが魂を生きるシンドサだ。
一昨日と昨日の朝サポーターさんと長電話して、彼女もある意味魂の旅を始めたなと感じた。
彼女は、ここにいるときシンドかったと言っていたが、本当に魂を生きると全く違うシンドサが、永遠に続く。
僕ら現地スタッフも毎日が本当にしんどい。
特に体が毎日ボロボロだ。
気分転換などは、生涯ないだろう。
ある意味当たり前だ。
狩猟民なら、今を体や知恵をはって生きるの連続だ。
米を溜め込める弥生は、短い未来に保険がかけれる。
しかし、縄文は今を生きるから、毎日がもしかしたら飢餓に繋がるから、遠い未来に繋がる生き方をしなくてはならなかった。
確かに、今を生きてるから、充実は半端ではない。
だけど、精神め体力もタフじゃないと、続かない。
だから、畏敬の念が根付いた。
僕らも七時には皆居眠りが始まる。
毎日体がパンパン。
だけど何故か次の日には、体力が戻る。
これが弥生とは、違う。
弥生は疲れが蓄積する。
縄文は毎日が酷いけれど、何故か朝にはスッキリ。
だから、よく寝れる。
まるで部活の高校生や中学生並みに。
体が既に縄文になってきた証だ。
だけどまだまだ入り口だ。
このシンドサの先に、始めてノーマネーや戦争のない世界がある。
きっと見えだすのは、十五年後に間に合うかだ。
だけど見たい。
後はよろしくと言いたい。
だから、シンドサを越えようと出来る。
若者は、体がこんなもんと先に感じたら、それが当たり前になる。
しかし俺は40から縄文入門スタートした。
だから、未だに十五年たっても、慣れないが二十代なら必ず身に付く。
しかし、地球が今を選びその時僕は40だったのだから、それは役割として受け取るのみ。
さあ、今日も潔く、シンドイ縄文初級編を、生きるだけ。
せめて後五年で中級をクリアーしたい。
あっ!!変わった。
後はいよいよ一万年平和が穏やかな地球とマリッジしたような、一万年ハネムーンのような、ハネサーン時代が来るよと、70代では感じたい。
その時は、自画自賛で縄文上級編卒業と言ってあげたい。
だから、70までの十五年、俺はシンドサに負けずに新縄文の扉を開き続ける。
自分へのご褒美が、あの世で見る、一万年続く縄文時代だ。
明日は新潟から、弥生と縄文の身体意識の違いを示す。
月の時代は終わる。