さて明日は仙台で新井先生の会。そして名古屋の森のビーナスKさんが約一週間のご予定で来られます。
体の内部と社会を繋ぐのは、実は野生の思考です。
何故なら、体は野生でほとんどが動いているから。
地球を住みやすい場にして、戦いのない命の共鳴が当たり前の社会をそろそろ作りたかったら、地球は野生何だから自分が地球の野生と呼応出来る人間に先ずは変わらないとわ共生出来ない。
それが縄文だし、エミシの生き方。
それが常に様々にちりばめたプロジェクトを、伏流水と共に推し進めて行きたい。
お山は待っています。
新しい神話を。
生きた神話を。
それを創れるのは、人類だけです。
それには直観を鍛え、直感で動く勇気が必要です。
地球側、野生側の秩序やバランスを、磨いて自分に取り入れないと、あきまへん。
そこに通ったり住んだりして、そこであえて仕事を作り出してみるうちに、見え始める事が沢山あります。
それほどに、弥生式都市的な思考形態が当たり前で、それ以外の非常識な発想から、アイデアを生み出せなくなってしまっている。
方法論では、もうイノベーションは起こせない。
たち位置を変えた場から、即ち縄文式野生思考で、弥生式都市文化を実践しなおせばよいだけ。
それは、ほーるもんを活用する創造力で、僕が名古屋のKさんと想像するアニミズムアパレルは、要らなくなったブランド品の野生化の試みであり、ダブルブランド化を試みます。
1つは、ありえない程の高級品として、ヨーロッパのハイソサィティーが欲しがるアニミズムを商品化して、その売り上げで福祉の一旦をまかないます。
そして、大衆向けの不用ブランド品の野生化を試みます。
これは、アニミズム式野生と都市のパッチワーク的な、コラージュ技法思考での商品開発で、ユニクロに対して、待った!こんな発想の現実化は、グローバル資本主義では無理でしょうと言わんばかりの、アウトローアートを示します。
これが農業漁業林業などに置き換えれたら、アートとしての縄文式土器が生活用品になっていった道を、僕らも辿れます。
そして野生がアートだと、思考が進化する。
即ち山菜採取が先で農業は、後の発想から生まれた。
アート的な農業は、農業の野生化から始まる。
それは、伏流水のサポーター三千名から開始されます。
千名からは、先ずはアニミズムアートとしての第一段は、アパレルから、
これが、ゲーム、アニメ、録音studio及びレーベルに繋がって行きながら、第一次産業が野生化していく道を開拓します。