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あらえびすブログ

あらえびすのブログです。各プロジェクトや、日々のこと等情報発信。代表東出融の過去記事、Facebook発信のまとめもみることができます。

筑波学園都市の景観は、イギリスの田園風景を目指したが、イギリスは山形の農山村を目指してた笑えるね

森と泉の縄文トラスト

お金をもらう仕事から、自然界と共に生きるための仕事という、両輪に行く人か行かない人かで、冬至以降は急速に道が別れて行くと思います。

どちらを選んでも、大変です。

行かない人はドンドン秘密重視。

今の国の方向性と同じです。

でも最高の安全保証は、自然界と共に生きることです。

だって人間がいじらなければ、山は何時だって変わらない、強さを持っています。


昨日はお山からの晩秋の便り、熊肉取れたてレバーが、届きました。


生のレバーは、誰が貰えるかは、狩猟のリーダーが決めれます。

春の胆嚢もしかり、コラーゲンタップリの手の肉もしかり。

それを貰って食べれる偶然は、自然界という神の采配でしょうか。

まだ自分で育てた家畜を解体して食べていた頃は、落ち込むと食べた家畜が、「おいおい、俺の命を丸ごと食べていて、そのぶん俺らのぶんも前に進めよと」、夢に出てきました。

しかし、野生はもっと繋がり部分が深く、「俺らの未来の分まで、体を温める晩秋のオイラの蓄えた油を食わすんだから、このお山を永続的な状況に戻すんだぞ、解ってるよな」と心の奥の奥にメッセージが届いて来ます。

食べることはエネルギーを頂くこと。

エネルギーは、食べるものそれ自体の生きる力であり、知恵です。

養老さんのご本に出てきますが、蝶々は、蝶々だけが見える、道を飛んでいるのであって、決して適当に飛んではいないのです。

僕も子供の頃に、蝶が蝶の後を追いかける様を何度となく見ていました。

ラブラブなのかと。

此れがアマゾンでは、無数の蝶が一列になって、飛んでいるらしい。

獣道も、以前blogに書きましたが、一定です。

その道は木々などに、風を通す役割を担っているのです。

お山全体から、動物の脳に指令を出して、全体で成り立っている。

よって、木々は身を付け、遺伝子も残す。

それで、獣は食っていける。


このサイクルから、大きく人は離れてしまった。

人と動物や植物の関係が、何処にも出てこない。

此れはペットやガーデニングではなくて、野生の声と出逢いのこと。

殆どが人の事ばかり。

だから、全てにおいて、悪者を作り、仕立てる。

これ以降は思考停止。

自然界の事に慣れ親しんだ目線が、当たり前にあった頃は、「しょうがないよ」と諦める度量の強さがあった。


僕の水汲みも、手間がかかって当たり前。

自然界から頂くんだから、手間ぐらい、体力と汗ぐらいは「しょうがない」と差し出した時から、自然界の見え方が大きく変わるのです。

此れは子育ても同じです。

大人が構いすぎる。

教えることは、殆どが実は狭い世界での犯人探し。

世の中必ず悪いやつがいて、そいつをやっつければ世の中良くなるという、二項対立の思考。

それで、こうやったら悪い側の人間、こうやったら良い側の人間と、子供に教え込む。

子供たちは、ビクビクしながら、悪い側の人間にならないように、暮らす。

けれども、人生半分は悪者役を演じさせられる。

だから、一度悪者になったら、人生終わりだって、今の社会では浮かばれないと自殺する。

自然界には二項対立が零。

だから、その野生の思考があたち前の場に、二項対立の思考wp持ち込んだ所から、自然は傷付き始めた。

現場とは、二項対立の思考が成り立たない、野生の思考の世界である。

終末説はないでしょうね。

それも二項対立の思考だから。

二項対立のスピリチュアルも、僕には全く興味がない。

このままズルズル行くと思う。

それが自然だから。

完全に滅びた部族は零。


では、生き残った部族の一部と、途絶えた部族のその他大勢とは、何処が違ったか。

先に変化し続けるが当たり前を、受け入れた事で、たかだか人類が継承しているデータよりも、自分の直感を信じれただけ。

それは、気持ち良いよか、綺麗とか、それを優先出来るかという、自分を信じる力です。

信じた結果孤立したら、無縁社会の方でいきれば良いだけ。

それぐらい、地球は頼もしい。

バイ4の家だけが住みかでない。

自分の古い価値捨てれたら、明日からアマゾンでも繰らせれる。

だから、そうなってくるとTPPも秘密法案も水源地買い占めも、こちらがわの生き方で、どのようにでも対処出来る。

そして、子供にはその強さがある。

死ぬ気で子宮から出てくるんだもの。

此までは何でも予測可能だと思ってきた。

けれども、野生の現実は、あーしてもこーならない事だらけ。

だから、手入れした。

自然そのものでもなく、完全な管理もやめて、その中庸に生きる。

蝦夷の生き方です。

子育ても手入れです。

けれども、どう育つか何て、誰にもわからない。

だから、一定の手続きを踏めばこうなるとの、大人の錯覚を自らやめれば、子供は生きやすくなる。

さあーて、昨夜は雪が降って、綺麗な山の景色です。


きっと最後の黒伏山の水汲みになるのかな。

行ってきまーす。

今日の中庸を感じ取りに。



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