あらえびすブログ

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一般社団法人災害遺児未来財団設立に向けて我々ができること

一般社団法人災害遺児未来財団設立に向けて、

我々【森と水源地縄文トラストあらえびす】ができること

今、3.11の傷跡が冷めやまないうちに、今度はpm2.5の影響をもろに受けて始めています。そんな時に僕らの生きる力が奪われないような、各地への平成の参勤交代を実現させ、そこから今後更に増えるであろう様々な災害遺児の未来を共に創るために、ロシアのダーチャのような、自らが月のせめて7日間は、美味しい空気、生きた水の地で、自給自足しながら、マネー資本主義のもう1つの片輪としての里山資本主義を自分と未来の命のために実現させる時がいよいよ来たのだと感じております。


 年会費一万円プラスアルファーから参加できるシステムだからこそ、全ての人が無理なく支援しその恩恵を自然界から受けるチャンスがあるシステムを、この財団立ち上げに向けて、より私たちも響命し共に活動を広げていきたいという思いから、今回私たちの活動のチラシを配布させていただける機会をいただきました。マネー資本主義のルールを用いないで、自給自足で余った当たり前に無農薬の食糧が新しい市場として、食糧自給率の片輪を補うシステムに作動させ、物流が動くだけではなく、人が様々なコミューンを移動する事に物流がついてくる事での200%の自給率を日本も現実化させられるはずです。そこから生まれた収益は、資本主義ではなく自動的に災害遺児や社会からはみ出してしまった命を育むことに使われる仕組みは、必ず私たちの想像で作られるはずです。そこには、マネー資本主義のルールとは違う全てのものが生かされ合う野生の思考がベースになって息づいていなくてはなりません。
 今までも市民農園や、ダーチャ等のイメージを持ち込んでのコミューンはいくらでもありました。

「けれども、もう1つ何かが足りない。」何だろう?そうそれは、自然界にエネルギーを補給するお山と、人間をも含むお山の住人全てをそこに含めて居なかったのです。ならば、木々さん野性動物さんと兄弟になる方法を生活の中に組み込まなくてはいけません。そのためには、どうしたら良いのか。以外に簡単でした。森のオッパイである、生きた水(伏流水)を普段から飲めるシステムを造り、自然界を含めた絆の構築でした。そこから始まる、耕作放棄地の利用やダーチャからの月7日間の田舎暮らしが実現できるならば、一過性では終わらない自らの意識改革と災害遺児等の支援が可能になるはずです。残念ながら、もう既に、巷では放射能津波も過去の産物に現代人の思考はしてしまっています。都市部でそれを気にすると、気にしすぎの神経質タイプとレッテルをつけられてしまったり、ましてや移住などとんでもないと、出ていった方は村八分にされる一方、残った者は無頓着とお互いを非難し合うような稚拙なイデオロギーがそこに噴出されています。
 さて環境異変で文明が崩壊するとき、様々なものが複合的に僕らを襲います。けれども分断思考になれてしまっている我らは、全体で物事を判断出来ないことが現状にあり、それには学習が必要であり、本来お金がなくても生活にどうしても必要な物は、下手くそでも自らが造り出す習性を野生の中に刷り込ませているものです。ならば、学習しながら準備すれば良いのではないでしょうか。生きた水で健康になり、楽しみながら月7日間の新しいリセット時間が生み出され、そして緊急の時にそこが避難場所になり、他者(災害遺児等)をも招き入れることができる仕組みを早々に構築しなくてはいけません。
 PM2.5乗せて、鳥インフルエンザとキメラ等を混ぜた国家レベルでの都市型テロも考えられる昨今、民のアイデアで充分自然界の恩恵を一番にして、人は生きていける実績を本気で作り出すことで、鳥インフルエンザ等のテロからも未来の命を守ることができます。それこそが民間レベルでの環境危機管理であり、住民の命の営みを一番に考えた災害対策でもあります。

まさに陰陽調和の時代であり、弥生縄文のコラボの時代であり、また、鉄文化と発酵文化の融合であります。現代は陽の文化、即ち見て分断出来るものが、バラバラに存在してしまい調和をしているのです。福島の石川町には不思議と、放射能除去と脳への不具合に最高に効くであろう奇跡の水が配置されている一方、ここ黒伏山では乱気流のお陰と高橋先生のアートテンテクノロジーのお陰で、放射能PM2.5の影響がない奇跡の水が配置されています。地球は全てを見越しているのではないでしょうか。僕らの過ちさえも飲み込んで、気付くならば復活の方法は見事にそこで解決できる何かをそこに配備してくれている、そうなると災害対策は地産地消が可能なのではないでしょうか。そしてそこを越えたとき、その地域で消費するものは、その地域の自然界の恩恵と自然界との絆から生まれる知恵で、地消地産出来るのではないでしょうか。それには余暇も含まれ、教育や福祉も含まれた地消地産なのだと感じています。
 本当の自立は、共同学舎の宮嶋さんのお言葉を借りるならば、《異なる周波数が多くなればなるほど、それが調和したときのハーモニーの波長は長くなる》に繋がり、此れが愛魂道(アイキドウ)の保江先生がおっしゃる連鎖調和であり、僕が提唱する響命世界なのではないでしょうか。そんな気持ちで、世界中を繋ぎたくお水を汲み上げにお山に入りながら、感じた様々をこの絵本に託しました。どうか自然界と人間の対立が解消されますように。


 


 



『森さんは地球さんに住んでる皆のおっぱいだ!!』

(近日発売予定)





人類の移動は命を繋ぐ水の道を辿ってきました。地球と共に生きている野生動物も木々の分布もやはりその道を歩んできました。我々の目から見たらシルクロードでも、その時地球の中で一番生命維持を、すなわち生命エネルギーを高める水が生命を繋ぐことで「シルク」という経済の道も作ってきたのです。しかし、その水が様々な近視眼的な我々の思考から生み出される社会形態によってとても危ういのです。そして、容器に至っても、その水の現状は現在のマネーグローバル資本主義の縮図の写鏡であります。

人は未だ東日本大震災を経験しても、人間の都合で全てが動いていると相変わらず勘違いして、勘違いが通用する社会のシステムを維持しようとしています。今年(平成26年)の世界中での寒冷化現象のように、温暖化と理解しつつも寒冷化がおきたり、寒冷化だと思いつつも急変して温度が上がり、その何日後かには氷が降るようなことが増発しています。これは、地球から竜巻のように生命エネルギーが拡散放出していっていると私は考えています。つまり、人の都合で大地から水や食料が供給できなくなる、そんな時に入り始めたのではないでしょうか。

伏流水は、山の中腹以上から自動的に湧き出るお水です。これには、地球に住む全ての生命の「生きる力」を育てる地球の血液であり、地球に住む全ての生命のおっぱいであると私は考えています。伏流水を守り育てることで、我々にとってとてもありがたい恩恵はなにかをずっと考えてきました。マネーグローバル資本主義とは違うものを、あえてこの土壌に生み出せないかというプランの現実化にチャレンジしてまいりました。伏流水に関しては、湧水や井戸水、水道水、ペットボトル産業とは違い、命側の領域にかろうじて存在しています。この水をボトムアップで民と命あるもの全てのために死守することが、この日本の貴重な水(伏流水)をイノベーションのスタートにするには格好の題材であり、野生の思考から離れてしまった我々への学びの確かな題材であると確信しています。それはいずれ、食と水と教育は、ノーマネーで自然と共に生きる仕組みから手渡されるという新しい縄文トラストのチャレンジです。

森と泉そして民による縄文トラストあらえびす(新夷)が預けられている13箇所の水源地を繋ぎ、その全体像の雛形である山形県東根市泉郷から、森と泉の再生による御礼として、お山の神様が万人に配っている伏流水を、代行で汲み上げ配ることを昨年よりスタートしました。と同時に、お山にはアートテンテクノロジー化を施し、PM2.5等による酸性雨の影響を除去していただきました。今、自然とサイエンス(科学)は見事に一致したゴールに向かい始めたように思われます。例えば、縄文の頃の重要な自然を生かす技術である炭素埋設等の技術は遥かインカ帝国の頃から確立され、日本の島根県の縄文遺跡でも発掘されました。一方で、江戸の頃に人口爆発に伴い、食物供給をするためにネギ等を促成栽培した技術のバックボーンには、三角形による炭素埋設が関係しています。意図的な三角形炭素埋設もあれば、磁力が落ちる前に三つの地点にしか磁力が存在せず、一見収穫量が増すものの、それから3年後には水が枯れてしまうなど、マチュピチュの様な失敗がそこには見られます。それは磁力だけではなく、我々の脳波も狂わしていきます。昔はここまで多くの躁鬱病アルツハイマーがあったでしょうか。そして、原因不明と呼ばれる体調不良がここまであったでしょうか。僕はお陰さまで、この雛形を作るため山形の限界集落に住み、毎日が昨日の体力の更に上を求めてきます。それは、この地が磁力が高いことの証でもあり、当然それに応えられないものは脱落していく世界でもあります。写真家の星野道夫さんが愛した極北の地はまさにその生き方の究極な場でありますが、より人が、自然界よりも下の存在として背伸びせず穏やかに生きられる場でもあります。環境を良くするとは、結局自分を超える以外、方法がないのだと思います。自分を超えるとは、他者に対して偏見や優越感を持つことではありません。人と人が繋がるわけでもありません。人と人を繋ぐひっつけ役は、実は自然界にしかできないことです。共に、水が湧き出るところに五感が触れ、それをつくる美しいけれども危険な雪や風雨に触れそれを他者と共に体感した時に絆が生まれます。僕はこの手汲みの水で、自然界を媒体にした縄文の頃に当たり前にあった絆を復活させたい。その絆が可能な社会には、戦争も仲違いも精神病も食糧難も介護や教育の問題も税金の問題も勝ち組負け組の問題もなぜか存在する意味を持たない世界です。それを、年会費1万円の会費で伏流水を飲んでいただきながら、日本中世界中と繋がって行く国境のない絆を会員の皆様と共に作って現実化していこうと思っています。

我々は今こそ、近視眼的な目線から作り出される全てのものに対する対処法から、すなわち家畜化政策から心と体と経済の野生化を自ら試みなくてはなりません。このイノベーションの参加を心よりお待ちしております。