今日はいよいよアートテンマウンテンが、立ち上がる日
静岡四割、北海道七割の重要な水源地の、中国による買い占め。
自ら生きる根元を大事にして来なかった、我々の心の在り方の結果です。
それを全体意識の中で、気づかせようと仕組んでくれているとも、言えます。
その一歩を歩めるか否か。
生きた水と死んでる水の区別もつけられずに、鈍感になってしまった僕ら。
地球や宇宙が当たり前に与えてくれている命の糧を、大事にして後世と地球に育む生命全体の為に此れを活かすのか、市場優先の世界に手渡してしまうのか、自ら戦わないで闘いを挑み市場に利用されるのを拒み、実は生きた水と生きた食糧で病気知らずをこの手に取り戻すのか重要な時期に入り始めました。
生きた食糧と死んでる食糧にも、大半のかたは気づいていない。
もうF1の種を受け入れ、遺伝子組み替えを受け入れた時から、自ら家畜を選んだとも言える。
僕は、本当の覚命を起こしたい。
もう起こさないと、地球に住む全ての生命と、その新しい世界を更に拓こうと生まれでて来る、子供たちに申し訳ない。
今のアフリカや、アフガニスタンのように、干魃で水がなく、泥水を飲んで凌がせなくてはならない事も、充分にあり得る。
後からよくよく考えるなら、充分に自分達で開拓者のように、生活の基盤に目を向けているのならこんな事にはならなかったと、後悔しても後の祭りである。
すでに、予算消化とやっつけ仕事で、お山に堰を作った所から、もう死んだ水に近づいている。
堰がない上部でお山の水を汲み出す事には、本気の覚悟がないと出来ない。
まして、それを覚命のムーブメントに仕上げるには、最低百万出来るなら一千万の覚醒した命が必要だから。
覚醒も何も難しくない。
そこには俄スピリチュアルも机上の研究大好き有識者も、要らないし、そのような情報集め大好きで終わる民間諜報部員も要らない。
ただただ自然が創る恩恵に、身をおくだけ。
福島もそもそも、利権で手にはいる物に目をくらました。
それは、福島の話ではない。
僕ら家畜になってしまい、自分で自分が納得できる仕組みで、本気の生きるとムーブメントを起こそうと生きていない。
誰かのひいたレールを生きて、それが上手く結果を出せないと、国家や陰謀、企業のせいで終わる。
家畜が家畜の檻のなかで、今日は飯が配給されないと、座り込みをしてデモを起こしている。
その檻の外には、充分な野生の食べ物が命を響かせている。
けれども、気づいていても見ないふりか、今の生きる場でも充分にムーブメントを起こせるのに、気づいてもいない。
そして、アメリカがデフォルトしそうになり(これはまだまだ続くきっと一番上手くデフォルト出来る機会を先伸ばししているだけ)、リッツカールトンは表示の疑惑、けれども悪びれた様子が感じられない支配人。
一泊七万も使わせるホテルでは、許されないであろう。
まだまだ阪急ホテルの、やりすぎのイメージ合戦との、コメントは素直に聴ける。
そして、マスコミも消費者は、他人事のコメント。
実は、表示するほど、何時でも手にはいる食材はない。
そんな時代に入った証。
今日はチキンカレー食べたいと言っても、それも危ういよとの、始めの現れ。
まさかリッツが。
食材ないけれど、プライド高いから、本日入荷ありませんと言えない。
世界中の食材が身近で手にしたり、口したり出来ることが、裕福との家畜の王さま。
こんな金持ちが、叉偉そうにホテルで文句を言う。
茶番劇。
きっともうすぐ。
今日なに食べたいと、聞けなくなるのは。
家庭に降りてくるのは、そう遠くない。
アイスクリームのピラミッドの頂点を相手にする、リッツカールトンでさえ、手にできなくなってきた。
表面がとけだしたら、速いよ。
このリッツさえも巻き込もうとタイマン叩いて、三回宿泊して、このような事が何れ起きる前に未来の生き方を伝えるホテルを、お山に作りませんかと、支配人に宿泊した上で三度もお手紙を出しましたが、そのお返事には甲も乙もない命の響きがない、綺麗な文章とメッセージカード。
パッケージングだけは、如何にも気を使っている。
けれども、心がない。
沁みない。
響かない。
愛がない。
さああなたは、自分の意思で、家畜の檻から、野生への扉を開けますか?
何時でも、実は扉は開いています。
アニメ狼子供の雪と雨の、雨のように、僕らは野生に何時でも戻れる。
この場にいながら、国に参加しないことが出来る。
それこそが強さです。
昨日二度目の、ヱイちゃんのコンサートビデオを、観た。
六万四千の観客相手に、繋がっていた。
アンコールでは、泣いていた。
そこまでたどり着く為に、失ったものを思うときに、そこにたどり着いたからこそ、泣ける時がやって来る。
僕にはまだまだ。
日本中に百ヶ所の水源を飲んで守っている事での、百万のムーブメントを起こすまでは。
百万になれば、そのムーブメントは、自動的に世界中に広がる。
そのムーブメントは、今までの共同体とは、根本が違う。
場はその地にあるのでなく、己の肚の底の底にある。
その特に始めて胸の奥の奥と繋がる。
此れがハートだろうが、肚に場を持っていない奴等には、ハートは目覚めない。
肚に場を持ったときに、野生が目覚める。
それがロックだろう。
農村ロックの和気優君に逢うのが、楽しみである。
十一月彼が主催の青空マルシェで、俺のロックのハートは、山と泉と全ての生き物と一緒に生きる事だって叫ばせて貰おう。
自分で、い き よ!
ソロソロ重い腰あげて。
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