日本を世界に誇れる《水の杜》に生まれ変わらそう。それは志民の手から。
又々西日本に台風が近づく。
電位が低くピートモス状の土がない植林が多い山は、土砂災害洪水と又々心が傷む結果が、生まれないことを祈ります。
そして、シリアの毒ガス兵器の疑いによる、アメリカの軍事介入。
アフガニスタンでも、オサマビンラデインをターゲットに、軍事介入しましたが、石油の引っ張りすぎが理由で、干魃に苦しむ中東の民にとっては、テロも偽物正義の味方の軍事介入も内戦も、本当に迷惑な話でしかない。
遠い国の民は、マスコミに簡単に騙され、まるでシリアやイラクやアフガニスタンが丸ごと、敵であるかのような意識でモノをみる。
そのような二項対立の親や学校で育った子供は、中東イコール危険と、又々理解できない状況を、思考停止で敵と見なす。
それは、学校のいじめにも現れている。
そのまま、僕ら大人のカタワな視点が、子供たちに差別意識を作り出す。
中国にも、北朝鮮にも、素朴な《志民》は、山ほどいる。
一部の戦争実践人間よりも、アフガニスタンで、干魃を解決するために、井戸を掘って、更に巨大な農業用水路を、日本一般民からの寄付と、日本人ボランテイアと元タリバン兵士
も一般民も一緒になって創るように頑張られた、中村哲先生の方が本当のリーダーではないでしょうか。
日本人には、役割があるけれども、選民意識では、とっても危険であると思うのです。
矛盾のなかで、矛盾したまま敵や味方を設定しないで、どうにか矛盾がなく隙間産業のように、極力自然の微調整の台風、地震、津波を回避しながら、素朴にありのままの自分で生きたいだけ。
好かれる人になろうとか、一般的にそつなく衝突なく人生を送れる平均値の人になろうとか、結局は、鎧でしかない。
どんな癖やダサさ、非常識ねと誰かに言われようが、変わった趣味があろうが、それが素直な自分自身なら、その自分ではじめから生きた方が、苦しくならない。
今は、それを認めれない親が多く、自分を解放して、だからこそ荒波が来ようが、自分で自分自身を素のまま生き抜けるという、子供が生まれでない状況に、子供自らが悲鳴をあげている。
人を殺めたり、自分の主張を通そうと圧したりすることで、事を納めようとしなければ、大体は問題がない。
自分の価値が多数派でなく、少数派の分類にいようが、それが自分なら、それを堂々と生きた方が、実は社会はバランスがとれる。
TPPの最近の同行も、ヤッパリひとの目を気にしての譲歩である。
それを堂々と受け入れるのなら、仕方がない。
けれども、文句は言う。
誰かのせいにする。
即ち、自ら意思決定を、するのを避けている。
それだもの、何も人生が変わらない。
周りがどうだろうが、自分がこう生きると決めれない集団が、今の日本人だと思うのです。
それは、先ずは、自分のいきる道で、やることが先で、国の問題は、その結果である。
それを変えない以上、誰を政治家に仕立てて送り込もうが何にも変わらない。
知識を披露するのも、先ずは興味があるから、許されるモノ。
けれども、依存で、スピリチュアルで信者集めて、子育て教えたり、生き方教えたり、お節介も勘違いも甚だしい。
茶番でしかない。
うちのアラスカンマラミュートは、当たり前に自分で出産する。
愛する、景子にも自宅出産を希望する。
今は、野生の自らの力を確認できる時がない。
だから、人の評価が気になる。
子供たちも、親や先生ではなく、野性に自然界に育てられて欲しい。
そして、健全な里山を感じれて、新しい里山志本主義を生きれば、社会と他者とどう繋がって生きれば、自分を自分全開で生きれるか、無理して嘘の自分で生きなくて済むかが、見えてくる。
その代わり、それが少数派なら、多くの賛同者を望まないこと。
賛同者が、少なくたって、実は経済を生み出せる。
お金が直の目的ならば、同じく見失う。
昔のホリエチャンのように。
けれども、いい線行っていたのは確か。
大体、少数派が、新しい時代を創ろうとする。
欠落からこそ、生まれるのだから、放射能つきの地震が起きた東北が、イノベーションの旗揚げをするであろう。
がんばれ東北は、他者に言われる言葉でなく、東北が自らに課せる課題だ。
いつまでも中央のせいにしていたら、また悪い意味での、田舎モンスターに成り下がる。
多くの人に認められたと思ったときに、スキが生まれる。
多くの人に理解して貰おう、多くの人に認められたいは、自我であり、そんな事は殆ど勘違いでしかない。
それを孤独と捉える人は、理論武装して、人に認められたいだけ。
本当にすべてのひとが、ソロソロサリーマン根性を捨てて、自分の特技を磨き、よって不得意な自分をも知り、そこは人に任せて見ること。
わからない事があったって、恥ずかしくない。
色々俺は知っているよ!ほど誰も聞かなくなるモノ。
知識にあえて蓋をして、人の話にこそ、耳を傾け、端的に気の効いた事を言える、それが大人の粋だと思うのです。
だから、勿論、そう簡単に、誰もがイノベーションを生み出せやしない。
もしもこの僕の活動が化けても、自分の力ではない。
偶々、時代の波にのれただけ。
そして、少数派の出逢いに恵まれただけ。
だから、波に乗れた時こそ、表には出ないことが、波を持続させれる。
江戸の頃の長い、一つの安定は、徳川が全面に出ないようにしたことが、幸をそうした。
武田に負けた自分を戒める為に、負け戦の襖絵を自分の部屋に使用していた事が、それを証明する。
けれども、どんな立派な志も必ず劣化する。
そんな時は、新しい時代を引っ張る、若者に血縁を越えて、手渡す引き際が重要だと、僕は思っている。
この活動が安定期に入ったとき、僕はよい意味で隠居に入る。
体が続く限り、相変わらず、体力にみあった会員様数にたいして、水を汲み上げて、届けているでしょう。
仕組みは、下手に独占等しないで、手渡す。
活かして進化させて貰うことが、喜びでなくてはならない。
オフライン、即ち新渦オンラインから始める、心の若さを持つものなら、後を継いで駒を進めていくであろう。
目標は世界に誇れる、アジア共同体であるが、それをなしえるのは、里山志本主義を高度に発達させた体験を持つ、若い世代である。
僕は、その新しい世界に繋がりが見渡せる《タオ》を創るだけで、充分である。
ただし、隠居といっても、全く違う隠居である。
隠居先の、無料の養老院さえも、自分達で創る。
そこでは、小遣いぐらい堂々と見いだせる、仕組みをつくって、生涯現役で召されたい。
電位の高い水とは、常磁力性の巨大な岩山が創る、マイナス電子である。
マチュピチュや日本の棚田の石工みも、段々に平地を創る為の土止めではない。
本来は、腐らない炭かしない檜で土止めして、そこに更に自然に寿命で倒木された広葉樹をおきピートモス状の土を生み出し、水の流出を防ぎ、その表目に電位の高い水を生み出す、常磁力性の石を組んで、温度を高地でも一定化させて、マイナス電子を生み出させ、微生物が分解する為の活発な動きを生み出させていた。
アートテンテクノロジーでの、那須の雪月花のお母さんの仕込む糀《伽羅》や、それを使った鮭の糀付けの美味しさは、まさにこの仕組みで、微生物の分解が短期で常識の枠を越えた、増殖がポイントである。
よって、細胞は、若返りが早く、皮膚も内蔵もドンドン活性化するのであろう。
僕が東京の頃に、自宅にスタジオにおいていた、百万円の電子水の装置は、此れを科学したもの。
それは、それで良いです。
けれども、実はチベットのカイラス山と、そ子供や孫たちの世界に分布されている、常磁力性の巨大な岩山は、その巨大な装置であるのです。
それによって、木々が、山菜や高山植物の花や動物昆虫が共に響命して、見事に活かされ、その役割を終えた死骸さえも、様々な役割で活かされ尽くしていくのです。
今日は京都のサポーター様で、八坂神社の真ん前で、本当に美味しい鯖寿司を販売しておられる、《いづ重》さんが、水源地を観に、お越しになられます。
皆様京都に行ったときには、是非とも足をお運びください。
本当に絶品です。
ここでのお店で、もしもアートテンテクノロジー化された味付け食材や、調理場をアートテンテクノロジー化したら、《伽羅》なみの発酵食品に進化する可能性が、充分にあるでしょう。
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