今日は、名古屋にワーク。その前に暗いなか早朝から水汲みに。
昨日は夜、お代わりの出荷七名分と、ご新規用十名分のボトリングをしました。
そこで出掛ける前に、水汲みです。
暗い冬の早朝のお山はアイスバーン。
25キロでの慎重な運転。
この日の出前のお山は、神聖な空気に満ちています。
神々が宿っていることが、充分に感じ取れます。
山神様と対話出来ました。
ラッキーにも、例年の二倍の積雪に繋がる雪もあがり、これも神の采配に感じ取れます。
日が昇り黒伏山が輝いてきました。
今日から二日名古屋に、一度戻り出荷、水汲み、ボトリングして、二十日に東京の西岡パパの会にお水を持ち込み民によるボトムアップの改革への参加を、呼び掛け、二十一日は鶴見での《五百人神の子の集い》に五百人分の伏流水を持って参加します。
昨日書いたblogの内容は、本当に待ったなしの緊急の課題です。
TPPが通ったら、えー!そんなことに繋がる事だったのと、後の祭りで僕らの当たり前に生きる事が、たった一つ二つのマネーグローバル資本主義にのまれていくのです。
残念ながら、デモや座り込みをしても、彼らは強引に世界の政府に突きつけて来ますら、ASEANのようなアジアの国の表明である《我々はアメリカと違う道を行く》との宣言を、現在の日本の政府に期待しても無理でしょう。
企業は企業で生き残りに必死。
地球が我々を食わすモノを牛耳って、全てをマネーに変えて、人工調整まで試みている。
そのゲームから上手に出ながら、違う道を創造実践して準備する。
そこに民が気付いて、一歩踏み出すか踏み出さないか、今年が重要な分かれ目になることは、ほぼ間違いない。
その為には、自ら動くことで、後の結果は神のみぞ知るの、完全他力。
やれることは、後悔のないようにやり抜く。
冬至前に地震が来るのか、冬至あとに地震が来るのかもわからないけれども、陰謀だろうが自然の摂理であろうが何れは必ず来る。
そして、予想通りの寒冷化。
我々は雪への備えと体力を身に付けているが、このどか雪が都市部にいつ北緯を下って行ってもおかしくない。
水、食糧、自然の驚異への備えは、個人でソロソロ本気で立ち上がるしかない。
仕組みから、民の繋がりを作りながら、《備えあれば憂いなし》をいかに本気で用意するかに、かかってきている。
実践していくと、思いもよらない結集が生まれる。
だから、必ず緊急時この水を会員に配るシステムが、民の志で生まれる。
個がバトンでリレーして、供給を果たす。
この活動の、現在の水の配送費も同じであるが、最後は《志》が奇跡を生む。
東北の震災時のように、事が起きてからの結集では、結局又平和ボケに戻っていく。
これでは、何も学んでいない。
そのときに、立場を越えて響命するシステムは、普段から生み出し稼働していないと、緊急時に身体は動かない。
だから、結局最後には、依存のシステムに依存し続ける運命共同体で良しとするか、もう頼ってはおれんよと、道なき荒野に道を作り始めるかどちらかだと思う。
グローバルマネー資本主義が差し出す便利のワナから、自立しなくては、その荒野には道はいつまでも作られないであろう。
都市部のスーパーマーケットやコンビニに、商品が並ばない時は必ず来る。
ASEANの表明には、我々《平和ボケの民》とは大きく違う、野生の意思が既に作られている。
時間の逆転だ。
後進国が野生では先進国であったとの、大転換はすぐそこに来ている。
今年の二倍の積雪は、僕の身体が試されている。
水汲み、ボトリング、出荷、意識変革の広報活動(此れは最近水の持ち込みが多くなり殆ど車で出掛ける。すでに四時間から六時間の運送業)、此れに除雪の六時間が加わった。
天が緊急時の忙しさを、前倒しで僕の身体に刻ましてくれている。
このような地球の仕事では、何故か腰痛(ダンサー時代体重差がある相手を持ち上げ過ぎて、椎間板が殆ど作用していない為に、だからこそ、横隔膜等の内部の筋力での使い方を、志で動かす事を探求して、結果ボトムアップの改革への仕事を天職と気付いた。)も起きない。
動く為の理由が根本から違う時、我々の体は奇跡を生み出す。
火事場の馬鹿力がそれである。
それと沢山出逢ってきた。
もっと出逢いたい。
それが保江先生の愛の力である。
それを生み出す根っこが《愛魂》である。
妻とのリングには、《愛魂の出逢いを山神様に感謝》と記してある。
そして、僕ら夫婦はその道を邁進する。
だからリングもお互いが好きな武術の刀の鐔(ツバ)で作ったモノを、ひとつは《山》もうひとつは《川》として、山川で一体となりこの覚命を遂行する、契りを刻んでいる。
僕らはお互いに誓いはしない。
この役割達成の為に、宇宙で約束して今生間違いなく出逢っている。
天界の意思による、地球人の覚醒という仕事を与えてくれた、《愛魂》という宇宙の中心に契りを交わしている。
この《愛魂》こそが、我々夫婦の神父さんである。
此れが植芝盛平翁が行き着いた、「我そく宇宙の中心」なのだと身に付き始めた。
宇宙は愛のエネルギーに道溢れている。
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