あらえびすブログ

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本日から、衆議院議員会館と、東京のサポーターNさん主催の僕の活動講演会です。

長い間の度重なる出張運転と、忙しさで痛めた、股関節をムチうって、今日も車で東京に向かいます。

今日はアートテンテクノロジーの高橋先生のご紹介で、この活動に未来への期待感をお持ちの衆議院議員との衆議院議員会館での打ち合わせと、関西出身で僕の活動をサポートして、広めたいと動いてくださってる、Nパパさん主催の会での僕の活動講演会に出かけます。

僕は、企業も、個人も、政治家も、芸術家も今は肩書きを取り合えず横に置いて、ボトムアップの動きを現実化してみたいのです。

それもイデオロギーではない思考での、個としての立場から繋がれる場の創出です。

日本はトップダウンで、自然界の崩壊から起きる人類崩壊を、切り抜けて来ました。

代表的な時代は、江戸の鎖国です。

ですから国と言う形を持ってから、未だに日本ではボトムアップでのイノベーションは起きていないのです。




そのなかで、急速な崩壊の現場である、オーストラリアでは、このボトムアップが沢山作動している。

例えば日本と馴染みの深い輸出品について、例をあげそこから生まれたボトムアップまでの道のりを考察しよう。

それは木材加工チップ。

紙や紙製品の原料である、オーストラリアの木材チップの最大の輸入国が、我々の日本である。

そのオーストラリアへの原料支払い額は、1トンあたり、7ドルである。

その加工品である、紙が日本で売られる額は、1トンあたり、1000ドルである。

切り出された後で、原料の木材に付加される価値の殆どが、オーストラリアではなく、日本のものとなる。

そのくせ、オーストラリアは木材チップを輸出しながらも、輸出の三倍近い林産品を輸入しており、その輸入品の半分が紙や板の形をとっている。

つまりオーストラリアの林産物貿易には、二重の皮肉が存在する。

先進国の中で森林崩壊が激しいオーストラリアが、更に森林伐採を続け日本へ輸出しているが、日本は先進国の中でもっとも森林割合が高いという皮肉。

もうひとつは、オーストラリアの林産品貿易は、安価な原材料を輸出して、別の国で高価かつ付加価値の高い最終製品に加工された物をわざわざ輸入するという皮肉。

この形式は先進国と発展途上国で起きる形式。

即ち、安い原料と未来の購買者を作り出す、植民地計画。

これが先進国との間におきはじめている。

そして、日本のような栄養分の高い地力(もう危ういが)を有さないオーストラリアでは、極端に森林の成長が遅い。

そして、この原生林の搾取と同じことが、漁場の搾取でも起きている。

同じく栄養分が低い海なので、魚の成長が市場に追い付かない。

そのオーストラリアは、トップダウンによる環境保全を諦め、ボトムアップの方法に上手にというか当たり前にそこしかないのですが、移行したのです。

それからの活動は目覚ましく早く、結果を出して、後継者育成も上手く行っている。

やはり人は追い込まれて、結果を出すのかもしれません。




トップダウンは、複雑な社会の体制を作り出す事に問題がある。

よって忍び寄る脆弱性を見つめてしまう。

トップダウンは、分断思考を増長させる。

それが政治の限界。

だからこそ、政治のせいにしても、何も解決しない。

よって、トップダウン分断思考では、全体として崩壊に向かっていると、ハッキリと見える人物が余りにも少なく、トップにとっては、それは怖いボトムでの気付きになり、自分の立場を危うくするために、とにかく隠す。

今の日本での現状であり、家畜化への道である。



けれども、よーく自分を見つめて欲しい。

家畜化を選んだのは、僕らである。

パイプラインがその証拠。

コンビニやスーパーもある意味パイプライン。

都市は脆弱で、家畜の牧場であることを、家畜が一番見えない。

予測はあっても見るのも怖い。

フナセさんが仰るように、知らないふりが一番罪である。



飼い慣らされるほどに、野生の場が怖い。

結果、家畜化からの自由をと訴えても、檻の外に出れない。

よって又々国の保護のもとでの、野生化を訴える。

補助金目当て、補償金目当て。

それでは国立公園であって、デズニイーランドと同じである。



集団の意思決定の失敗は、家畜と化した瞬間に始まっているのであるが、それは、個人の意思決定の失敗という問題にも微妙に関わっている。

間違った結婚生活、間違った投資、間違った職業の選択、事業の失敗等、あげればきりがないが、集団意思決定の失敗には、集団構成員の間での利害の衝突や集団力学等の複雑な付加的な要因が入り込む。

けれども、この場合の個人の意思決定の失敗は、あくまでもトップダウン方式の社会の形式故に起きている。

ボトムアップには、個人の意思決定は失敗に至らない。

北海道の共同学舎の宮島さんの、障害者も含めての今日の仕事での、事前申告である。

完全なボトムアップ

僕は伊豆の食糧を殆ど持たない、60人でのワイルドアート森林ワークで、見事にその光景にであった。

勝手に役割分担が起きる。

今のここでの活動も、いつのまにか特技を持ってる人が集い、勝手にやりはじめている。

しかしトップダウンは、犯人探しに忙しく、これに時間をとられている間に、自然界は急激なスピードで崩壊に向かう。


オーストラリアの木で紙製品を作っているうちに、見捨てられた植林の針葉樹が、ドンドン日本の自然界の崩壊を進めている。

切り出しても市場にのせる上で会わないゆえに放置され、針葉樹が風化しても土を作れないという特質が、土砂災害を産み出す。




ならばどうするか。

ボトムアップなら可能だ。

先ず、本物の伏流水を、都市部の生活圏へ。

山の状況は水の味や、それを使った料理に顕著に表現される。

味覚が山への興味を創る。

その水源地を訪れる。

その支払っている会費を利用して、皆さんの趣味の時間の余暇労働力を利用して、無料の養老院や寮生の学校が出来、そこが新しい林業やサービス業を経営している。

様々な原料を運び出さないで、そこでの新しい生活圏を確立する。

余剰のモノだけを出荷する。

それは、地域の特質にそって、一律にしない。

そのコミューンが、災害時に支えあう。

当然その循環が、そのstyleが新しい観光にも繋がる。

一万円の会費で、完全伏流水だけではなく、様々な恩恵を貰えた上で、福祉さえも実現させる。

誰がくれたプレゼント。

自然界である。

僕はこの図式以外、この複雑な巨大な集団構成員というグローバルマネー主義での、文明崩壊は阻止できないと思っている。

その為には、演出や仕掛けが重要だ。

恋人や大切な人へのサプライズと同じ、民が気付く為のおもてなしの戦略。

今日はその辺を、議員さんとお話してこようと思うのです。





さてもうひとつ、サポーターさんからのご主人の体調変化のメール報告も、載せましょう。

このようなご報告本当に多いのですが、これがボトムアップの良いところでもあるのです。



寒くなり水汲みが大変ですよね私が独身だったら手伝いに行きたい気持ちでいるのですが…水の注文を頑張らせて頂きます

またまた、報告が有ります
家の旦那なんです…ここ5,6年健康診断で逆流性食道炎と十二指腸ポリープが七個あったんです。経過観察でね
それが…食道炎もポリープも消えて治ってると言われて来て
家の旦那薬を飲み続けたからと言ってたんで…私の心の声は、今まで何年も飲んで変わらなかったのに水を飲んだからでしょと私はい確信しました。






ボトムアップこそが、大地に根を生やして自立する唯一の方法。 
ボトムアップからの政治には、党も派閥も何にもいらない。
気持ちよい心地よいを集めれるからだと、僕は思うのです。
それには、演出、デザインのセンスが、必須です。
そこだけは、サプライズで騙して、騙されて良いでしょうと思います。










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