マネー資本主義改革へのイノベーションは、本当に難しい
価格とは何か?
本当に僕らはとっても難しい局面にいるなと、感じています。
一昨日のblogで書いた、オーストラリアの現状の難しさもそこには、ドカーンと横たわっている。
地力の回復に途方もなく時間がかかるオーストラリアで、木材チップが1トン7ドルで日本に輸出され、1トン1000ドルの木材加工品を日本から輸入している。
結果、日本人が、オーストラリアの森林破壊を進めている。
例えば水も、ブッシュ資本が買い占めてしまったとあるインドネシアの水源地では、5リットルの自国の水源地の水を他国から一万円で買わされている。
今の僕のイノベーションでの伏流水は、年間一万円のトラスト基金の見返りに、480リットルの伏流水を森と水源地のトラストへの恩恵として、送料消耗品をサポーターさんに負担して頂き、送らせて頂いている。
結果、東京ならば月20リットルを二回送っているので、年間480リットルになり、会費の一万円+消耗品五千円+(送料片道1250円×48回=六万円)=7万五千円になる。
その7万五千円を480リットルで割ると、1リットル157円という数値が弾き出される。
これが5リットルだと785円計算になる。
これが10000円で買わされてしまっているという現象が、実際グローバルマネー資本主義では、お来はじめている。
それが送料だけとらえると、抵抗を感じる方が出ているという現状も、この活動から学んで来たこと。
けれども、日本の水源を、イノベーションで守るシステムだと理解されている方や、手ぐみでだからこそ成り立つ生命エネルギーを水から奪わないで届けているのだから、送料ぐらいは都市部に暮らしているのだから負担して当然と思ってくれている方も、以外に多いのも確かです。
そこでモミの木ハウスさんでの、昨日の山田シェフとの打ち合わせで、もうひとつの仕組みを作りました。
五リットルのガロンボトル完全手ぐみ伏流水を、千円というトラスト資金参加への恩恵で、頂けるシステムです。
東京での自然食飲食店から始まったこのシステムも、又々一つ磨かれて駒を一つ進められます。
ボトルを返すと二百円キャッシュバック。
これは、自ら車を運転して、運びます。
今度は運送業もすることになってきました。
本当に自然界の恩恵で生きれるというイノベーションを、マネー資本主義に慣れ親しんだ場に、生み出して確実に枝葉をつけて、この活動が一千年二千年の大木に育てていくのは、並大抵の体力と知恵では出来ないなと、改めて感じています。
これが商売なら、広がって一件落着。
けれどもこの活動は、自然界の回復と存続から、恩恵で福祉さえも頂けるという、イノベーションなので、売らない買わない水のシステムがある程度出来ても、それはスタートでしかない。
この時代、自然界がギリギリに来ている。
そこに群がる利権も本当に凄い。
そうやって今までも数多くの文明が崩壊した。
多分やろうとしているチャレンジも、着目した日本の水源地も森も、間違ってはいない。
けれども、日本が住めなくなったら、海外へ。
これは、僕の心の琴線には、どうしても響かない。
だってまだまだ此だけの、ギリギリの状態ではあるけれども、お山があるのだから。
必要悪が殆どではあるけれども、自分達で荒廃させておいて、住めなくなったらサヨウナラは僕の生き方ではない。
森が死ぬのなら、共に死にたい。
そこに住まう野生動物や、木々が、全体として呼応して、あれだけの水を作り出しているのだから。
息絶えるまでは、森が森に恵みを生み出す事に、最後まで助力したい。
人類だけが特別という生き方は、どうしても僕には、不向きである。
自分は蝦夷でしかない。
アテルイ.モレに誓ったのだから。
その誓いを最後まで生き抜きたい。
モノノケのサンが森に残るように。
僕は今はアシタカの立場だから。
そして、サンはそのまま、森でもあるような気がする。
人として描かれてはいるけれども、人なのに獅子神さまの恩恵のみで唯一生きている、本物の縄文人。
そして、永遠に尊敬してもしても、近づけない存在。
蝦夷は、ズットこのように、縄文人にも、弥生人にもなれなくキアスムに生き続けるのだろう。
アシタカは家畜化された、鹿に乗って。
僕は中古の4wdに乗って。
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