里山資本主義こそが、金本位制度を変える。それは、野生+資本の融合から生まれる!!
東京に二十五年暮らし、金本位制度に汚され、それに乗っかり里山を潰してしまった伊豆に六年暮らし、今東北の里山に暮らし五年経ち切実に感じるのは。人はもう一度野生の袂から生きるを見つめ直し、一歩踏み出して行くしかないである事の確かな実感です。
厳しさも、優しさも、豊も、愛も間違いなくここから生まれたであるとの確信 。
それを人だけの世界に持ち帰り発展した全てが、人類が築き上げた全てでしかない。
どんなに科学が進歩しても、そこには生命感覚を生み出す事は、多分百年二百年はないだろう。
どんなに発達したサイエンスで辿り着いた生な感覚でも、脳が野生の感覚と比べてジャッチするしかない。
しかし、野生を懐かしいとタイカンで思い出すには、幼児体験が何より重要だけれど、境界線である端山と霊山の境に暮らして始めて解る。
これは最終的に、体感して脳が思い出す必要はなく、アラヤシキで必ず記憶している。
アラヤシキは、無意識化の記憶。
そしてそれは、失った尻尾と羽がツクリダス。
しかし、それが日々ドンドン猛烈な早さで、消え始めている。
魂の記憶を取り戻す事が不可能な人が増殖している。
それが二極化である。
その裂け目が広がり、段差を創りだしている。
まるでグローバル資本主義が、世界をこれ程までに一巡していない頃には、悪徳ユダヤがワンワールドにしようと企む前には、アメリカインディアンは今ある世界で完結した暮らしを営めた。
今ある世界で完結するは、横への広さはないが縦の高さと深さはある。
横への広さには、左右を言わなくても人は左右だと感じるし、球形の世界だから左右という横への広さには限度があった。
しかし縦の広さには、高さと深さという全く違う概念を人は持っている。
そして空のような広い心とは、左右ではなく高さと深さから生まれる事が、微かには感じ取れるはず。
グローバル資本主義や支配者層が血眼に頑張っても、横への世界観しか持っていない。
アメリカインディアンや縄文ねように、今こそ縦のグローバルを目指す必要がある。
深さとは地球の命の記憶であり、尻尾が捉えている感覚だ。
それが鉱物であり、鉱物が移動するにはイオン化される必要がある。
心のように、体を捉えると深さとは内面の深さである。
そしてそれが高い高い創造された、宇宙意識の平和と共鳴した時に、新しい世界の方向性がみえる。
そこには横への拡大勢力は、入り込めない。
だから全てを縦から、考え始めなくてはならない。
それこそが物質を越える。
深さとは、必ず中心に辿り着くが、物質的な中心ではない。
命的な感覚の中心であるから、全ての細胞でもあるし、その細胞に唯一関われるグリア細胞とも言える。
我の先にある命の原型に辿り着くと、逆転現象がナチュラルコスモス感覚で高さが現れる。
高さは結果である。
だから今自分に必要なのは、更なる深さだ。
今の立ち位置を変えないで、地球全てが視野に入る深さを、今日から急速に目指し手にする。
それこそが支配者層がいらない世界を手にするための、唯一の方向だと感じる。
さて湯殿山の大日坊に行ってきます。
ワールドカップが終わり、それも東西を融合した経験があるドイツが勝ち、これから世界は完璧な横へのグローバルをなし得る事は間違いない。
僕は、今朝から、縦の深さを追求する。
命の源、中心まで向かうと気づいた時に、怒りが消えた。