偽善の良いこと参加は、結局は自我の左脳の作用。ハート熱いの輩達の集団が変革可能にする。
偽善での良いこと応援は、絶対に永続きしない。
本気の世の中変えたい方々は、此方の本気を見に来られるし、対面でのお話やワークに参加して、きちんと僕を量る、
本物かどうか、
しかし市場にドップリ浸かることになれた輩は、自分で汗も流さず、対面する努力もせずに、口だけだす。
本当に千名近いサポーターで、このような方が50名もいなかったのは、奇跡だし、それだけ直に魂でのタッグを組むために、今急激に出逢わされているし、本気でない偽善覚命の方々や、団体は間違いなく整理され始めた。
ハイジャックされている地球に気づけずに、小さな視点でモノを、見ていると、必ず小さな開かれた脳だけで翻訳して、批判で終わる。
僕はこれはビジネスではない本気の覚命だから、常にその時には直接本気で此方の意見を言わせて頂く。
絶対に自分に嘘をつきたくないから。
ましてやこれだけ直に全国からサポーターさんが直にお越しになり、本気の連鎖でお手伝いに来られるから、偽善者の頭だけの批判はこの活動を本気でやっている全てのサポーターさんに申し訳ないから、きちんとモノを、申すのです。
そんな偽善者への対応もあれば、昨日は地元の新規申し込みのサポーターさんが五名お越しになり、本気出逢いだったので、ミニワークも行いミニ講演会にもなってしまい、結果五時間の訪問にさせてしまいましたが、この方々との、繋がりで団体ではなく、個人の集まりによる集団での変革にいよいよ山形が動くそのような確信を持てた出逢いでありました、
本気の方々は、値踏みしないから早い。
腹に偽善で文句を貯めて誤魔化しながら、関わり自分が自分で手抜き参加ゆえの疑問符が貯めきれなくなり、表現してしまうしか能がない輩とは、いよいよ三千人が個で同じベクトルで結びついての、新しい社会の仕組みへのチャレンジ時には、必ず問題を起こす。
最近はそれがよくわかる、
だから、社交辞令でサポーターさんをお客扱いにはしたくない。
同じく此方もいつも同等でいながら、たまたま自分が旗降り役で企画しただけで、一番身体使って汗かいて、アッチコッチ痛くても、自分の脳の進化の足りなさゆえと真剣生きているだけ。
本気の輩達で、僕だけが中心でやる必要がなくなり出したし、それこそがいよいよ団体や一人のカリスマよる信奉者ではない、集団の幕開けが近いと感じる昨日の二つの対人関係でのキアスム現象でした。
さて、昨日の続き、
月の支配から抜け出すに戻します。
先程の偽善者の例は、僕らの脳の関知レベルの足りなさでもある。
五感ではアクセス出来ないモノの方が多いのである。
可視光という五感のアクセスは宇宙エネルギーのなんと、0、005%だけである。
周波数と同じだから決して、テレビもラジオも放送局がダブらない。
所詮今の僕らの知覚は、この1つの放送局の周波数のみを世界と思っている。
それが小さいことで言えば、愛の創造性、左脳ではなくハート心臓で感じる創造性である。
簡単言えば思いやりだけれども、左脳の思いやりではない。
今急速に僕の回りでは左脳の人間が離れて、心臓で感じ取る人間が共鳴し始めたのだ。
これは、間違いなく大いなる意思によって、出逢いが用意され、全体的に組む意味を見いだせない方々は、きちんと整理され始めている。
ついつい人の中の偽善は、この辺に嘘をついて、違う周波数でも同じ周波数に留めようとしがちである、
それが偽善ゆえの限界である。
自分に嘘をつかない生き方からしかそれは見えないが、ついつい常識に縛られて自分という非常識を生きれない。
自分だけでは非常識正解である。
この非常識が集団で集まった時に、やっと常識がわかる。
細胞と一緒だから、細胞の元は全て同じ物質なのに、出逢いが内臓や骨や筋肉や脳を創る。
そのときに始めて自分は肝臓だとか、脛椎だとか、眉毛だとか感じるのです。
やっと自分が何か大いなるモノの一部であり、集団になったときに始めて役割が見えてくる。
最近は細胞の1つがワンドロップだとかまでは来ているけれども、残念ながらその集団が人体で言えば肝臓だとかまでの認識にはたどり着いていない。
それが更に様々な役割の臓器や部品に変わり、統合されて人体になる。
最終的には、他の周波数を知ることが、未来を拓く。
その為には先ずは細胞だけでは非常識だが、今の周波数での常識を捨てる。
即ち非常識を生き始める必要があり、これが出発点。
そのあとに、連鎖で同じ役割を持つ細胞が出逢い、目的認識が始めてわかる。
だから、予定では調和されない。
予定調和が団体の限界で、偽善者を生み出していく。
結果、良いことが個が優先ではなく、団体維持に固執し始める、
そして人任せの参加者の集まりになる。
今の政治の限界もNPOの限界も偽善団体の限界も世直し目的で立ち上げたネットワークビジネスの限界も、そこにあったのです。
先に肝臓になりましょう!!皆さん集まってと始まる。けれども細胞は集まってみないとわからないから、なんか解らないけれども集まってみると解る分かるが生まれるのである。
それが電磁的な思考である。
電磁エネルギー、即ち生命エネルギーこそを思考にする時代が始まりだした。
それが電位の高い山で、電位を高めざるおえない行程で、汲み上げて皆さんに送る意味であり、その電位が高まった方々が次へとここにこられ出している。
そして、自ら汲み上げてお手伝いも始まった。
彼らは言う!
汲まずにはいれない衝動にかられてきたと。
これは僕らの出雲人の採集的な生き方の身体の記憶が、二千年前の雪解け水により、目覚めて来たからである。