あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

遂に始まった火山活動。HAPPの仕業か自然災害かどちらでも新しい生き方で我々は立ち向かわなくは!

ロスチャイルドシオニストだろうが、レプタリアンだろうが、実はもっと狭く国や経済の駆け引きだろうが、いよいよ木星と地球の宇宙の平和をかけた地球が乗っ取られながらの戦いだろうが、宇宙の波形による陰陽の不安定から安定平和に向かう次元上昇における試練だろうが、もう新しい生き方に入るか否かを、御嶽山噴火は示していると思うのです。

それは、生活事態をいよいよ民衆最優先に戻す為の、アートな生活実践に入るか否かを問われている、そんな気がするのです。

生活は、アートだ!とは、一体全体どう生きるか?

巷のアートは、悲しいかな今では、商業デザイン化の津波に飲まれ、大衆はアートてデザインさえも、わからない状況にいます。

音楽で言えば、ハイドンのような支配者御用達の作曲か、そこでは彼は自分を生きれなく酒場で大衆のために曲を即興で演奏したがその音楽かになります。

音楽は行き着くと波形情報です。

言霊も波形情報です。

波形情報で文字を書いていたモノが、フツマ文字です。

それは、そのまま波動に現れ、現実の三次元に見える世界を形作ります。

ですから、その波形か生み出す波動に、歪みが無いことが重要です。

アニミズムは、間違いなくアートだし、アニミズムの先にあった原形が、無でしょう。

無には形があります。

潜在意識、即ち無意識には形があります。

意識とは、潜在意識の再確認です。

意識して見える前の現実を認識する、アートな人生所作は、潜在意識の記憶を辿る旅です。

その波形が、宇宙での陰陽のバランスを正常に、戻し整えます。

だから、我々の波形の乱れが、地球の揺れに繋がりますし、陰気な負のエネルギーは地震や噴火に繋がる、人類のマイナス思考が大好きです。

そんなエネルギーに対して、愛で包み込む静かだけど頼もしい程に大きなエネルギー、即ち横綱白鵬のような懐の深さのエネルギーの体現が、アートだと僕は認識しています。

それをダンスの世界では、自分は体現出来なかった。

邪悪な波形での波動しか生み出せずに、限界を感じたのでした。

しかし、それは生き方その物が、偽善で充たされていたからだと、今では思うのです。

だから懐深くから、迷いなく躊躇いなく美しいエネルギーを発信して、生き続けたいと心の奥底から思い、そんな姿に見習いたく美しい広葉樹の山と、そこから涌き出る二千年前の伏流水に、出逢いそれを伝え続ける生き方に入りました。

昨日もblogに書きましたが、湧き出る様が、穏やかなのに凄い量の伏流水を湧き出すのです。

それは愛そのモノを見事に表現していて、僕は水源そのモノの真実の姿に恋をしています。

愛という波形と波動に、恋をしてしまった。

こんなプリマは見たことがない。

だけど最近のノイズムの井関さんには、そんな美しさが溢れだしたように、カルメンを観て感じました。

そして、最近のスガジャズの慎之介さんの生み出す、波形や波動即ち振り付けやダンス、演出構成にも、黒伏山の男水の水源の愛そのモノが湧き出る様と同じモノを、僕は見いだしています。

井関さんやダンサーで振り付け家の穰さんや慎之介さんが成長なさったのか?観る僕がヤット美しい眼差しで観る観客になれたのか?よくわからないけれど、僕にとってはヤハリ美しいお山が湧き出す美しい水の湧き出す様に、愛そのモノの形を見いだしてしまい、共に賛同して体を酷使して共に働いてくれる妻やスタッフの山ちゃん、新しく勇気をもってスタッフにと飛び込んで来られたシゲちゃん、そして賛同して下さりこの活動を支援してくださるサポーターさんに、水源と同じ愛の波形を観てしまったからなのでしょうか。

だから、命が全て美しいと、脳に映り始めたのです。

だから最近は更に、涙脆いしお笑いに満ちています。

笑いのそこから溢れる涙が、伏流水でもある。

だから、山が先か人が先かも、すでに認識出来なくなりました。

即ち、潜在意識とは愛だとしっかり理解し始めだした。

意識したモノが、あまりに自然で意識しなくても当たり前になるから、無意識化に落とせる。

腑に落とせる。

腑に落とせる度合いが、懐を深くする。

全てが愛そのモノだと意識できると、潜在意識は愛の宝庫である。

その時、レプタリアンさえも敵ではなくなる。

潜在意識と言う、愛に満たされた宇宙には、レプタリアンやロスちゃんや陰謀さえも存在しないし、その存在を作り出す偽善もそこにはない。

あるのは愛そのモノだけ。

アートは愛の讃歌です。

潜在意識が愛で満たされ、だから無限であり無であり、そこに気づき生きる事が意識だと解る為に、アートは存在していると感じます。

だから意識を駆使した、宇宙を知る事が、芸術活動何ですね。

愛に満ちて生きるならば、生活がアートになるのです。

愛に満たされるから、味会う全てが美しい。

だから、不食や菜食に行く。

同じく、野生動物しかいないから、仕方がなく食べさせて頂く時も、畏敬の念に愛に満たされて頂く。

だから、自然に家畜は食えなくなる。

シベリアなどのように家畜にして、放牧して、どうにか命を繋ぐ遊牧民にも、畏敬の念と言う愛に満たされていりるが、我々は今どこまで愛を食べさせて頂いていると感じて生きているだろうか。

食べ物は、物ではなく、愛そのモノ。

水も空気も愛そのモノ。

だから、市場から外して、愛の中に衣食住を存在させたい、

その先には市場から愛場に変わる時が待っている。

愛情から愛場へ。

実はイチバは愛で満たされていたと、潜在意識から記憶を取り出した。

即ち思い出した。

だから市場やマネーがもう一度、愛場からアートに生み出されないてならない。

僕は、今日もその日に繋がる人生を歩みます。

この伏流水からの活動、エコロジア ラブアート シェアリングは、宇宙を満たす電氣が愛であると人類が潜在意識から思いだし、電氣は発電所に頼るのではなく、自らの愛でつけることが出来るヤンケと気づくまで、諦める事はないでしょう。

何故なら愛を諦めたくないから。



昨日は梁をいよいよ落としました。

解体作業も愛で満たされています。

そして、すぐに皮を剥けば良かったのですが、二年半前にお山から頂いた杉確か三〇本程の四メートル半の丸太で、掘っ立て小屋ベースの丸太小屋を皆の家の裏に創ると、解体しながら決めました。

よって、掘っ立て柱を立て、丸太で壁を作ります。

だから半径は、今回諦めるかもです。

如何ですか?小坂棟梁様。

ログで半径出来るならば、チャレンジします!!


はっきりわかりずらいでしょうが、此れがこうなりました。



そしてセオリツヒメは美しい愛の姿です。