あらえびすブログ

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黒伏山が開かれ、昨日から味噌仕込み。水に浸けるだけで芯まで柔らかくなる威力。

皆様に、お山を始め自然界との絆を先ずは取り戻して頂きたく、そのような体験をされた方々と共に命優先の新しい生きる場をを作り出したく、この命優先の森の復活のお礼として、命の手グミの水を皆様にお届けしているわけですが、700名を越したサポーターさんからの体験談には言い出しっぺの自分が一番驚いて感動し、それによって更に自然界の力の凄さに驚く毎日です。

それはいよいよ黒伏山男水100%での味噌仕込みでも、実感させて頂きました。

お話会では、お米を炊いてお持ちし、グローバル資本主義での死んだお水と、お山が作り出す生きた水の炊き上がりおよび、炊いた後の劣化具合を判断して頂いているのですが、大豆を単に水に浸す行為だけで、こんなに違うのかとの実感が得られました。

やはり細胞の中心に確実に、生きた水が届いています。

フルボ酸鉄が確実に中心に届いています。


最近の時期は、水汲み作業で一番の天敵がブヨですが、刺されて直ぐに生きた水で洗えば、ほとんど腫れもしないし痒くもない。

これにも、本当に驚かされます。


こんな繰り返しの中で確実に、自然界への絆がメラメラと自分の中に、沸き上がり確信になっていきます。

エミシは、当たり前に全てを自然界にお任せして、生きてきた。

だから、天災さえも受け入れ、それでも生きていける知恵を手にしながら、自然界を人智で操作する方をあえて選ばなかった。

天災を味方につけるなんて、凄いレベルの信頼がなければ、口だけになるのですが、山神様への信仰も同じ。

だから、必ずお入らずの森にする時期があるし、未だに逆らって山に入ると事故にあったり命を落としたりする。

そんな見えない力が確実に動いている。


土曜からお越しの参勤交代一号に必ずなっていかれる、名古屋のKさんは、素晴らしい事を仰っていました。

埃とは。エネルギー値が下がった結果付くもの。

だから、テーブルを拭くとは、テーブルのエネルギー値を高めてから、ご飯を頂くと言う事。

電気製品に埃がつくのは静電気。

だけれど静電気がそこにたまるのは、エネルギーが滞っているから。

部屋の四隅に埃がたまるも同じ。


自然界には、本来滞る場がない。

しかし人の都合が滞る場を作り出す。

お入らずの時期や山を壮大に子宮に見立てた祭は、お山の磁場が再生する事を人があえて作業を休んで参加すると言う、お山との絆を復活させる時として、危険を覚悟の上で自分の安泰さえも、一度自然に任せてみると言う、今では一番少ない究極の絆の作り方。

けれども、この究極の絆の作り方と言うものが原始信仰を、育ててきたしこれがまだまだ東北には見事に素朴に自然に、生活の中に密着して残っている。


皆が林業したりは必要無いけれど、生業なんて所詮自然の恩恵を、人類が都合よく利用しただけ。

だから、せめてどのような生業にも、自然界からの恩恵を実感して、ひれ伏して自然界に緊張する瞬間としての祭が必要だと思う。

祭は、ダンスや音楽の祭典では、もう許されない時期にいる。

それではやはり分断から始まるから。

今の祭に足りないのは、そのまま生業にも、余暇にもかけている。


富士山噴火も首都圏直下も、人工的だろうが自然が完全に起こしていようが、発信場や方法に問題があるんじゃなく、受け手がわが変身しなくてはやはり新しい思考は成立しない。

それは自然の身近な脅威の中に、日常を作り出し生業を作り出す、参勤交代からしか生まれないだろうと、僕は思っている。

徳川の都合に合わせ、地方が権力を持つことでの革命を起こさせない、頭の良い方法ではあったけれど、今回は徳川でも、国でも大企業でも、カルマでもなく、脅威も含めた自然界の側への参勤交代だ。

そこから、あえてもう一度スタートするが、決して利便性だけ求め、自然界から離れないように戒める。

だから、きっと此れから疎開が増える事は間違いないけれど、都会から避難するという思考では意味を成さない。

一番心地よくてけれども怒らしたら一番恐い自然界の側にいることが、一番人類が逆上せあがらないで「人なんてそんな馬鹿者や。人類の過ちも致し方がなかったけど、もうやらんから許してや。だから、行きすぎないように小さなお灸据えてや」とヤット身の丈を知って気持ちよく生きれる、これが里山資本主義のスタートでないと、本当に人は君臨しちゃう癖に慣れすぎたから、アキマヘン。

毎年毎年冬には深雪で人を拒み、乱気流で人を拒むことで、常磁力性を維持して出来上がる伏流水。

この任せてみる感覚が「まぁまぁ」とかアンバイ加減を生み出してきた。

味噌仕込みも完璧な自然界の恩恵を施したら、後は地球の細菌に任せてみると言う、1つのお蔭参りがそんな日常にも転がり溢れている生活の場が、今の人類の永続には急務である。

本当に国が要らないと言う方向は、更なる個の確立が必須。

都合の良い部分は、パイプラインに頼ろうでは、消費者の安全権利を訴える限り、何時までも本当の自由な世界に生きる、野生の自分とは出逢えないであろう。

そしてそんな生活に慣れるには、変身時期が意外に必要である。

僕も伊豆で先ずは自休自足始めた時、まぁまぁ自然界相手に生きる体力も知恵もゼロなことに、愕然として十年間は必要と思った。

そしてそれは弥生式生活に必要な、意味のない筋肉が覚えた当たり前を如何に棄てるかを、自分に迫っていった。

そして今ヤット、弥生式鎧は無くなった。

けれど本気で変わるなら、一瞬で変われる。

それも知った。

たから、変身ランドが絶対に必要だと。

疎開では、自然が更に壊されるから。

だから、人の思考の根本を変革させてしまう、チャージの場が里山と言う認識に変わる。