頻繁に続いた来客、移動疲れがたまり蓄膿症で熱が出た妻という状況で助っ人のO君のお陰で45出荷終了
新しい生き方は、残念ながらZERO化からしか、スタートできない。
けれども、なかなか、人は脳が記憶している経験値を、捨てれない性に縛られている。
「アリのままの私♪」と叫びたい時は、まだまだ蚊帳のなか。
出た瞬間から、社会の常識も自分の常識も全く役に立たない。
だから、一番チャンスがあるのが、様々を地震等で失った方。
僕は3.11のときには、まだまだ抵抗していた。
だからその時は、全くZERO化する勇気を持ち合わせていなかっか。
しかし、更に更にと捨てさせられた時に、もう何にもないと体が判断したとき、突然何かのスイッチが入った。
自分が自分に嘘つくと、必ず周りにも嘘をつかせる。
結果が今の社会や世界の構図。
何かのスイッチが入り、始めて真っ白な画用紙が現れました。
しかしそこに描く、理想の世界の全体は何ら新しい変化がないのですが、何もないから死ぬかその青に向かって進むかしかない。
そこで出た一歩は、前に進むでしたが、ZEROの地点に挟まれて今があることがわかった。
だから株と同じ。
数秘術と同じ。
後ろ側にある、ZERO地点を取ると死んでいた。
という事は、無有無有無有無有無有無有無有の連続。
だから前にある、ZERO地点を見つけ出せれば、必ず夢は叶うと悟り始めた。
そして此が支配者層の罠でもあり、からくりが分かれぱもはや様々な陰謀やアセンション本は、要らない。
読むには反面教師で読むならば、糧になるが如何に実質的に前に進むかなのに、本を読ませる為に人々を過去のZERO地点で停まらす。
結果、前のZERO地点に止める。
簡単だ。
そうしないと資本主義消費構造は成り立たない。
出雲で寄らせて頂いた場所も、結果自らも客人もそこで進化をとめる結果を生む。
だから場の永続に固執すると、未来への階段は作れない。
結果マネー資本主義を否定しても、マネー資本主義から見た快適な田舎暮らしだから、里山資本主義にはきっと一生到達出来ない。
パパやママから見た赤ちゃんがアリのままだと、出来レースになる。
赤ちゃんにしてみたら、腹にいても死ぬは時間の問題、ならば出ても死ぬかもだけど、出たそしたら何か助かった。
そこに、私を選んで来たのよね、なんて事は実は危険。
反面教師や踏み台も選ぶ理由だから。
だから、子供から何かを返して貰おうは、エゴです。
もうすでに可愛い六歳位で充分貰った。
だから、親は子供を自己実現の道具にしたらならないに、やはりしやすい。
河合隼雄さんの母性の国日本の病みである。
時代が急速に動いているんだから、早い場の変化が必要。
だから、動ける場にすれば良い。
だから、作りすぎないが大事。
そして、自分も動いていながら、止まっているようで止まってないとか、高速なモノを止めて見えるまで見る訓練が必要。
だから、子離れは親離れは、重要な一歩。
試される。
子供の成長のスピードで親も成長している、そこからしか新しい親子関係は創作出来ない。
勿論夫婦も。
友人も。
動き続ける場を場ととらえる時代が、すでに始まっている。
ハコモノ否定しながら、一番ハコモノに囚われている自分を発見する。
F1レースで共に300キロ60キロを行ったり来たりの場を共有する、そんな人間関係からしか絆は生まれない。
だから、ドンドン反面教師で学びながら、アラエビスはドンドン賭けにでます。
この廃屋をこうやって手直ししながら生きれ、仲間を募って募って世の中にない仕組みを生み出して来たから、何時だって何処だって未来のZERO地点から、僕は生きれるだから、何にも怖いモノがないし、だからドンドン未来に進める。
媚びて人に着いてきて貰ったり、説得して道を示す必要はない。
ただただ生きやすい場に向かい進化するだけ。
パイオニアになれば、着いてくる方は現れる。
しかし、それを囲わない。
囲うと自分の進化が止まる。
だから囲う資本主義からバイバイする。
最低お代から先は志に任せる。
だから、ホラをおもいっきり吹いて、自分が信じる。
そしたら、全ての行動言動の発動は、魂のアイデンティティーから始まる。
此処が、ZERO地点。
しかしZERO地点は間違いなく進化する。
此が見えないく課金。
だから無には、無の二乗三乗四乗がある。
これこそが永遠に進化する場である。
だから捨てる度にでかくなる。
無がでかい。
だから結果、有がでかくなる。
もうすでに、無からZERO地点をいじり進化させる段階に、人は来たのよね。