消費文化を最大限早くした時に、人は消費から卒業できる。
消費を狩猟採取でとらえ直してみる。
長持ちする、新しいエコにどれ程無駄な消費を、あおられ繰り返して来たか。
たとえば冷蔵庫が耐久か一年としたら、多くを望まないはず。
まして、一年ならば捨てた時に、燃やせる材質も可能でだんをすとれるかも。
なんて考えてしまう。
デザインは、巨大消費の典型。
アートは一点もの。
早い者勝ち。
凄い消費のスピード。
だからカタログ見て、私もと予定をたてれないし、アイテムで予定して自分の周りを組み立てられない。
悪く言えば、出たとこ勝負。
そして現場合わせ。
よはぬ、作りすぎ何だよね。
消費者を一人のアーティストとして。可能性を秘め育てる機会をなくす。
アパレルも、消費者に挑戦させるブランドは、今ではない。
だから創作性が皆無。
僕らがラブハートエコロジアアートで、商品化するサムエ進化型ジャケットとパンツは、直に関わる先ずは森のビーナスさんの己への挑戦である。
だから着る者も挑戦したくなる。
それは、限りなく一点モノ的な要素をもつ。
作りすぎない余白が、すごく大事なことだと、限界集落里山暮らしでは感じる。
人生目まぐるしく変わる時期。
家も車も生き方変われば、コロコロ変わる。
だから余白が重要なんだ。
即ち、消費にも間が関係してくる。
消費も武術やアートの要素こそが重要。
永遠性を消費ブツに求めない。
けれども、それは、インスタント的な組み立てでは違う。
プラモデルでは、デザイン。
モデルこそを自分で作り出す。
そんなこんなを産み出そうとモガク。
必ず見えてくる。
連鎖調和の、瞬間。
予測を越える。
立法体を百八十度捻る。
その時に、トーラス構造の核になる上下が入れ替わった正八面体が、表れる。
此れが3組あって始めて、正八面体のベースのベクトル平衡体が生まれる。
3つの立法体を捻る。
此れを閃くまで、日常でとらえる。
百八十度は、真逆。
陽に対して陰。
陰に対して陽。
それを3組で組み立てる。
身体の建築。
身体が建築され続ける社会システム。
その時、ベクトル平衡体は、新たな進化した思考法に到達される。