世界の行き詰まり感、様々に色々な形で出ていますが、受け身では道は開けません。だから一歩を!!
今の人間関係の間に、フレームの一致を作り出す事が大変難しい時代になったが、いたってそんな時に重大な事故は起きやすいし、起きた事で更にそれが暴露されるのてはないだろうか?
大井原発の判決はまさにそこに、メスが入った一歩であるように思えます。
国に対する不信感や政治に対する不信感なように感じながらも、フォーカスを引くだけ引くと人間同士がフレームを合わせる、経験がいたって少ない日常であると思えます。
フレームの一致には、背景が重要になります。
絵画ならば理解しやすい。
だから絵画は、哲学と深く関わります。
未来の社会に必要で、今の社会にないのは背景画です。
すごく単純何ですが、今のもめ事は全て背景画がない。
背景の違いならばまだまだ余地があります。
しかし背景がない。
環境も同じ。
山に缶やら段ボール捨てる方がいますが、あなたが含まれた絵を描く時に、そのなかに空き缶描きますかと問えるには、背景画の有無が重要になります。
そしてどの背景が今必要かは、まちがいなく自然界です。
けれど、富士山の山頂と人間と解離した自然は、意味をなしません。
それは、環境が耐えられないから。
高尾山もそんな観光地になり、ドンドン荒廃していきました。
人が自身を喜ばす為に入るのは、里山まで。
里山から上は、端山でも霊山です。
山形で言えば、出羽三山の真ん中にある葉山が霊山。
これと端山が呼応しています。
地中でも空中でも。
それが電磁波や放射能を食います。
そこに人間が生かされています。
特にそこに住む広葉樹とは、陰陽の関係に人間はいます。
だから木と呼応して助け合い生きる感覚を取り戻さなくてはなりません。
そこにある媒体が水です。
安心安全だけなら、浄水器で良いのですが、木からの意見を聞きコンタクトして生きたいならば、その木が吸い上げる水を飲む必要があります。
だから手グミで汲み上げお届けしています。
山全てを写しとる、ネイチャーレターの役割が水だからです。
だから僕のお話会では、僕のお話も試飲もネイチャーレターなだけです。
ですから、僕は森の郵便屋さんなんです。
アラエビスは、ネイチャーレターを届け続ける、森の郵便局なんです。
カイカセキミネグリーン、素晴らしいです。
アートテンと呼応して、雑草にだけ虫がついています。
マルチ麦も大正解でした。