あらえびすブログ

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昨日お逢いした若き衆議院議員鷲尾さんと、僕の池袋での講演会にお集まりいただいた皆さん有り難う

先ずは久々の衆議院議員会館に、出向きました。

二時間もお時間を取っていただき、真剣に僕の活動を全て前向きにご協力頂くお約束をしてくれた若き政治家の姿勢には、トップダウンでのお役割の底辺に、しっかりと民としてのボトムアップへの姿勢がおありで、とっても心地よい時間をお互いに持つこと出来ました。

彼の新潟での実家と新潟での事務所、そして議員会館での三口の伏流水設置をお約束頂き、真剣に今の自然界の復活と日本人が与えられた地球上でのお役割実現のために、共に僕の活動を彼の回りに広めて頂けるお約束を、彼の魂から言われている様がしっかりと感じとれ、政治家という立場を一度はずした上で、彼が政治家の立場を一つのアイテムとして使って生きたいとの想いが、僕にしっかりと伝わって来ました。

僕の活動にもうひとつ広がる別な道筋が、ご紹介してくれたアートテンテクノロジーの高橋先生のお陰で、開かれたように感じととれました。

彼は、新潟の佐渡島出身。

僕がカヤックで訪れる、粟島は直ぐとなり。

そしてシンクロで、新井先生から向かう途中お電話が入り、新潟十日町の水源地への道筋を繋げて頂けるかたのお名前とお電話番号のご紹介。

ここにも大きなサインが出ていました。

鷲尾議員の信条は、現場から離れるな!

現場から離れた政治は、絵に描いた餅との彼の想いが、農業や自然界復活と維持こそが、日本の本当の国家戦略との想いも、強く一致することが出来た部分でした。

と同時に、民は政治家任せにせずに、ボトムアップの現場を自ら創造して開拓するべきの、僕の信条にも、彼はしっかりと力を見られたようでした。

これが地に足をつける政治家を生み出し育て、政治家自らをも変革するという役割をも、この《森と水源地の縄文トラスト》が担い始めたように感じました。

以前にも書きましたように、森と水源地をトップダウンでトラストするのではなく、森と水源地と共に生きれるボトムアップの行動が出来る民を育て、結果《民の野生の心のトラスト》の実現が《森と水源地の縄文トラスト》なのです。

なぜ縄文トラストか?

これが、《アテルイ・モレ》蝦夷の心の復活だからです。

主題は我々の心の中心の変革にあります。

その為には、我々のタンデンという心の泉に映る景色こそが、真実です。

その為には、そこが波立ってはいけないし、うちなる静けさが一番重要です。

どんなに早く、大きく動いても、決して波打たない深い自分の心の在り方です。

そこに映る景色は、先ずは自然界が先です。

光ではありません。

シュタイナーが言うように、光、光、光と言うスピリチュアルが一番、この時代罪を生み出します。

もう絵に描いた餅に心を奪われてはいけない。

荒川修作さんが仰られたように、もう絵を外から見て、そのお客さんの位置から、未来を描いてはならないのです。

自ら知らない現実の未来を創造して、実践してそこに己の足をいれてみる。

そこが、どんな不安定な場でも、己の世界を知るための写し鏡であるタンデンを、波立てて歪めて世界を写し取ってはいけないのです。

これには、鍛練が必要です。

僕が提示する鍛練への入り口が、伏流水を飲む行為から始まると、信じて始めた活動です。

都市での生き方を、蝦夷アテルイ.モレに変革するのは、困難です。

これは宮城に住もうが、山形に住もうが、東京名古屋に住もうが関係なく、都市部的なパイプラインの生き方を指しています。

捻って水道が出る、一寸歩いてコンビニ買い物に行く、スイッチいれて電気がつく、一度のこの世界から離れる視点が重要です。

それを身近に出来るのが、僕が体使って、汲み上げ配送するお水に、載って届くと信じて始めた活動です。

それは、本当にサポーターさんの変化をみると、ドンドン強く現れ始めて来ています。

ここに体を使うことは、大好きです。

けれども、体は痛めることはショッチュウ。

今はそこをも隠しもしません。

あえて恩着せがましいほどに表現させて貰います。

けれども、あなた方はあえて痛める必要性がないと僕は思っているのです。

けれども蛇口を捻って出てこなかったら、コンビニで水が手に入らなかったら、国の配給が遅れ喉がカラカラだったら、政治家を恨む時間や横目で汚れた神田川の水にチクショウと行っても始まらないから、何処かに汲みに行くしかない。

だからそうなる前に、その体を使って汲み上げたり、食糧の源をつくる方々と、最低でも繋がって心を通わせようとして欲しい。

その代わりこの輪を広げて、民の民の為の改革を、自らの心の改革を実践してから、政治家にも、企業の搾取にもイチャモンをつけるべきではないかと思っているのです。

僕が汲んだから力がのると、おしゃって頂いた昨日の池袋の会のアフターの飲み会。

それは、あるでしょう。

けれども、それは、飲むかたが、そのように自然界の恩恵や汲む人間の恩恵を感じとる、素直な少年の心である原点を失っていないからであり、それがその水を飲んだり、焼酎わりしたものを飲むときに感じる、あなたのうちなる静けさを持つ湖である貴方自身の野生の心と出逢ったのです。

それは、水が野生であり、汲み上げ方配送というシステムではなく、その作業をする僕が野生を信条にしているからなのです。

お山と野生と、僕の野生と飲まれる方の野生が共鳴したのです。

これが響命だと思うのです。

本当に昨日は響命を感じた一日でした。













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