あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

昨日は船井先生の人間クラブの方々が、サポーター登録しにワザワザ山奥までお越しになられました。

先日講演会を開いて頂いた、新潟阿賀野五頭山のサポーターIさん。

その時におみえになられました、山形の方は米沢の御夫婦と、山形市の女性の方と、東根市の男性の方でしたが、その山形市東根市の方がワザワザ水源地下のどん詰まり部落にある、お山ハウスみんなの家に来てくださり、サポーター登録して下さいました。

山形県にお住まいの方々が一番、買わないで山を守り育てながら、お礼にお山から届く水には反応が遅いと思ってました。

山形県内でジワジワ動き始める時は、新しい場に何かが移った証拠。

場所さえ分かれば自分で汲みにいこうは、出来ますぐらいに多分日本では、様々な好条件が重なり偶然のように水源地がマダマダ守られています。

しかし、新潟にしても富山にしても東北にしても、水源地では他県や都市部が動いてはじめて重い腰をあげます。



ヨーロッバでベルリンの壁が壊され、いよいよ共同体を作る時に、市民が自ら仕掛けたのが、市民農園と市民が創るもう1つの新たな市場でした。

よはぬ、民が国家や企業やマスコミから、生活に関わる重要な食や福祉や教育、健康、生き方のスタイルを切り離し、例え又々国同士が揉めても、戦争やデフォルトが支配者層の思惑で起こされても、「生きる」が市民から剥奪されないように、国や支配者層の企ての上に準備したのです。

ユーラシア大陸特にロシアでは、ダーチャが当たり前だから、ダーチャを母体に各家庭が集まり、国や支配者層の企てに「生きる」が脅かされないシステムを自らが立ち上がり創りあげました。

きっと戦争やデフォルト起きて失業しても、津波地震がきても難民にならなくて住むのですが、その実質的な保険を持っていないのが、今の日本です。

ヨーロッバは国家農業対策で自給率を5割から八割や十割にあげましたが、市民は歴史を紐解き国や国境の枠を越えてその上に自分達で、別口百%の自給率を達成したのです。

米と蕎麦と小麦て山菜と野生肉と野生川魚、生みがあれば海魚があり、簡単につくれて保存食にできる少量の野菜があれぱ、充分生きていけます。

そこに、手作りのダーチャをシェアリングしあい、里山の杉のお山にその仕組みを作り出して、各地がシェアリングし始めた時に、国が弾き出す自給率ではない、民が勘定する確かな自給率が生まれます。

そこに地元の民と都市部の民が相互扶助でシェアリングしあえば、水源地も買い占められない歯止めが創れます。

世界のアーティストは、市民との生きた活動に移行したがっていますが、アーティスト主体になるとカリスマ性だけが、突出されてファンしか集まらなくなり、何れは宗教ちっくになり、市民活動ではなくなります。

だから、精神性だけが突出しては、この緊急時に実質的な里山資本主義は、空論になります。

地元民だけが集まったり、都市部から共通の趣味や思考や志向や嗜好で地方にその場を築いても、ネットワークビジネスで収入をうまく生み出せた民だけでコミューンを創っても、必ず失敗します。

もう失敗してる、暇はないのに。

都市部感覚が主体になると、里山は別荘になります。

終の住みかと個人が決めても、別荘地というグローバル資本主義から生まれた場には、まずは自然界と助け合うダーチャが集まるコミューンにはならず、新しい生き方が創る、国や企業や支配者層から離れた自給ランドは完成も愚か、始動もしません。

別荘地を経験して里山に入ったが為に、分かるのですが、これから思い切って都市部構造やグローバル資本主義を抜け出して生きるのなら、市場で供給されている入口から里山資本主義に入ってはいけません。

入場料が最高でも、500円出来れば賽銭方式の里山ランドにならないと、里山暮らしモデルハウスで結局は、グローバル資本主義があっての里山暮らしになります。

供給は出来れば全て、人間関係で賄う。

それが代行お山の自然水汲み上げ、配送から始めた理由であります。

そこへ、地元からそんな新しい場を創りあげ、提供しようと現れる始めたのは、やはり何かが始まったと感じます。

たから、その前に古民家ライフの大工でサポーターの高木さんとも、出逢ったと想うのです。

高木さん始まりそうよ。

mont-bellも巻き込もうよ。