あらえびすブログ

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モリモリネットワークの新年会、お陰さまで有意義でした。

命の水の力を実感して頂く為に食べ比べて実感していただきたく、市販のペットボトルでの手作り乳酸菌手作り豆乳ヨーグルトと、黒伏山の二千年のアートテン化された伏流水での手作り乳酸菌手作りヨーグルトを、サポーターの大澤さんのお力を借りて、会場に届けて頂きました。

今回の会のお集まりは、皆様意識が高くやられたい事ややりたい事が一致しているので、お水を飲まれても、ピット意識に反応が来るかたばかりでしたから、とっても此方も自然体で試飲していただく時間をいただけました。

何名かの方とは、深いお話や今後の活動を広める為のロータリークラブや学校の父母会等で、お話会の応援お約束もしていただくことも出来ました。

この会に繋げて頂いた、サポーターでありこの活動のボンドボーイ中澤さんに感謝です。

さすがエコ検定の問題をつくられている方が関わっておられる会だけあって、このイノベーション補助金もあてに出来ない時代に、一つの新しい可能性を民が大きなムーブメントとして導き出す試金石になるような期待感を、一月早々に感じました。

この消費税が上がるからくりも、個人や中小が消費税をとられ、大企業は消費税を頂くという、大きな矛盾一杯のカラクリ税金に闘わないで戦うアイキのミセドコロでもあります。

アベノミクスのカラクリを批判しながらも、それが充分に関わる環境危機管理という国の機関に報告され、その理事からご挨拶の年賀状を頂けたり、イルミナテイーを批判しながらも、そこさえもこの活動がグローバルマネー資本主義の両輪から、里山資本主義とマネー資本主義の両輪変革を、心憎いばかりにしてやられたと、なってしまうためには、ロスちゃんさえも、取り込んで闘わないで戦うアイキの実現を社会構造でお見せしなくてはなりません。

その意味では、イルミナテイー側に強いパイプをお持ちの那須の女将さんとも、今回一致できたイデオロギーではない新たな方法で、心憎いばかりにしてやられた変革を、市場も充分に活用しながらなし得なくてはなりません。

女将さんとの様々な心の繋がりの底辺にデーンと有るのは、もうこの世に欲しいモノ(仕事上の為の衣装は必要でも、自分を着飾る為の衣装はいらない)も殆ど無いし、欲しいものは大切にしたいのはこの底辺での強く確かな信頼です。

そしてその《強く確かな信頼》それがある環境の養老院やオルタナテイブな学校が、その《強く確かな信頼》を劣化させずにより強固にして仕上げていくために運営するという、自分達の福祉を自分達で無料化するための起業です。

これは、《本当の国家創くり》です。

これは、国には出来ないレベルに来てしまった。

国に国家に一番必要な、《強く確かな信頼という絆》を創造して、現実に見せることは出来ないこれがチャンスでなくて、なんでしょうか?

民が民でボトムアップで、強く確かな信頼という絆が底辺にある国家を、描き実現できるのですから、那須の女将さんとも、共有出来ているこのワクワクはとどまるところを知りません


消費税増税までに、この響命しあって興す覚命のノロシとして、今の四百名のサポーターさんから、何としてもノロシに見えるのような三千名規模のノロシにしないと、子供の火遊びのボヤだと思われ消火器で消されてしまいます。

そして今年の終わりにはいよいよ一万名のサポーターになれば、他の水源地でも徐々にノロシをあげて行けますし、一万名のサポーターは、聖火の役割を果たします。

東京オリンピックの聖火よりも、常に消えることがない、人類の祭典という新しい生きざまの聖火に火が灯されるのなら、それは消えることがない。

そして、間違いなく革命に必要なのは、遊びであり笑い感覚です。

真面目では人は動かせない。

底辺に確りとした真摯な強かでしなやかなベースがあり、表面は本当にドンドン遊びと笑いでコーテイングしてなくてはなりませんが、これが今のアラエビスでは見事に立場を越えてサポーターさんが遊びに来るたびに《強く確かな信頼》を感じれる場に育って来たのも奇跡です。

これはアラエビス内に、金銭があまり力を意味をなさない空間に、偶然仕上がっていったからでしょう。

初夏までに三千名という奇跡も不思議に、必ず達成されるだろうなという、確かな意味不明な実感があるのも、今年は全く違う自分でも不気味に感じる、へんなたしかさです。

国家もロスちゃんも企業も何でも強かにしなやかに味方につけて、自然界が大喜びする革命をやったるでえーという不思議な自信が、今年のスタートにはありました。

なんか敵がZEROなのです。

何処にも敵と感じるモノが存在していない。

だから自分で言うのは変ですが、僕がではなくて、この活動が神掛かってきだしたように感じます。

大きな岩山に、そこに霊が宿るような妖艶な怖さを感じて、拝みたくなるような感覚ありますでしょう。

そのような存在に、この活動から生まれるモノがなってきだしているのです。

ついに仙台でも大葉サポーターさんからの、ムーブメントが始まったようです。

これも不思議なんです。

必ず遅く動く場は、これまた重要な意味があり、後々解り気付く。

宮城が大崎市から動いたのは、底辺中心がこの場にあり、この新しいムーブメントにはこの中心が必要だから。

その核が《強く確かな信頼》を生み出し始めたとき、仙台でも動きが出始めた。

都市部は実は中心ではなく、核ではなく、遊び笑うコーテイングの役割だからです。

これが東京でも、お来はじめているのです。

東京の中心は更に核たる田舎でないとならんのです。

今不思議ですが黒伏山の巨大な常磁力性の岩が、東京という場の核になりはじめているのです。

これは、うまく説明できない、確かな感覚です。




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